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2011年9月18日のブックマーク (17件)

  • 結構毛だらけ猫灰だらけ | COMPLEX CAT

    大意:「季節の換毛で結構家の中は毛だらけだが,火山島活動活発化の折り,はそれなりに暮らしているが灰だらけにはならないか,気になる日々ではあるなぁ」 上二人はキャンプに出かけて今日は一泊。ドアではなく居間のサッシを開けさせてチコ帰宅 →生さんまの焼いたのを詰め込む→ドアではなく玄関を開けさせて出かけていく この間,3分少々。いつもながら日一かどうかは知らないが,忙しい。 Canon EOS Kiss Digital X, P.ANGENIEUX PARIS 1:2.8/75 TYPE Z5 キャンプのヘルプに長男が回ることになったので,林業用のブッシュブーツと施設利用時の上で揃えておいてものを渡した。 予め聞いていたサイズに少し余裕持たせてあったのだが,どちらもきついというので,人捕まえて買いに行かせたらサイズが,途中すっ飛ばして,2cmアップしていた。そりゃ無理だよ。今の

    結構毛だらけ猫灰だらけ | COMPLEX CAT
    doramao
    doramao 2011/09/18
    ウチのどら息子もあっと謂う間に大きくなっちゃうんだろうなぁ~。/どらねこ息子さんもお元気のようで何よりです。
  • ことばを使う:Chromeplated Rat

    矢吹さんの5、6日のうだうだ/小学校通りの謎、あるいは《幽冥説に向って淡白なるほどに、物理においてもまた自から漠然たるの情あるが如し》(福澤諭吉)と云うエントリを読んでちょっと考えたこと。エントリの内容とは、いくらか関係あるかも、と云った程度。 現代を「科学万能」とか「科学至上主義」とかの言葉で括るヒトってまだまだ少なくないけれど、科学を至上のものと考え抜いているヒトなんちゅーのは、僕たちの社会では僅少であることは間違いない。だってもしそういうヒトが多ければ、これほどまでにニセ科学の類が猖獗をきわめるわけがない。この「科学至上主義」みたいなことばがどう云う状況で登場するか、と云うと、そのおおむねがなにかしらの意見を揶揄する文脈なんだと思う。なんとか至上主義、みたいな形容が純粋に肯定的な文脈で使われることはない。 まぁ揶揄にも、その揶揄する対象に向けて批判的なものと好意的なものが存在するわけ

    doramao
    doramao 2011/09/18
    所謂ニセ科学批判批判で用いられる科学至上主義について『そのひとはその意味を自分で説明できないようなことばを使って、だれかになにかを伝えようとしている、伝えることができると考えている、と云うことになる』
  • 善意の外に:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『善意、と云うのは「善きもの」であって、その真贋は自問することはできても、他者からは問うことが原理的にできないのでやっかいだ。』矛盾、葛藤が生まれた時、批判や検証をした言説と出会える機会を増やすこと。
  • 守る、ために:Chromeplated Rat

    katsuyaさんの何のための科学リテラシーかと云うエントリを読んだ。前のエントリとも関わってくる内容なんだけれど。 逆説的に聞こえるかも知れないが、 何よりも「科学から自由である」ためにこそ、 科学リテラシーは身に付けられるべきだと思う。 訳も分からぬままに盲従させられないためにも、 科学の名の下に行われる暴虐から身を守るためにも、 崇めるでもなく恐れるでもなく正面から向き合うことで 科学が何をしてきたのか、そして何ができ何ができないかについて知ることが重要ではないか。ぼくはこの見解に、強く同意する。 科学は、ある一面において、特定の事柄にきわめてつよい根拠を提供する。その事柄がよいことであろうと、よくないことであろうと。善悪と云う軸がひとに寄り添うものであり、科学はその軸とは別の場所に位置づけられるものだから。 科学的である、と云うことは、どのような主張についても強固な足場になる。主張

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『むしろ「科学でないもの」を守るために知っておくべきだと思う。そして科学リテラシーは、そのために役立てることのできるものだと思う。』同意。このエントリ読んでなかったけど、同じように考えてる。
  • 周回の意義:Chromeplated Rat

    NOVTANさんの何周遅れだろうともと云うエントリを読んだ。 周回遅れ、と云う比喩はニセ科学に関する議論でもときおり出てくる。まぁ、ニセ科学に関係する議論は先頭を走っていれば偉い、とか云う性格のものではまったくないので、NOVTANさんがお書きの主旨には直接あてはまらない部分も多かったりはするけれど。 少なくとも、ちょっとでも先にスタートできた自分の有利さを自覚して、あとに入ってきた人を暖かく迎えてあげるのが良いんじゃないかと思うことしきり。でもまぁこれをやっていると「またいつまでもおんなじ話をしてやがる」とか「安全な場所からばかりものを云っている」とか云う反応が返ってくる、ってのもあったりして。でもやるんだけど。やってるうちに見えてくるものもあったりとか、ケース・スタディにしかならなくてもなんらかの小さな貢献につながったりとか、そう云う部分を期待しながら。 ついでに云うと「安全な場所」に

    doramao
    doramao 2011/09/18
    すぐ開けるようブクマ
  • 「外部にある」ことの意義:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    敵の敵は味方メソッドが発令していれば、その時点で疑って良い理由。逆に謂えば、敵の敵は味方メソッドで科学を基盤にお話しをしている人を批判するのは見当違いのダメダメ議論であろう。例えば、エア御用とかね。
  • 「スピリチュアル」の立つ場所:Chromeplated Rat

