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nuclearと歴史に関するholyagammonのブックマーク (16)

  • 外務省、核持ち込み「異論ない」 沖縄返還合意前に伝達 - 共同通信

    1969年11月、米ホワイトハウスで会談する佐藤栄作首相(左)とニクソン米大統領。2人は沖縄返還に合意した(共同) 【ワシントン共同】日米両政府が沖縄の施政権返還で合意した1969年11月の首脳会談直前、当時の愛知揆一外相の意向を受けた外務省幹部がキッシンジャー米大統領補佐官に対し、返還後、非核三原則に背く有事の沖縄への核兵器再持ち込みに「異論はない」と外交ルートで公式に伝えていたことが13日、機密解除された米公文書で分かった。 佐藤栄作首相は外務省とは別に国際政治学者若泉敬氏を密使に立て独自に交渉、キッシンジャー氏との間で数日前、持ち込みを容認する密約を結ぶことで合意していた。愛知氏と外務省は密約を知らされていなかったが、返還交渉の決裂を懸念したとみられる。

    外務省、核持ち込み「異論ない」 沖縄返還合意前に伝達 - 共同通信
    holyagammon
    holyagammon 2017/08/14
    "当時の愛知揆一外相の意向を受けた外務省幹部がキッシンジャー米大統領補佐官に対し、返還後、非核三原則に背く有事の沖縄への核兵器再持ち込みに「異論はない」と外交ルートで公式に伝えていた"
  • 広島原爆:きょう72年 8カ月後の息吹 | 毎日新聞

    被爆から約8カ月後のカラー写真。旧広島瓦斯社(中央)の右奥には旧燃料会館(現・レストハウス)、右端に旧川国民学校も見える=原医研提供 1946年春ごろに広島原爆の爆心地から500メートル圏内を写したカラー写真が、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)で見つかった。写真は米軍病理学研究所(AFIP)から73年以降に返還された資料の一部で、原爆の威力を調べた米戦略爆撃調査団が撮影したとみられる。被爆から約8カ月後でも爆心地付近は焼け野原のままだが、バラックなどが確認できて少しずつ復興する様子がうかがえる。 当時、カラー写真の撮影技術があるのは米軍などに限られ、原医研は「被爆の実相が詳しく分かる貴重な資料」としている。

    広島原爆:きょう72年 8カ月後の息吹 | 毎日新聞
  • 東京新聞:「沖縄部隊 核攻撃を」 キューバ危機で米軍誤命令 現場が回避判断:国際(TOKYO Web)

    沖縄県読谷村にあったメースBの発射基地。ミサイルが8基あり、キューバ危機当時、発射可能な状態にあった(元米空軍兵のデニス・フィッツシモンズ氏提供) 冷戦下の一九六二年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが十四日、同部隊の元技師らの証言で分かった。 キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、六二年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第八七三戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。別の元米兵も取材に応じ、誤った発射命令が出たことを認めた。

  • 被爆翌年、爆心地に草 長崎市が未確認写真150枚発見 [長崎県] - 西日本新聞

    被爆翌年、爆心地に草 長崎市が未確認写真150枚発見 [長崎県] 2013年10月22日(最終更新 2013年10月22日 14時25分) 爆心地を示す矢羽根状の目印。周りに植物が見られる原爆で崩壊した山里国民学校のそばに、簡易な民家が建ち始めている=米国立公文書館蔵 米国立公文書館で長崎原爆に関する資料を調査した長崎市の職員らが、これまで未確認だった写真150枚を見つけた。米国の原爆傷害調査委員会(現放射線影響研究所)の研究者だったポール・ヘンショー氏が撮影したとみられる40枚の中には、被爆翌年の爆心地付近を撮った写真があり、調査をした長崎原爆資料館の奥野正太郎学芸員は「復興の状況が分かる貴重な資料」としている。 ヘンショー氏が1946年12月に撮影したとみられる写真には、爆心地を示す目印の周辺に植物が生え、原爆で崩壊した山里国民学校の北西(現在の橋口町付近)に簡易な造りの民家が立つ光景

  • 原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。 ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。 インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい

  • 中電、13年度も松江市に寄付 - 中国新聞

    広島市中心部の平和大通りでの自転車専用道の整備で、市は年度、中区の平和大橋東側から田中町交差点までの約1キロの区間に着工する。樹...

