タグ

古代に関するfujimon76のブックマーク (6)

  • 触れた物を黄金に変える「ミダス王」の死の真相を記した石碑が発見される - ナゾロジー

    ミダス王を倒した「失われた王国」の正体とは?石碑が発見されたのは、昨年のことです。 地元に住む農家の男性から、「古墳近くの運河で、意味不明の文字が彫られた石碑を見つけた」との報告がありました。 それを受け、シカゴ大学の考古学研究チームが現場に行ってみると、石碑は半分ほど水に浸かった状態にありました。 コンヤ平原から見た古墳/Credit: Photo courtesy of James Osborne石碑を引き上げ後、詳しく分析してみると、記載された文字は古代アナトリア地方で使われた「ルウィ語」と特定されました。 ルウィ語はインド・ヨーロッパ語族の一つで、紀元前16世紀〜紀元前7世紀までの資料が見つかっています。主に「楔形文字」とアナトリアの「象形文字」を組み合わせて使われていました。 以前、別の遺跡で発見された「ルウィ語」を示す石碑/Credit: Oriental Institute

    触れた物を黄金に変える「ミダス王」の死の真相を記した石碑が発見される - ナゾロジー
  • ピラミッドは、いったいどうやって建造されたのか? | Esquire(エスクァイア 日本版)

    How Were The Pyramids Actually Made? 古代エジプト時代に建てられたとされるピラミッド。その異様で威容なたたずまいは、当に人間の力だけで建てたのかと疑ってしまうほど、実に見事なものです(もっとも、人によっては神や宇宙人が建造を手伝ったのでは? と考える人もあるようです)。 これから紹介する動画を観れば、古代エジプト人がもっていた高いレベルの建築術に驚きを隠せなくなると思います。古代エジプト時代はタイヤを使った移動手段がなかったため、砂を濡らすことで石を積んだソリを移動しやすくなるよう工夫がなされていました。そうして、とてつもない量の石を運ぶことができたのでしょう。クフ王が建設したとされるギザの大ピラミッドも、同様の方法で建造したとされています。さらに採石場の隣にピラミッドを造ることで、より効率よく石を運べたようです。 基方位を定めたり、ピラミッドの底辺

    ピラミッドは、いったいどうやって建造されたのか? | Esquire(エスクァイア 日本版)
    fujimon76
    fujimon76 2017/07/05
    こういうネタは息子が大好き。
  • 平安・鎌倉の歌人が残したオーロラの記録が、来たる太陽嵐を予測する

    平安・鎌倉の歌人が残したオーロラの記録が、来たる太陽嵐を予測する2017.04.19 20:105,266 Glycine 時間も空間も忘れさせる神秘の天体現象オーロラ。何千年も昔の中国や日では、この光のスペクタクルに人は何を見ていたんでしょう? それこそ、日の科学者チームが探し求めていることです。彼らは、当時人々がどのような種類の太陽嵐を目撃し記録したのかを知るために、古代の文献を閲覧しています。記録されているオーロラ現象のいくつかは、強力な太陽現象から来る磁気嵐に由来する可能性があると研究者は考えています。もしそうなら、太陽風は電力に依存する現代では昔よりはるかに有害な影響をおよぼすため、これらの記録はどれほど太陽嵐が頻繁に起こるか理解するのに役立つかもしれません。 オーロラ現象は、地球の大気や磁場と相互に作用する太陽からの粒子(特に電子)の爆発で発生し、酸素と窒素が励起(安定した

    平安・鎌倉の歌人が残したオーロラの記録が、来たる太陽嵐を予測する
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • 神戸新聞NEXT|西播|「播磨国風土記」原本は木簡? 歴史研究会が“再現”

    古代播磨の地理や産物などを記録した「播磨国風土記」の原を“再現”する試みを、郷土史家らでつくる西播磨歴史研究会(城内義夫会長)が進めている。ほぼ同時代の出土品などから原は「木簡」であったと推察するメンバーは「紙が貴重品であった当時、このような形で兵庫・播磨の様子が伝えられたはずだ」と自信を持って話す。(大山伸一郎) 朝廷が713(和銅6)年に命じて始まった播磨国風土記の編さんは、1300年前の715(霊亀元)年ごろ完了したとされる。播磨の10郡の記述がある現存する最古の伝は国宝に指定され、奈良県天理市で所蔵されている。しかし、原の形態がどのようなものだったかは明らかになっていない。 同研究会は、3年前に福岡県太宰府市で発掘された7世紀後半の戸籍木簡に注目した。複数の木板に整理用の小さな木札が取り付けられた形を、当時の特徴と判断。現存する播磨国風土記に当時の播磨国の明石、赤穂両郡の記

    神戸新聞NEXT|西播|「播磨国風土記」原本は木簡? 歴史研究会が“再現”
  • 1