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制度分析に関するishikawa-kzのブックマーク (13)

  • 社会参加臨床 メモ - Freezing Point

    カテゴリー当事者ではなくて、プロセス当事者をしなければならない。 カテゴリー当事者という方法は、人権運動や女性運動で取り組まれてきた。 しかしそれだけでは、そもそもカテゴリーで人を分けることそのものの弊害を論じられない*1。 カテゴリーではなく、分析プロセスが、権利を主張しなければならない。(とはいえ、そんな法概念があり得るだろうか) 人や作品について、「ハイカルチャーか、サブカルチャーか」 「マジョリティか、マイノリティか」 「強者か、弱者か」etc... という分類は、それ自体がイデオロギーになってしまう。 大事な分類は、「自分の生きている関係性を素材化できているか」――そこにしかない*2。 外部から誰かや何かを論じるときにも、「加害/被害」を、安易なカテゴリー化に落とし込まない。 関係性の《素材化=プロセス化》は、実験動物のように「一方的に観察される」ことではない。 自分と他者とを同

    社会参加臨床 メモ - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/09/14
    「そもそもその論じようとする作業自体のフォーマットを組まなければならない、それをこそ主題化している(なぜなら、社会順応そのものが問題なのですから)。」
  • 医学都市伝説: リエイゾン精神医学の虚妄(1)

    2006年10月02日  リエイゾン精神医学の虚妄(1) [医学・科学関連] 5年ほど前、こんな文章を書いたことがある。 「リエイゾン精神医学、という領域があり、身体疾患治療過程での精神科合併症を取り扱うのだが、私はこの立場には極めて懐疑的である。身体科医師がちゃんとした対応すればよいので、おかしくなったらはいお願い、というのは例外的であるべきだ。しかも、大概の紹介患者は来の治療へのちゃんとした説明など受けておらず、漫然と抗不安剤が処方されているだけだったりする。病院管理者の立場なら、根的な対処ができるかもしれないが、一診療分野として対応しても、アリバイ的かかわり以上のものにはまずならないと思う。」(2001年10月15日の日記から) なんで突然昔の文章なんぞを引用したかというと、この「身体疾患治療過程での精神科合併症」というものが、何のことはない医療の手抜き、医療関係者のサボりと鈍感

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/08
    「この「身体疾患治療過程での精神科合併症」というものが、何のことはない医療の手抜き、医療関係者のサボりと鈍感さがもたらした結果に過ぎないという」外傷や疾患の適切な治療と併行して精神的ケアが力を発揮する
  • 『造反有理 文革無理』

    みんななかよくヘイトコメントを哂え! (http://haughtycomment.blogspot.com/) のサポート・ブログです。 文革の話。 文化大革命 については、評価の前に年代だけ調べておきましょう。 「中華人民共和国で1960年代後半から1970年代前半まで続いた」 (ウィキ先生) わたしは同世代といっても、子どもの頃のことで、当時も今でも結局のところよくわかっていないのですが、日のマスコミは連日大報道していた記憶はあります。 「自己批判」て言葉は、このころ広く言われるようになったんだと思う。それより以前は、「反省」したり「謝罪」したり「懺悔」したりしていたのだと思います。 何がなんだかわからない、というのが多くの日人の一番多い印象でしょう。でも文化人はそれでは商売にならないので、歴史的意義を説いたり、実態を批判したりしていたのだと思う。 報道機関も文化人も、かなり文革

    『造反有理 文革無理』
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/05
    私は文化大革命をまるで知らなかった。
  • 洗脳されたまま反復する日常 - Freezing Point

    社会参加に関して、実務と理論がある。 ただしひきこもる人も、その状態のままですでに実務に参加している(参加していなければ生きていない)。 ところが、意識だけがその参加状況を黙殺していたら…? これは、ひきこもる人だけの問題ではない。 「参加している状況」は、なかなか反省的に吟味されない。 「その方針だと、破滅するしかないし、周囲が大変迷惑している(少なくともそう主張している)」、にもかかわらず人が主観的態勢を変えることができない、変えるつもりもないらしい、また周囲はそれを変える能力を持っていない。 人はあるカルト的態勢にあり、周囲はそれを軌道修正する能力をもたない。 カルトとスピリチュアリティ―現代日における「救い」と「癒し」のゆくえ (叢書・現代社会のフロンティア) 作者: 櫻井義秀出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2009/01/01メディア: 単行購入: 4人 クリ

