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ブックマーク / schutsengel.blog.ss-blog.jp (32)

  • 「『ニセ科学撲滅運動』が『ニセ科学』に堕した5年」解題:Chromeplated Rat

    ここをあまり更新しなくなってからもうだいぶ長くなる。なので、ここでなにかを書くことがいくらかの注目を集めることは(以前と比較して)相当に少なくなった。なので、すこし気負わずに書いてみよう。 さつきさんの「ニセ科学撲滅運動」が「ニセ科学」に堕した5年 と云うエントリを読んだ。 命名をする。略語を与える。キャッチフレーズをつくる。――こう云う行為を行った瞬間に、そのことばはそれが来指し示すべく意図された、来はある程度の広がりと複雑な背景を持つ文脈をある程度離れ、独自のニュアンスを獲得しはじめる。 このことが命名をしたものにとって望ましいことである場合も、そうではない場合も両方ある。 たとえば「ニセ科学」と云う言葉は、そもそもが価値判断を含んだ言葉で、最初から取扱注意なところがある。なので、指し示す射程が広がらないよう、比較的注意深く論じられてきた経緯が存在する。もちろん論者によって、そのあ

    doramao
    doramao 2016/03/20
  • 自由な表現と責任:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2014/05/15
    スタンスをどうこうという話では無いのだけど、個人的な感覚からは「届く表現」として見ても評価出来ないというのが自分の考え。内容に虚偽を用いた表現というのはある意味ズルをしているわけで。
  • 呪いを解く(「いちから聞きたい放射線のほんとう」菊池誠・小峰公子・おかざき真里):Chromeplated Rat

    たいていのファンタスィ、そしておそらくたいていのRPGにおいては、「知る」ことをエンジンにして冒険が駆動されていく。 地形や伝説を知ることにより宝物を見つけ、相手を知ることにより戦いに勝ち、魔法の原理を知ることにより呪いを解く。そうして、主人公たちは勝ち(あるいは負け)、理不尽な環境から開放される(あるいはとどめおかれる)。もちろん勝つために、開放されるために必要なのは知識のみではなく、主人公たちのいろんなスキルや判断力、その状況で必要とされるアイテムがそろっているか、なども重要なのだけれど、すくなくともそれらを役立てるための知識を入手することはつねに必須だ。 でまぁ、これはある意味ぼくらの人生そのもので。すぐれたファンタスィやRPGがぼくらに与えてくれる感動も、これらの構造がぼくらの実生活のアレゴリーとして適切に用いられていることから来る部分が大きいと思う。 理不尽な状況に投げ込まれた、

  • 自然な感覚と、できること:Chromeplated Rat

    KoshianXさんの日人は自らの宗教性にいいかげん気付くべきと云うエントリを読んだ。 こうした信仰は民間でなんとなく親から子へ、地域から地域へと伝播してるもので、特定の宗教団体がまとめあげてるものではない。それがゆえになんとも言えぬカオス状態になり、まったく秩序立たない宗教性がそこかしこに見られるようになっている。ここで秩序立たない宗教性と云うものはたぶんこのブログ(および議論を共有してきたひとたちが管理するいくつかの場所)では「呪術性」と呼ばれたり、「人間の基仕様」と呼ばれたりしてきたものなのだろう、と思う。ぜんぜん厳密に用語を使ってきたわけじゃないけれど、ここではぼくはそれらのなまの要素が一定の秩序によって整理され、ある程度整備された有用性を備えた状態になったものを「宗教」と呼んできたと思うので、その意味で秩序立たない宗教性と云ういいまわしにはちょっと違和感があるのだけど、まぁそ

    doramao
    doramao 2012/05/05
    コメント欄に「ある意味基本仕様的」なコメントがついているところが興味深い。
  • あらかじめ断ればなにを云ってもいいわけではない:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2012/01/25
    陸上競技だと解説として呼ばれている筈なのに、やたらと競技以外の事をしゃべくる人がいてうんざりする。増田明美とか瀬古とか。
  • 用途とことば:Chromeplated Rat

