タグ

ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (4)

  • このブログでハイデガーについて書くとろくなことがない - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    はい、表題の通りです。私がここでハイデガーについて何か書くとろくなことがありません。私がハイデガーを擁護しようが批判しようがどっちにせよ起きたのはろくでもないことばかりです。はっきり言ってこう思った、もうハイデガーのことなんか金輪際かくもんか! 実は今回でハイデガー関連のうんざりする出来事は二度目だ。一度目は、某学者の書いたハイデガーに関する記事に言及したのだが、そこでおそらくその某学者人からと思われるコメントが来た。一つ目のコメントは冷静な批判で問題はなかったのだが、連続ですぐに来たコメントが論者への誹謗中傷だった。そのあとにトリマキっぽい人たちからの誹謗中傷が続いてすっかりうんざりしてしまった。それ以来ハイデガーのことなんかもう書くもんかと、分析哲学の話ばかりするようになったするようになった。 それがこの前、つい解禁とばかりに気が緩んでハイデガーについての記事を出してしまった。今回は

    このブログでハイデガーについて書くとろくなことがない - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    contractio
    contractio 2008/12/25
    コメント欄。日常性という術語は後期のものだ、なんて一言も書いてませんよ。どこをどう読んだの?
  • ルーマンの芸術論からの引用に対する読解 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ルーマンの晩年の著作からのある程度まとまった引用を見つけたので、ちょっと読解してみようと思います(日曜社会学>出不ろぐ de√Blog http://d.hatena.ne.jp/contractio/20050805)。ちなみに、私自身はこの著作を読んだことありませんので、引用部分だけの読解となります(だから、読めるテキストは読者と一緒)。読解するのは、「機能」とはなんでしょう:、より以下に引用されている二つのテキストが基。引用ページからみると、下のほうがページ数が若いので、そちらから読みますです(じゃないと、読みにくくてしょうがない)。 [p.227]から まずは、芸術はそもそも誰のものか、と言う話。それは上流階級のものであるという。そんな、俺は貧乏だけど芸術に興味あるよ、とか言わないで。これは歴史的に見てという話。生きる事ばかりに精一杯で芸術なんて、と言うのがもともとの下層階級の人

    ルーマンの芸術論からの引用に対する読解 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    contractio
    contractio 2008/11/30
    いまさらながらに参照されてることに気がついた(トラックバック送らない設定にしてますか?)。なんか反応した方がいいのだろうか(^_^;
  • ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    理性を解明し規定することが正当に且つ必然的に《論理学》と呼ばれるかぎり、西洋的な《形而上学》は《論理学》であるとも言える。存在者たるかぎりの存在者の質は、思惟の視圏のなかで決定されるのである。 ハイデガー「ニーチェ ヨーロッパのニヒリズム」isbn:4582761844.78-9より カテゴリー論と形而上学の関係 ハイデガーの大きな問題点は、科学と技術を安易に同一視しているのと同じように、論理学と形而上学をも一緒くたにしてしまうことだ。この場合、形而上学とはアリストテレス的なカテゴリー論のことであり、トマス・アクィナス経由で西洋哲学が受け継いでる思考法でもある。実際にハイデガーは(若き時分にブレンターノの論文で出会った)トマス・アクィナス的なアリストテレス理解への批判を出発にしているところがある*1。ところで、カテゴリー論とは何か。カテゴリー論とは物事をカテゴリーに分類する議論のことだ。

    ハイデガーにおける論理学と形而上学 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    contractio
    contractio 2008/11/15
    「存在論的-神学的-論理学的 形而上学」という定式の意味が考慮されてない。/否定神学は「否定」という「論理的」操作に依拠してこそ成立しうるもの。/反論書いた http://d.hatena.ne.jp/contractio/20081221#p1id:deepbluedragon
  • 日本の心理学についていろいろ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    日曜社会学>出不ろぐ de√Blog の沼上『行為の経営学』への感想(http://d.hatena.ne.jp/contractio/20051101)を読んだ。実のところ、心理学も状況は変わらなかったりする。 【法則定立を目指す-変数システム】v.s【法則定立を目指さない-行為システム】という対立は心理学における「量的研究」vs「質的研究」にそっくりだ。『心理学が「質的」を標榜することで見られる夢はなにか 』(http://www.utp.or.jp/todai-club/2005/09/25/iyoooaaoeuoeeceieiiee/)を見れば分かるが、何でもかんでも数量化する日の主流の心理学に反抗して、こういう現場研究とか語り研究とかが出て来はする。でもねぇ、私もそういう研究は読んだ事あるけど、たいていあんまり面白くない(amazonにも昔レビューを書いたことあるが)。理由は簡

    日本の心理学についていろいろ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    contractio
    contractio 2008/08/08
    d:id:deepbluedragon こんなコメント貰ってたのか。気づいてなかった。http://d.hatena.ne.jp/contractio/20051101
  • 1