    洗脳されたまま反復する日常 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/15
    「 むしろ、「すでに全員が洗脳されている、それを前提にした上でどうするか」という発想が要る。」ネクタイは私も儀式服みたいに見えました。朝のニュースが大本営発表のような洗脳放送だなと思ったこともあります
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/05/18
    「紙のメディアしかなかったときは、そうした節度と常識は、ぶっちゃけ、発表する立場にいる人だけがわきまえていれば良かったんだけど、今はそうじゃないからね。」
  • 目指すべき包摂性のスタイル - Freezing Point

    の難点 (幻冬舎新書) 作者: 宮台真司出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2009/04/01メディア: 新書購入: 28人 クリック: 233回この商品を含むブログ (227件) を見る「母親のおかげで、ヤクザから恩恵を受けてきた」というエントリーに、多くのコメントをいただきました(ありがとうございます)。 以下では、反論というより、議論趣旨の先鋭化を目指します。 エスノグラフィーの手法としては普通だと思うけど。 http://b.hatena.ne.jp/bokudakenosunaba/20090504#bookmark-13270012 「社会学者なら、調査のためにヤクザと付き合っていても当然」というご意見だと思います。しかしそれだけなら、「研究者とヤクザの特殊な関係」を説明すればよいことです。 私が取り上げた箇所で宮台氏は、単に知的事業の説明をしたのではなく、「善意と信頼に

    目指すべき包摂性のスタイル - Freezing Point
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    ishikawa-kz 2009/05/09
    「「親分が黒といえば、白のものも黒になる」といわれる任侠的な関係性には、耐えがたいものが」この部分全く同感です。宮台氏は試行錯誤を強調しながらスタートやゴールを強く固定化してると感じるときがあります。
  • タイトルが素晴らしかったので - 泣きやむまで 泣くといい

    社会福祉学は「知的障害者」に向き合えたか 作者: 中野敏子出版社/メーカー: 高菅出版発売日: 2009/04メディア: 単行購入: 2人 クリック: 7回この商品を含むブログ (2件) を見る 一気に読み終えられるかと思ったが、ずいぶん時間がかかった。 貴重なであることは間違いない(特に書き下ろし部分)。知的障害者福祉論の学説史をまとめようとする人はあまりいないだろうし、これまで見たこともない。知的障害者福祉研究ひとすじでやってこられた著者らしい仕事である。先行研究についてレビューするときの手がかりが得やすくなったという点で、これからの研究者の仕事に寄与するところは大きい。 ただ、この内容を評価するのはなかなか難しい。「発見」の多いかと言えば、そうは言えない。そして、良くも悪くも「社会福祉学」的なまとめられ方をしている。良く言えば多角的だが、悪く言えば議論の焦点が定まりきらないまま

    タイトルが素晴らしかったので - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/05/01
    中野敏子『社会福祉学は「知的障害者」に向き合えたか』興味あります。生活っていう言葉は使い方が広すぎたり、意外と含意によっては厳しい時もある。今までとちがうフレームで整理することの意義はありそうです。
  • 「制度化された紛争」メモ - Freezing Point

    悪意や紛争にはパターンがあり、制度化されている。 法学は、その一部を分類・整理している。 紛争の生成過程に、制度化の創造的プロセスがあるか。 紛争はイデオロギー的とはいえ、それを語る私が制度性の外部にいられるわけではない。

    「制度化された紛争」メモ - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/04/30
    「悪意や紛争にはパターンがあり、制度化されている。」
  • 社会福祉学の反省 - 泣きやむまで 泣くといい

    高沢武司(1970)「社会事業における『実践』の問題とその理論的基盤 ―社会事業理論をめぐる状況についてのノート―」『社会福祉研究』6、28-34。 「実践」に値いする実践が研究者にはみえないところで展開され、創造され、逆に啓蒙的に「実践」が研究者によって空疎に語られていることほど不幸なことはない。(31ページ) いままで演出された論争は、大部分、研究者と研究者の間での檜舞台でおこなわれ、そして「社会科学の一部門に属する学問体系」になり、「政策学」になってしまっている。私にいわせれば、論争の相手は、理論の世界で敵対する相手よりも、現場の実践家として自己の影響下にあり、自己の理論創造の源泉となっているすぐれた実践家に見出し、かれを徹底的に批判すべきであろうと思う。それは、必ず、大きなはねかえりに逢うことになろう。しかし、これは理論が錬えられるためには欠かせない筋道なのではないだろうか。(34