    阿部敏郎さんの嘘と云うエントリを読んだ。 阿部敏郎さんはスピリチュアル関連のお仕事をされている。お書きのブログにも、「アセンション」をはじめとしてなんとなく見慣れた「要注意」みたいに思わせるキーワードが頻出する。ニューエイジだからと云ってつねに原理的にニセ科学と親和性が高い、と云うことはないはずなのだけれど、そう云う志の低い「俗流スピリチュアル」ばかり数多く目にしてきた身からすると、やっぱり警戒せざるを得ない。 でも、このエントリで阿部さんは「水からの伝言」に触れて、そして読者に語りかける。 科学は万能ではありませんし、物質を超えた世界も確かにあります。 でもちょっと待ってください。 間違いは間違いです。 学校の先生までそんなことを信じて生徒に言っているとか。 そのような超現象を、きちんとした検証もないまま認めてしまえば、物理や科学の根底が揺らいでしまいます。このあとで、阿部さんは「百匹目

    doramao
    doramao 2011/09/18
    ※欄含めて参考に成るモフ。いいとこ取りや、つまみ食いをしている人を放置すれば、その領域は徐々に出はあるかも知れませんが衰退するでしょうね。
  • 共感の陥穽:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    そう謂う事を理解(納得)した上で尚、語りかけると謂うこと。
  • 呪術:Chromeplated Rat

    地下に眠るMさん(とお呼びしてよろしいのだろうか)のニンゲンとは魔法が使える生き物であると云うエントリを読んだ。 いや、実はこのエントリに書かれていることにはまったく同意するんだけど、でも書き方がちょっとずるい気がする。 「疑似科学、スピリチュアリズム、超能力、霊の世界などを信じるのは、頭が悪いんじゃないか? 現代科学の圧倒的な成功に対して、ああいう時代遅れのオカルトはまるで成功してないじゃないか、成功のデータが見当たらないじゃないか。オカルト信者はまったく非合理的で、経験を重視していない」 などという意見は、合理主義者や懐疑論者がオカルト信者に対するときの感想として典型的なものの1つだと思いますにゃ。典型的とか呼ぶには、これってなんかあまりにステレオタイプな気がするんだけど。て云うかこんな安い態度を取る人間を合理主義者とか懐疑論者とか呼ぶのは、ちゃんと矜持を持った物に対して失礼なのでは

    doramao
    doramao 2011/09/18
    こう謂う遣り取りが為されていた事の記録。
  • 科学的であろうとすること:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『科学的方法と云うのは、まさにひとの心から生み出されて来た、ひとが使うためのものだ。』『それでも、そこに積み上げられて来たのは、ひとが同じことを「分かりあおう」とする努力なのだ、と思う。』
  • 宗教の側から:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    玄侑宗久さんの言葉『波動、パワー、エネルギーなど、あたかも客観性があるかのような言葉を精神世界に持ち込むのは、下劣な行為だという自覚をどうぞお持ちください』
  • ひとたらしめる、もの:Chromeplated Rat

    壊れた人間を見るのは、うすら寒い。 そのうすら寒さは多分、自分が自分自身であることを維持する、その営みが薄い皮膜一枚であることを気付かせるから、なんじゃないかと思う。自分が自分であること、は実は自明ではないことに、その瞬間に思い至る。これは、恐ろしいことだ。 結局のところ、自分を自分たらしめるために、ぼくらは常時努力している。連続的な自分を確保するために、つねに問い続け、自己像を明確にしようと足掻いている。どうしてか、自分が自分であることはぼくたちにとってひどく大事なことだ。 だから、それを失ってしまった人間を目の当たりにすると、ぼくたちは狼狽し、そうして恐怖に襲われる。ぼくたちの認識できる世界の内側では、それは人間のできることには見えない。 少なくとも、自分を人間と認識している人間には捨て去ることができないと思えるようなものを、彼/彼女は捨て去っている。 ましてや、ネットの上では自己の連

    doramao
    doramao 2011/09/18
    『そう云う意味で、壊れてしまった人間は、強靭だ。それは、おのれの尊厳を捨て去って得られる強さだ。羨みはしないけれど。』そうなってしまわない様に、なってほしくない・・・その辺りがこの問題に関わる理由かな
  • 自分の立ち位置:Chromeplated Rat