    中電、13年度も松江市に寄付 - 中国新聞
  • ザ・特集:鳥取・岡山県境のウラン鉱床跡 人形峠から福島見れば - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇はぐらかし、先送り、後手後手の対応…「原子力村」変わらず 鳥取・岡山県境の人形峠。そこで1950年代、原子力発電の燃料となるウラン鉱床が国内で初めて発見された。坑道が閉鎖された後も放射性物質を含む残土が放置され、住民らは撤去を求めて法廷闘争を続けた。今、彼らの目に福島第1原発事故はどう映るのか。【宍戸護】 茶筒型の鉛製ケースのふたを外すと、直径7~8センチの岩石が現れた。くぼみに、黄緑色の粉末のようなものが散っている。ウラン鉱石だ。 「紫外線を当てると黄金色に光ります。放射能は体を突き破りまっせ。記者さん、今ちょっと被ばくしました」 鳥取県湯梨浜町方面(かたも)のナシ農家、榎益美さん(75)がさらりと言う。放射線の線量計(ガイガーカウンター)を当てると、針が振り切れるそうだ。 鳥取・岡山県境の人形峠で大規模なウラン鉱床が発見されたのは1955年。原発燃料の国産化を目指し、発足したばかり

  • 共産党と原発(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    Related to http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2011/03/post-b53e.html *1 「共産党の原発問題の見解についての歴史的変遷」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/9dfee96d82b2491c6772b391c531cd42 ざっくりと 60年代末からチェルノブイリ原発事故以前については、 ブログ「土佐高知の雑記帳」にまとめられていました。 資料:日共産党の原発政策? http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2283.html 資料:日共産党の原発政策? http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2284.html 資料:日共産党の原発政策? http://jcphata.blog26

    共産党と原発(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
  • 鮎川信夫の『死の灰詩集』批判 - apesnotmonkeysの日記

    2005年刊の『戦争の記憶をさかのぼる』(坪井秀人、ちくま新書)の第3章では、1954年にビキニ環礁での被曝事件をうけて現代詩人会が編纂した『死の灰詩集』に対する鮎川信夫の批判が紹介されているのだが、これが現在の震災や原発事故をめぐる状況を考えるうえで示唆に富んでいると思われるので、簡単に紹介しておきたい。 水爆の出現に象徴される現代世界の文明の背景を、立体的に理解しようとせず、うわつらで抗議やら叫喚の声をあげているだけのものが多い。そして、そのほとんどは、復讐心、排外主義、感傷に訴えかけようとしている。敗戦の影響は意外なところで、かつての戦争詩人たちの意識をむしばみつづけてきたようだ。(『鮎川信夫全集』第四巻) 戦時中、バスの運転手は「当局」であったが、今日ではそれがどうやら「世論」とか、「国民感情」とかであるらしい。少なくとも乗客たちは、そう思いこんで満足していたし、いまも満足している

    鮎川信夫の『死の灰詩集』批判 - apesnotmonkeysの日記
  • 47NEWS(よんななニュース)

    競演場、懐厳しく...運営にあの手この手 オリジナルグッズ続々製作、クラウドファンディングも〈高知 よさこい 2024〉

    47NEWS(よんななニュース)
  • asahi.com(朝日新聞社):外務省に核密約裏付ける文書 保管資料調査で発見 - 政治

    岡田克也外相の指示を受けた外務省の日米密約調査で、核持ち込み密約の根拠をなす文書である「討議記録」の存在を裏付ける日側文書が、同省の保管ファイルの中から発見されたことが20日、分かった。日政府の「(討議記録は)承知していない」とする従来の立場を覆すものだ。  外務省は、省内に保管されていた日米安保関係の2694冊、沖縄返還関係571冊、在米大使館にある約400冊のファイルを対象に、密約に関する文書がないか調べていた。調査は終了し、調査チームを率いた北野充・官房審議官(危機管理担当)が同日、外相に調査結果を報告した。岡田氏は来週にも第三者委員会を発足させ、文書の分析や意義の検証をする方針。  討議記録は60年1月の日米安保条約改定直前に日米間で交わされ、核兵器の持ち込みに必要な事前協議の対象を定めている。米側で公開された文書には「米軍機の日飛来や米海軍艦艇の日領海、港湾への進入に関し