    社会福祉学の反省 - 泣きやむまで 泣くといい
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    ishikawa-kz 2009/04/24
    「「実践」に値いする実践が研究者にはみえないところで展開され、創造され、逆に啓蒙的に「実践」が研究者によって空疎に語られていることほど不幸なことはない。」高沢武司(1970)図書館にあるかな?
  • 精神保健と、順応を要求する実務 - Freezing Point

    精神保健の専門性において、《制度順応》が自己言及的な研究焦点になっていないのは異様すぎる。 専門家を養成するプログラムじたいが、ベタな順応主義を要求している。 とはいえ逆にいうと、「創造性を発揮すると、仕事をしたとは見なされない」ポジションを、個性の神話で軽く考えることはできない。 多くの仕事は、「責任の位置づけ」を固定することで成立する。 それは「使われる側」に顕著とはいえ、経営者は利潤追求の道具だし、医師は治療の道具。 ミッションはポジションが決めている。 精神保健においては、実務的な順応主義が「苦痛のマッチポンプ」であり得る。 あるいは社会復帰支援は、「奴隷になれ」という命令かもしれない*1。 ▼たとえば、複雑さをきわめる紛争処理には、来はたいへんな創造性が必要なはずだが*2、最難関とされる司法試験ですら、「求められていることを書けるかどうか」だけが問われる。 「難しい試験だから、

    精神保健と、順応を要求する実務 - Freezing Point
  • 朝日新聞は取り上げないが - 恐妻家の献立表blog

    こういうニュースが出ていた。 小沢氏秘書、起訴事実は否認=弁護人「認める報道、異なる」−西松献金 3月27日18時11分配信 時事通信 小沢一郎民主党代表の資金管理団体「陸山会」が西松建設から違法献金を受けたとされる事件で、会計責任者の公設第一秘書大久保隆規被告(47)=政治資金規正法違反罪で起訴=の弁護人が27日、「大久保被告が起訴事実について、大筋を認めている報道がなされているが、弁護人らの認識は全く異なっている」とするコメントを発表した。 関係者によると、同被告は逮捕当初から、「政治資金収支報告書の虚偽記入には当たらない」などと一貫して主張しており、起訴事実についても否定しているとみられる。 小沢氏は同被告が起訴された24日夜、記者会見し、「献金を受けた事実をそのまま報告し、相手方をそのまま記載するのが規正法の趣旨であると理解しており、その認識の差が起訴になったと思う」などと述べてい

    朝日新聞は取り上げないが - 恐妻家の献立表blog
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/03/30
    これは相当きな臭い騒動だな。恐いな。吊るし上げとか、ほとんど血祭りとかそういうレベルか。
  • はてな

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/03/26
    「日本の美術批評は、常に文芸批評の周りに衛星としてしか存在してこなかった。」
  • 破綻と制度 - Freezing Point

    治『いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)』Pp.210-216 「個性を伸ばす教育」と言う人の多くは、「個性」というものを誤解している。 「個性」とは、そもそも「哀しいもの」で、そんなにいいものではないのである。 (略) そこそこに平均的で特徴がない――そのような形で一般性に覆われてしまった人間が個性を目指したって、無理である。 「ここまで出来たんだから、その先にある“個性”も」と思ったって、個性は、「その先」に崖から転落して、そうして負った傷からしか生まれないのである。 個性の門口は、「破綻」という形でしか訪れてくれない。 その破綻によってできた傷の痛みに堪える力のない者は、「個性」なんか目指さない方がいいのである。 一般的な達成を得てしまった人間は、一ぺんその達成をぶち壊さなければ、「個性」への道を辿れない。 そんなことはムチャだから、やめた方がいいのである。 ぶち壊しのあとに

    破綻と制度 - Freezing Point
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/03/10
    ガタリ: 制度の中で働く、働かないなんて選択できませんよ。 制度の中で働かない? それはどんなことを意味するのですか?
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