北洋漁業をけん引した旧日魯漁業(現マルハニチロ)の拠点として昭和初期に建てられた函館市大手町のニチロビルディングが間もなく建物としての役目を終える。1号館の完成から94年の歳月に経済の中心、文化芸術の発信拠点とさまざまな顔を持ち続けた。元ニチロ取締役の加藤清郎さん(89)は「ニチロマンの一人として万感の思いを込めてビルの最後を見届けたい」と話している。 ビルは1929(昭和4)年に1号館ができ、現存する2号館は34(同9)年、3号館は38(同13)年の完成。2号館と同じ34年生まれの加藤さんは、父方の祖母が堤清六の妹、母方の祖母が平塚常次郎の妹と、創業者の名前と両家の血筋を受け継ぎ、父の俊治さんも同社社員だった。 函館中部高卒業までは函館で暮らしたが、戦争を挟んだ激動の時代。同社にとっても終戦間際の旧ソ連侵攻で北千島、樺太などで約2400人(「日魯漁業経営史」による)もの社員がシベリアに抑