    goyo-gakushaさんの__pon_さんがうまく整理してくれたと云うエントリを読んだ。 ちなみにこの__pon_さんと云うのは、こちらのエントリで言及したエントリをお書きのp__o__nさんとおそらく同じかた(ハンドル名とアイコンイラストと発言内容の類似から判断)。なので、ぼくのいまの時点でのこのかたに対する印象は、ニセ科学・疑似科学の害悪よりもその有効性を評価するスタンスであり、しかも自分の発言について対話することを好まない(自分の言説についてさしはさまれた疑義に対して言論で向き合おう、と云う姿勢をお持ちでない、要は云いっぱなしを好む)かた、と云うもの。なにしろご自分のハンドルネームのアンダースコアについて以外、なにも反応してくれなかったし。 先に書いておくと、原発は廃絶すべきだと思ってるけど、「廃絶しろ!」って声を上げていれば明日にはなくなってるようなものには思えないので、(うか

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    doramao 2011/11/03
    メタである事に自覚的になる事と関係しているのかしら。
  • 「エア御用」の使われかた:Chromeplated Rat

    sionsuzukazeさん(でいいのかな)の陰謀論とエア御用論と云うエントリを読んだ。 まぁこの「エア御用」と云うことばについては、それがその呼称を当てられた対象者を漠然と誹謗する以外の機能をもたないことばである、と云う点について、黒亭さんが「エア御用」考と云うエントリで述べてらっしゃるのだけれど。 批判、であればその批判が正当かどうか判断するにあたって依拠する基準が提示されている必要が当然あるのだけれど、要するにそこを明確に示すことを回避することで批判のかたちを借りた誹謗を汎用的におこなうことができるように設定され、運用されていることば(原発業界御用学者リストのエア御用とは?のページを読んでも、特定の意図にもとづいていくらでも拡張できるような散漫な定義が並んでいるだけ)。例えば、政府の各種諮問会や委員会における「民間委員」と呼ばれるものは、多くの場合「まるでお飾り」であることは過去に

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    doramao 2011/10/31
    色々と思うこともありますが、最終目標が相手をビルの屋上に追い詰めて、さぁ、逃げ道はないぞ・・・後はどうする?みたいなモノに決してならない事を願う。目的は何かをどらねこは直ぐに忘れそうになるので。
  • ことばを使う:Chromeplated Rat

    矢吹さんの5、6日のうだうだ/小学校通りの謎、あるいは《幽冥説に向って淡白なるほどに、物理においてもまた自から漠然たるの情あるが如し》(福澤諭吉)と云うエントリを読んでちょっと考えたこと。エントリの内容とは、いくらか関係あるかも、と云った程度。 現代を「科学万能」とか「科学至上主義」とかの言葉で括るヒトってまだまだ少なくないけれど、科学を至上のものと考え抜いているヒトなんちゅーのは、僕たちの社会では僅少であることは間違いない。だってもしそういうヒトが多ければ、これほどまでにニセ科学の類が猖獗をきわめるわけがない。この「科学至上主義」みたいなことばがどう云う状況で登場するか、と云うと、そのおおむねがなにかしらの意見を揶揄する文脈なんだと思う。なんとか至上主義、みたいな形容が純粋に肯定的な文脈で使われることはない。 まぁ揶揄にも、その揶揄する対象に向けて批判的なものと好意的なものが存在するわけ

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    doramao 2011/09/18
    所謂ニセ科学批判批判で用いられる科学至上主義について『そのひとはその意味を自分で説明できないようなことばを使って、だれかになにかを伝えようとしている、伝えることができると考えている、と云うことになる』
  • 善意の外に:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『善意、と云うのは「善きもの」であって、その真贋は自問することはできても、他者からは問うことが原理的にできないのでやっかいだ。』矛盾、葛藤が生まれた時、批判や検証をした言説と出会える機会を増やすこと。
  • 守る、ために:Chromeplated Rat

    katsuyaさんの何のための科学リテラシーかと云うエントリを読んだ。前のエントリとも関わってくる内容なんだけれど。 逆説的に聞こえるかも知れないが、 何よりも「科学から自由である」ためにこそ、 科学リテラシーは身に付けられるべきだと思う。 訳も分からぬままに盲従させられないためにも、 科学の名の下に行われる暴虐から身を守るためにも、 崇めるでもなく恐れるでもなく正面から向き合うことで 科学が何をしてきたのか、そして何ができ何ができないかについて知ることが重要ではないか。ぼくはこの見解に、強く同意する。 科学は、ある一面において、特定の事柄にきわめてつよい根拠を提供する。その事柄がよいことであろうと、よくないことであろうと。善悪と云う軸がひとに寄り添うものであり、科学はその軸とは別の場所に位置づけられるものだから。 科学的である、と云うことは、どのような主張についても強固な足場になる。主張

