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承認欲求に関するcildのブックマーク (5)

  • 2つの承認欲求をめぐって - 珈琲をゴクゴク呑むように

    承認欲求には2つのタイプがある。 1つは「名前もしらない大衆」から得られるもの。もう1つを「特定の誰か」から得られるもの。 注目を集めたいという欲求があるのなら、この2つを上手くブレンドしてゆかないと時として道を誤る。インターネット上で暴言をはいたり脱いだりすれば、簡単にあなたは注目されるけど、それは「特定の誰か」への好感度を著しく減らす事になる。なんらかの行動を取る前に、あなたの友達や家族、尊敬する人がどう思うかを考えて行えばミスは少なく出来るはずだ。もちろんときどきミスはするのだが。 承認欲求という悪魔の果実を理解するまでの道のり 産まれてから自我が芽生えた子供は暇さえあれば親からの愛情を求める獣だ。人は産まれた時から人からの注目なしには安心して生きていけない生物なのである。この時はまだ承認欲求の種類についての区別はまだついていないけど、社会的生物としてのヒトになるにつれて承認欲求を上

    2つの承認欲求をめぐって - 珈琲をゴクゴク呑むように
  • 誰に承認されたがってるかを見抜けないと世代論は見誤る - かくいう私も青二才でね

    ややこしい話なので、いつもよりも長いですが良かったらどうぞ。 きっかけはこの記事。 若者には欲がない? | None. よくこの手の話が挙がるのだが、年配者の文化風俗を考察せずに今の「若者は承認欲求が強い」「SNSや表現活動など金のかからない表現で承認欲求を貰いたがる」だなんだと、ロスジェネっぽい主張を繰り広げている記事でした。 ロスジェネっぽい…いや、もっとはっきりと「p_shirokumaっぽい」「彼の著書のタイトルや内容、更にはブログシロクマの屑籠で3年ぐらい同じ話をしてるアレみたい」と各方面に怒られそうだが、はっきりと書いておきたい。(当然、リンクにしてるのはわざとで、願わくば一戦…という気持ちでこの記事を書くことにしたのだ) 「承認欲求が誰に働いている範囲」がバブル以前と今では違う まずは、このつぶやきから。 「今の若者は承認欲求が強い」論には僕も違和感しか無くて、例えばですけど

    誰に承認されたがってるかを見抜けないと世代論は見誤る - かくいう私も青二才でね
  • 承認欲求を満たす方法はブログだけじゃない - のほほん感想録

    ブログを見ていると、たまに承認欲求のお化けだとかいうキーワードが出てきます。誰かに認められたいという欲が強すぎる人を指すようですね。 それで、ちょっと思ったんですけど、承認欲求を満たすために自分のコンテンツを多くの人に見てほしいなら、ブログである必要はあるのでしょうか。 Photo:Blog By Wildman 60D ブログでの承認は難しい ブログは、文章を書けばネット上にアップすることができるので非常にお手軽ですが、手軽ゆえにいろいろな人が書くため、文章がネットに溢れかえっています。だから、良い内容を書いたとしても、多くの人に見てもらうことは難しいでしょう。 また、ブログで文章を書くだけで人気になるには、惹き込ませる文章と内容が書けなければ厳しいと思います。ブログは物事を文章で伝えるものですから、有名なブログは文章の書き方が上手ですよね。ちょっと憧れてます。 有名ブログは、有名になる

    承認欲求を満たす方法はブログだけじゃない - のほほん感想録
  • 承認欲求を与える側に立ってみる。 - 大阪ナード日記

    2014-08-30 承認欲求を与える側に立ってみる。 論説 インターネットによって名がしれた言葉に、自己承認欲求がある。そして、自己承認欲求を巡る言説は、どちらかと言えば「いかに満たすか」「いかに抑えるか」といった発生源の側として書かれている。 しかし、自己承認欲求というのは、承認する相手が必要である。それゆえ、承認を求める側の需要に対して、承認を供給する人間は圧倒的に少ない。そこで、筆者が進めたいのは、「承認の供給側に立つ」ことだ。 圧倒的に承認を求める側が多い状況において、承認を供給する人間はかえって珍重される。皮肉なものだが、承認する人間の方がかえって承認される逆転現象が往々にして起こるのだ。 だが、もちろん承認されるために承認することを推奨しているのではない。 他者を承認する事で「他者の承認に依存せず、自己重要感を満たす」事が容易になる。 別に、かまってちゃんの相手をしろといって

  • 承認欲求と公共圏と大衆の意思 - はてな村定点観測所

    2014-08-28 承認欲求と公共圏と大衆の意思 承認欲求の話題が盛り上がっているので、ちょっと書いてみる。 承認欲求は現代社会における文化的権力(監獄) 承認欲求はネット社会固有のものではない。facebookいいねやはてなスターの代わりに、現実社会では「ありがとうございます」「おっしゃるとおりです」「お疲れ様です」と社交辞令や挨拶を言い合うことによって、お互いの存在や立場を承認する。敬語などでは相手のポジションを承認して言い回しを変えたり、ネット社会よりもはるかに複雑に発達している。 現実社会の中にも承認欲求はインセンティブとして組み込まれているのだ。これが円滑に行われないとコミュニケーションが疎かになっていると思われて、相手に対して失礼になったりする。儀礼的無関心やスルーが許されているネット以上に、相互承認が要求されるのだ。LINE既読が問題になったりするけど、現実生活の会話でも「

    承認欲求と公共圏と大衆の意思 - はてな村定点観測所
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