安保法案の議論とともに、「中国の脅威」が注目されるようになった。しかし、私たちが触れる中国の情報は「共産党の共青団派と太子党の対立」「中国のバブルが崩壊寸前」といった政治のごたごたと経済崩壊論のみ。いったい、中国はどのような国なのだろうか。そして、なぜ日中関係は緊張しているのだろうか――『日本と中国「脱近代」の誘惑』で「近代化」を切り口に日中・東アジアの現在を分析した梶谷懐氏に話を伺った。(聞き手・構成/島田昌樹) ――今日は、中国現代経済がご専門の梶谷さんにお話を伺います。『日本と中国「脱近代化」の誘惑』を執筆中に、今話題の『進撃の巨人』にハマっていたと伺いました。 そうなんです。本にはあとがきで少しだけ触れましたが、『進撃の巨人』は中華圏でも非常に人気で、香港の雨傘革命でも中国政府の支配・干渉のアイコンとして使われていました。 ――「進撃の共産党」というやつですね。 日本では、中国共産
郡司篤晃氏が『安全という幻想 エイズ騒動から学ぶ』(聖学院大学出版会)を出版した。薬害エイズ事件を総括する貴重な文献だ。 郡司氏は1965年に東京大学医学部を卒業した医師で、東京女子医科大学日本心臓血圧研究所を経て、75年に厚生省(当時)に入省した。82年8月から84年7月まで生物製剤課長を務め、後任の松村明仁氏とともに、薬害エイズ対策をリードした人物である。85年に厚生省を辞し、母校である東大医学部保健管理学教室の教授に就任した。筆者は89年から93年に東大医学部に在籍し、学生時代にご指導いただいた。もっとも筆者は劣等生で、講義にはほとんど出席しなかった。講義や実習での郡司氏の印象はほとんどないが、同級生たちは「誠実な先生」と評していたことを覚えている。 筆者が郡司氏の名前を知ったのは、薬害エイズ事件だ。この事件で、彼を有名にしたのは「郡司ファイル」である。郡司ファイルとは96年2月、菅
By Chris Hunkeler 今や最も手軽なエクササイズとして人気のジョギング(ランニング)ですが、これほど一般的に普及したのはほんの数十年前のことで、それまでは不審な行動として警察に呼び止められることもあったそうです。ランニングがどのようにして一般的になり普及したのかについては、意外なストーリーがあります。 When running for exercise was for weirdos - Vox http://www.vox.com/2015/8/9/9115981/running-jogging-history 1968年にアメリカ・サウスカロライナ州でストーム・サーモンド上院議員が警察に職務質問を受けました。その理由はサーモンド議員がランニングをしていて不審者とみなされたからというもの。この出来事から、当時、ランニングというトレーニングは一般的に普及していなかったというこ
昨日まで私は日本国の首相でしたが、今日はもう首相ではありません。と言っても辞任したわけではなくて、暗殺されたんです。で、今日は首相ではなく死人として、もとい詩人として、じゃなかった私人として一言申し上げます。 日清、日露、日支のあと、真珠湾奇襲で始まった戦争に負けてから70年ですか、生きてたら私はこの世に生まれて83年、戦後70年と生後83年、どっちの年月が大事かと言えば、これはもう言うまでもなく自分の生後83年のほうが大事。 で、83年生きた経験で言えば、いくら反対しても戦争はなくせない。首相在任中は私もいろいろきわどい手をうちましたが、あれは戦争したいがための手ではないつもり。新聞テレビや人には言えない内緒事がいっぱいあるんですよ、複雑な意見、いや利害の網の目に捕らえられて四苦八苦。 とは言え首相なんてやってると、つきあう相手がほとんどハイソの人たちです。どうしてもそっちに引っ張られる
作家の百田尚樹氏が8月7日、都内で行われた集会に出席し「改めて沖縄の2つの新聞はクズやなぁと思いました」などと発言した。 百田氏が出席したのは「琉球新報、沖縄タイムスを正す県民・国民の会」の集会。6月下旬の自民党の勉強会で百田氏が「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」などと発言した問題を、あらためて考えるという趣旨で開催された。櫻井よしこ氏やケント・ギルバート氏、すぎやまこういち氏らが呼びかけ人となっている。
川内原発再稼働。一日も早く、周辺住民に対する被ばく被害のない程度の「軽微な事故」が起きて、新規制基準なんて何ら事故防止にならないと、国民全体が気づくことを望む。「こんな不安定な発電手段なんてもうコリゴリだ」と、日本国民ひとり残らず気づくことを望む。ラストチャンスだ、軽微な事故が。
ここのところ靖国神社のことを調べてきた関係で、幾度となくそこを訪れてきました。 もちろん、8月15日の終戦記念日に訪れたこともありますが、もっとも印象に残ったのが、7月半ばの「みたままつり」のときのことです。境内には、浴衣姿や肌もあらわな若い女性たちが多くつめかけ、それを目当てにした若い男性たちの姿も多く見られました。年配者の姿はなく、家族連れすら珍しい、そんな光景に驚きました。 Photo by midorisyu(CC BY 2.0) 靖国神社と言えば、8月15日の光景ばかりが報道されてきました。騒ぎを引き起こした『靖国 YASUKUNI』というドキュメンタリー映画でもそうでした。 しかし、みたままつりの光景も、靖国神社のもう一つの面を伝えています。一度、このまつりが近づいた時期、中央線の電車のなかで、女子高校生がみたままつりに行くかどうかを話し合っている場面にも遭遇しました。 みたま
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