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『むしろ「科学でないもの」を守るために知っておくべきだと思う。そして科学リテラシーは、そのために役立てることのできるものだと思う。』同意。このエントリ読んでなかったけど、同じように考えてる。
  • 周回の意義:Chromeplated Rat

    NOVTANさんの何周遅れだろうともと云うエントリを読んだ。 周回遅れ、と云う比喩はニセ科学に関する議論でもときおり出てくる。まぁ、ニセ科学に関係する議論は先頭を走っていれば偉い、とか云う性格のものではまったくないので、NOVTANさんがお書きの主旨には直接あてはまらない部分も多かったりはするけれど。 少なくとも、ちょっとでも先にスタートできた自分の有利さを自覚して、あとに入ってきた人を暖かく迎えてあげるのが良いんじゃないかと思うことしきり。でもまぁこれをやっていると「またいつまでもおんなじ話をしてやがる」とか「安全な場所からばかりものを云っている」とか云う反応が返ってくる、ってのもあったりして。でもやるんだけど。やってるうちに見えてくるものもあったりとか、ケース・スタディにしかならなくてもなんらかの小さな貢献につながったりとか、そう云う部分を期待しながら。 ついでに云うと「安全な場所」に

    doramao
    doramao 2011/09/18
    すぐ開けるようブクマ
  • 「外部にある」ことの意義:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    敵の敵は味方メソッドが発令していれば、その時点で疑って良い理由。逆に謂えば、敵の敵は味方メソッドで科学を基盤にお話しをしている人を批判するのは見当違いのダメダメ議論であろう。例えば、エア御用とかね。
  • 「スピリチュアル」の立つ場所:Chromeplated Rat

    阿部敏郎さんの嘘と云うエントリを読んだ。 阿部敏郎さんはスピリチュアル関連のお仕事をされている。お書きのブログにも、「アセンション」をはじめとしてなんとなく見慣れた「要注意」みたいに思わせるキーワードが頻出する。ニューエイジだからと云ってつねに原理的にニセ科学と親和性が高い、と云うことはないはずなのだけれど、そう云う志の低い「俗流スピリチュアル」ばかり数多く目にしてきた身からすると、やっぱり警戒せざるを得ない。 でも、このエントリで阿部さんは「水からの伝言」に触れて、そして読者に語りかける。 科学は万能ではありませんし、物質を超えた世界も確かにあります。 でもちょっと待ってください。 間違いは間違いです。 学校の先生までそんなことを信じて生徒に言っているとか。 そのような超現象を、きちんとした検証もないまま認めてしまえば、物理や科学の根底が揺らいでしまいます。このあとで、阿部さんは「百匹目

    doramao
    doramao 2011/09/18
    ※欄含めて参考に成るモフ。いいとこ取りや、つまみ食いをしている人を放置すれば、その領域は徐々に出はあるかも知れませんが衰退するでしょうね。
  • 共感の陥穽:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    そう謂う事を理解(納得)した上で尚、語りかけると謂うこと。
  • 呪術:Chromeplated Rat

    地下に眠るMさん(とお呼びしてよろしいのだろうか)のニンゲンとは魔法が使える生き物であると云うエントリを読んだ。 いや、実はこのエントリに書かれていることにはまったく同意するんだけど、でも書き方がちょっとずるい気がする。 「疑似科学、スピリチュアリズム、超能力、霊の世界などを信じるのは、頭が悪いんじゃないか? 現代科学の圧倒的な成功に対して、ああいう時代遅れのオカルトはまるで成功してないじゃないか、成功のデータが見当たらないじゃないか。オカルト信者はまったく非合理的で、経験を重視していない」 などという意見は、合理主義者や懐疑論者がオカルト信者に対するときの感想として典型的なものの1つだと思いますにゃ。典型的とか呼ぶには、これってなんかあまりにステレオタイプな気がするんだけど。て云うかこんな安い態度を取る人間を合理主義者とか懐疑論者とか呼ぶのは、ちゃんと矜持を持った物に対して失礼なのでは

    doramao
    doramao 2011/09/18
    こう謂う遣り取りが為されていた事の記録。
  • 科学的であろうとすること:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『科学的方法と云うのは、まさにひとの心から生み出されて来た、ひとが使うためのものだ。』『それでも、そこに積み上げられて来たのは、ひとが同じことを「分かりあおう」とする努力なのだ、と思う。』
  • 宗教の側から:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    玄侑宗久さんの言葉『波動、パワー、エネルギーなど、あたかも客観性があるかのような言葉を精神世界に持ち込むのは、下劣な行為だという自覚をどうぞお持ちください』
  • ひとたらしめる、もの:Chromeplated Rat

