慶応4年(1868)幕末の鳥羽伏見の戦いから明治2年(1869年)の明治維新までの1年半の間、日本列島を二分して戦われた戊辰戦争の大団円(クライマックス)は箱館戦争である。新政府軍(西軍)の攻撃にあえなく投降し「北海道独立」の夢が絶たれた旧幕府軍(東軍)の「敗北の構図」を見てみよう。 旧幕府軍、北海道上陸 旧幕府海軍副総裁・榎本武揚が率いる幕府艦隊がめざした北海道の上陸地点は箱館(現函館)をあえて外し、その北方40km、亀田半島を回り込んだ内浦湾(噴火湾)の鷲ノ木浜であった。運悪く海は荒れて、艦隊は散りじりになったが、長鯨・開陽の2隻は慶応4年(1868)10月19日に無事着帆した。目の前に現れたのは「甲板上に出て四方を望むに、積雪山を埋め、人家も玲瓏(れいろう)として実に銀世界の景なり」(『南柯紀行』著・大鳥圭介)と感嘆されるようなエキゾチックな雪の新天地だった。この日から7カ月の間、東
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