    最近の琴子さんちと云えばぼく的に一番重要なエントリは当然こちらなんだけど、どうもちゃんと言葉にならない(もう少ししたら蒸し返すかも)。で、自分語り絡みで途中と云うエントリにトラックバックさせて頂く。 私の思う科学とは、「無明の闇が包む洞窟を手探りで、一か所一か所に篝火を立てる行為」であると思っています。もちろん、広大無辺な洞窟ではまだまだ闇の部分があるわけです。 篝火に頼って暮らしている人間が、闇が広大であることを理由に篝火を嗤うのはぶざまだ。それは、つねに篝火を「あるもの」として暮らしている自分自身を省みることができない、能力の欠如を意味しているから。 闇を恋うてもいいし、篝火を疑うのも構わない。篝火は疑われることで、よりよい光を放つすべを学んで来た。でも、篝火なくして生きて行けるが如くに思い込み、振る舞うのは、単なる無知に留まらない見苦しい所行だ。闇をしっかりと捉えることは、同時に篝火

    doramao
    doramao 2011/09/18
    ボクもどちらかと謂うと闇の眷属だな。
  • 【すげえ長文】考えずに信じる【でも読んで!】:Chromeplated Rat

    初めてSo-net blog内でトラックバックしてみる。なぜかこのブログ、So-netなのにはてなとかからのトラフィックの方が多いようなのだ。もっとも解析に当たって自分のIPをブロックするように設定しているのが原因かも知れないけど。 と云う訳で言及先はもとさんの【長文】『人間ってそんなに偉いのか?』【注意!】 と云うエントリ。これは毎日新聞・理系白書の理系白書’07:第1部 科学と非科学/2 教室にニセ科学に言及したもの。タイトルに掲げた部分を主眼として論じたい。 菊池誠・大阪大教授(統計物理学)は「水が言葉の意味に影響を受けることはあり得ない」と断言。「言葉の意味は使われる場面によって変わるし、結晶の美醜で物事の善悪を判断する点もおかしい。道徳的にいい話とも思わない」と写真集の内容を批判する。 はい、ダウト! 少なくとも「感謝の気持ちを表す事が、事象に良い影響を与える」と言う事は「道徳的

    doramao
    doramao 2011/09/18
    ※欄でのpoohさんにとっての懐疑主義『以前も書きましたけど、「信じる心いつまでも」と表裏一体の「疑う心を忘れるな」が、ぼくにとっての懐疑主義です。』
  • 騙す、騙される:Chromeplated Rat

    いろいろ云っているが正直素朴に育ったこともあって騙されやすい方だ(と云うか、実際のところ騙されやすい方なのでいろいろ云っていると云う部分もある)。なので、実は今回の納豆騒動に絡んでのsuVeneさんのあるある捏造で騙された人を嘲笑する人を見てと云うエントリの趣旨には非常に納得するのだ。 テレビを積極的に見ないので、情報は主にネットから得ている。ネットではニュースをひとつ見つけると、そこにその情報に対する幾つもの異なった角度からの見方がくっついてきて、結局そのニュースに対する「自分の見方」を考えざるを得なくなる。でも、情報源がテレビしかなかったらどうか。ニュースにしても、複数の放送局の報道の仕方を見比べることの出来る人間は少数だろう(だいたいそんなに暇じゃない)。 そう云う環境に置かれていれば、多分、ぼくは簡単に騙される。いまだって、いろんな人間の好き勝手なものの見方が跳梁跋扈するネットの世

    doramao
    doramao 2011/09/18
    ※欄/考え、姿勢が成熟、形成される前に行われる遣り取り云々。
  • 「善意」を甘やかしてはいけない。:Chromeplated Rat

    ネットの片隅で「善意の転載」が議論になっている(だれかが上手にまとめたエントリがないかと探したんだけど、適切なものが見つからなかった。このあたりか)。とあるブロガーが「善意あふれるエントリ」を書き、読者に「善意に基づく転載」を推奨したことに端を発している。 もともと、チェーンメールの類はネットワークの負荷を増やすのでやってはいけない、という行動規範があった。それはインターネットを利用するものに絶対的に求められる、モラル以前の常識であり、それがどのような善意、どのような切迫した事情に基づくものであっても、そのことそのものがインターネットの原理に敵対するものであり、ケースバイケースなどと云う考え方をする余地がそもそもない、「小規模なテロリズム」として捉えられていた。同内容のテキストを増殖させるチェーンテキストも、質的には同じものだろう。 まぁ例えば10年前と比べればインターネットユーザ数は1

    doramao
    doramao 2011/09/18
    震災後のツイッターなどで行われた善意のRTは、過去にも起こった事が形を変えて表出したような問題なんだよね。でも、善意は大切だと思う、ホントに。だからこそ、甘やかしちゃいけないんだよね。
  • 構造主義言語学による「お水さま」論考序説:Chromeplated Rat

    doramao
    doramao 2011/09/18
    poohさんのブログを読破しようと試みる雨天の日曜日。