    壊れた人間を見るのは、うすら寒い。 そのうすら寒さは多分、自分が自分自身であることを維持する、その営みが薄い皮膜一枚であることを気付かせるから、なんじゃないかと思う。自分が自分であること、は実は自明ではないことに、その瞬間に思い至る。これは、恐ろしいことだ。 結局のところ、自分を自分たらしめるために、ぼくらは常時努力している。連続的な自分を確保するために、つねに問い続け、自己像を明確にしようと足掻いている。どうしてか、自分が自分であることはぼくたちにとってひどく大事なことだ。 だから、それを失ってしまった人間を目の当たりにすると、ぼくたちは狼狽し、そうして恐怖に襲われる。ぼくたちの認識できる世界の内側では、それは人間のできることには見えない。 少なくとも、自分を人間と認識している人間には捨て去ることができないと思えるようなものを、彼/彼女は捨て去っている。 ましてや、ネットの上では自己の連

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『そう云う意味で、壊れてしまった人間は、強靭だ。それは、おのれの尊厳を捨て去って得られる強さだ。羨みはしないけれど。』そうなってしまわない様に、なってほしくない・・・その辺りがこの問題に関わる理由かな
  • 自分の立ち位置:Chromeplated Rat

    最近の琴子さんちと云えばぼく的に一番重要なエントリは当然こちらなんだけど、どうもちゃんと言葉にならない(もう少ししたら蒸し返すかも)。で、自分語り絡みで途中と云うエントリにトラックバックさせて頂く。 私の思う科学とは、「無明の闇が包む洞窟を手探りで、一か所一か所に篝火を立てる行為」であると思っています。もちろん、広大無辺な洞窟ではまだまだ闇の部分があるわけです。 篝火に頼って暮らしている人間が、闇が広大であることを理由に篝火を嗤うのはぶざまだ。それは、つねに篝火を「あるもの」として暮らしている自分自身を省みることができない、能力の欠如を意味しているから。 闇を恋うてもいいし、篝火を疑うのも構わない。篝火は疑われることで、よりよい光を放つすべを学んで来た。でも、篝火なくして生きて行けるが如くに思い込み、振る舞うのは、単なる無知に留まらない見苦しい所行だ。闇をしっかりと捉えることは、同時に篝火

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    doramao 2011/09/18
    ボクもどちらかと謂うと闇の眷属だな。
  • 【すげえ長文】考えずに信じる【でも読んで!】:Chromeplated Rat

    初めてSo-net blog内でトラックバックしてみる。なぜかこのブログ、So-netなのにはてなとかからのトラフィックの方が多いようなのだ。もっとも解析に当たって自分のIPをブロックするように設定しているのが原因かも知れないけど。 と云う訳で言及先はもとさんの【長文】『人間ってそんなに偉いのか?』【注意!】 と云うエントリ。これは毎日新聞・理系白書の理系白書’07:第1部 科学と非科学/2 教室にニセ科学に言及したもの。タイトルに掲げた部分を主眼として論じたい。 菊池誠・大阪大教授(統計物理学)は「水が言葉の意味に影響を受けることはあり得ない」と断言。「言葉の意味は使われる場面によって変わるし、結晶の美醜で物事の善悪を判断する点もおかしい。道徳的にいい話とも思わない」と写真集の内容を批判する。 はい、ダウト! 少なくとも「感謝の気持ちを表す事が、事象に良い影響を与える」と言う事は「道徳的

    doramao
    doramao 2011/09/18
    ※欄でのpoohさんにとっての懐疑主義『以前も書きましたけど、「信じる心いつまでも」と表裏一体の「疑う心を忘れるな」が、ぼくにとっての懐疑主義です。』