  • 広島・長崎の五輪開催案に思う - Arisanのノート

    先ごろ、広島と長崎の市長が、五輪の開催地候補に共同で名乗りを上げるというニュースが報じられた。 この事も、それを聞いたときには、やはり唐突の感がぬぐえないオバマ大統領のノーベル平和賞受賞の報の直後でもあり、どこか違和感があるとは思ったものの、それをどう言葉にすればいいのか分からなかった。 「まあ、東京になるよりはいいよなあ」と漠然と思ったぐらいである。 各国の国威発揚の場であるばかりでなく、すっかり商業化してもいる現在の五輪のあり方が、「核廃絶の必要、平和の尊さを訴える」といった開催への理念にそぐわないという言い分を考えてみても、「そうした五輪のあり方を考え直す機会にする」という反論が用意されているようなので、どうも始末がわるい。 それに、両市の人たち、とりわけ被爆した人たちの間にも、さまざまな意見があるようである。 開催に反対だとインタビューに答えていた老人の「この気持ちは被爆した者にし

    広島・長崎の五輪開催案に思う - Arisanのノート
  • asahi.com(朝日新聞社):日本、「核密約」文書の再機密化要請 公開した米に - 政治

    日米両国の「核密約」の根幹部分が記された公文書が99年に米国で公開された際、日政府が米側に公開を取り消すよう要請していたことが分かった。文書は、核兵器を積んだ米艦船や航空機の日への立ち寄りを事前協議なしに日が認めることを確認した内容。日からの要請の直後、米国務省によって再び機密指定されていた。  当時の政府関係者が匿名を条件に経緯を証言した。米国の公開文書を封印するよう日側が求めた事実は、日政府が「核密約」の存在を国民の目から隠そうとしたことを示している。「核密約は存在しない」という一貫した日政府の主張が崩れ、情報公開の観点からも批判を招くことは必至だ。  問題の文書は、60年の日米安保条約改定を前に、核兵器を積んだ米艦船や航空機の立ち寄りや通過をそれまで通り認めることを日米で確認した59年の「安保条約討議記録」など。60年6月に米国務省北東アジア部が作成した「議会用説明資料

  • 原爆正当化論 - bat99のブログ

    東浩紀氏の著作どころか、ポストモダン関連の書籍は読んだことがないし、ポストモダンそのものにも興味がないので今まで言及していなかったが、どうしても言いたかったことがあるので。 例えば、どっかの国で、「原爆なんかホントは落ちてない」「落ちたけど、すげー人が死んだってのは日人のでっちあげ」という話が出てきた、としよう。 日人として、あるいは個人として、そういうことを言う人に対しては、控えめにいって、かなり不愉快な気持になる。 また、それに対して「絶対の真実などないから、原爆否定論にも耳を傾けよう」という人がいたら、理屈ではわかるにせよ、不愉快な気持にはなってしまう。それが重要な論点で、どうしても言う必要があるのなら分かるけど、さしたる必要もないなら持ち出してほしくはない。 「俺は、ちゃんと原爆の現場見て来たんだぜ。広島の原爆ドーム見たら実感あったけど、長崎原爆資料館は、あんまり実感なかったね

    原爆正当化論 - bat99のブログ
  • 原爆100万人米兵救済神話の起源

    久間章生氏の「原爆はしょうがなかった」発言につづき、米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使(前国務次官)が7月3日に、広島・長崎への原爆投下について「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の数十万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語ったという。 http://www.asahi.com/politics/update/0704/TKY200707040381.html アメリカは以前から、原爆は100万人の米兵の命を救った、として原爆投下を正当化してきたが、今度は、「何百万人もの日人の命を救った」と、日国民にまで、原爆投下に感謝せよ、と託宣するわけである。こんな議論に関して「ほとんどの歴史家の見解は一致する」というのであれば、どういう歴史家がそういう見解を述べているか、ジョセフ氏は明らかにすべきである。 原

  • NHKオンライン

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