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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (55)

  • 参院選マニフェスト比較2016(障害者分野) - 泣きやむまで 泣くといい

    さて、すっかりブログをほったらかしにしてしまっているのですが、参議院選挙前なので、これだけはやっておこうと思います。「障害者分野」限定のマニフェスト比較です。 ちなみに過去の選挙におけるマニフェスト比較はこちら(衆院選2014、参院選2013、衆院選2012、参院選2010)をご覧ください。各政党の主張がどう変化してきたのか、を知ることも有意義です。 社会保障や教育・保育施策全般はもちろん、経済だって安全保障だって憲法だって「障害者」に関連がないとは言えません。特に「障害」と書かれた部分を抜き出しているだけですので、その点はご理解ください。 自民党 選挙公約2016 https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/manifest/2016sanin2016-06-22.pdf ■持続可能な社会保障制度の確立 ・障害者が自らの望む地域生活を営むことができるよう、「生活」と

    参院選マニフェスト比較2016(障害者分野) - 泣きやむまで 泣くといい
  • 「発達障害による生きづらさ」に向けられる視線 - 泣きやむまで 泣くといい

    当該の番組を見ながら、関係者が少し感じていた不安が的中した気もするが、そう言っているだけでは済まされない論点も提示されていると思う。 赤木智弘氏のツイートに激しく落胆した件 あるいはアスペルガー症候群者と定型発達者の「間」で起こることこそが問題なのだということ http://mindgater.hatenablog.com/entry/2012/05/19/022041 18日夜に、NHKの『情報LIVEただイマ!』という番組で「大人の発達障害」について特集があった。その中で「上司からの誘いを『見たいテレビがあるから』と帰ってしまう社員」などが「発達障害者」として例示されたりした。全体に「相手の気持ちがわからない」ことを自閉症の特徴として強調した部分が多かったのである。 実はこの番組、「血液検査でASD(自閉症スペクトラム障害)かどうかがわかる」という内容が事前から広報されていたため、それ

    「発達障害による生きづらさ」に向けられる視線 - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2012/05/20
    「幅広く「生きづらさ」を抱えた人に対する社会的支援(周囲の人による小さな配慮等も含めて)の必要を叫ぶのか。あるいは、社会性に関わるような「生きづらさ」を「発達障害に起因するもの」と「そうでないもの」」
  • 「現場をわかってない」にアカデミズムはどう対抗するか? - 泣きやむまで 泣くといい

    Twitterでも少し書いたけれど、再整理してみる。 覚えておきたい「橋下リテラシー」 http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20120115 予想するに、おそらく画面上で今後も大学教授や知識人は負け続けるだろうと思う。残念ながら「論理」や「実証」をもってしても、勝てる気がしない。たとえ議論で勝てることがあっても、テレビで勝敗を決めるのは視聴者なのだから。橋下氏は、あの口調であのテンポであの表情で余裕しゃくしゃくと上から下からしゃべり続ける。「自分は現場を知っている」と主張しながら。対戦相手は熱くなれば「痛いところを突かれたのだ」と視聴者に判断されるし、冷静であり続ければ「現場と同じ目線で物を見ていない」と判断される。どう転んでも、負けた印象はぬぐえない。 反橋下の人たちが考えたほうがよいと思うのは、これから国政も含めての彼の「暴走」にブレーキをかけたいのであれば

    「現場をわかってない」にアカデミズムはどう対抗するか? - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2012/01/16
    「大阪の「当事者」としてのポジションに立ち始めた彼とまともに戦えるのは、その政治によって現に追い詰められるおそれがある「当事者」しかいない。」
  • まちづくりワークショップで聞いたハシズム待望論 - 泣きやむまで 泣くといい

    地元で行政計画策定に伴うまちづくり関係のワークショップに参加。 参加者のほとんどが自分から作文まで書いて応募した住民たちである。3ケタに届くか届かないかぐらいの人数。今日が2回目だった。グループを変えて、何度も議論を繰り返す。 行政(や委託業者)によって開かれるこの種のワークショップは少なからず「住民の声を聞いた」というアリバイづくりの狙いか、「自分たちで何かをやろうと思う住民を生み出そう(つなげよう)」という実践的な意図が含まれている。どちらにしても、行政に要求をつきつけられる形で終わらせるのは、主催者の望むところではない。それがもう十分にわかっているだけに、参加が決まったときから自分は何の要求をする気もなかった。仕事を進める中で行政に望むことはたくさんあるが、この場で主張してもほとんど意味がない。誰かしら面白い人に出会えればいい、ぐらいの気持ちである。 実際に参加してみると、自分と同じ

    まちづくりワークショップで聞いたハシズム待望論 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 「老人ホームが内部留保2兆円!」問題のまとめ - 泣きやむまで 泣くといい

    たぶん社会保障関係では有名なのであろう教授が「特別養護老人ホームの内部留保2兆円!」といささか興奮気味でブログに記したのは、12月8日のことであった。 出た!特別養護老人ホームの内部留保は「2兆円」! (学習院大学教授・鈴木亘のブログ(社会保障の経済学)) http://blogs.yahoo.co.jp/kqsmr859 偉い人が「恵まれっぱなしの社会福祉法人が内部で金を貯めこんでおきながら、報酬増を求めるなんてけしからん」と大声で吠えたのだから、「利権」の匂いに敏感な世間はすぐに反応しかねない。実際に「これはひどい」的な反応をするネット上の意見も見られた。 ただ、幸いなことに、はてなユーザーは以外と冷静だった。この記事には多くのはてなブックマークがついたものの、特別養護老人ホームや社会福祉法人叩きをするコメントは少なかった。そこまで単純な話ではないんじゃないか、と、非福祉関係者でさえも

    「老人ホームが内部留保2兆円!」問題のまとめ - 泣きやむまで 泣くといい
  • だからどうした - 泣きやむまで 泣くといい

    報道ステーション。冒頭のニュースは、投資家バフェットの来日。2番目はタニタがレストラン業進出。開始から約20分。他に伝えるべきことがないのだろうか。あるいは暗いニュースのないときぐらい、明るいニュースを伝えようと考えた結果なのだろうか。 報道として、大きなニュースのないときに「社会的には話題性がないが、これだけは伝えたい」と信じるものを発信できないというのは、恥じるべきことと思うが、どうか。

    だからどうした - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/11/22
    「 報道として、大きなニュースのないときに「社会的には話題性がないが、これだけは伝えたい」と信じるものを発信できないというのは、恥じるべきことと思うが、どうか。」
  • 半年あまりが経ち - 泣きやむまで 泣くといい

    大震災 自閉っこ家族のサバイバル 作者: 高橋みかわ出版社/メーカー: ぶどう社発売日: 2011/07メディア: 単行購入: 6人 クリック: 39回この商品を含むブログ (1件) を見る ようやく入手して読了。とにかく貴重な記録。自閉症児とその家族が「被災するとどんな状況に陥るのか」「どんな手立てを打つべきか」はもちろんよく知ることができるけれど、被災を通じて見えてくる大切なものの存在によって、読者は地域社会への信頼を少しだけ取り戻せるかもしれない。 の収益の一部は自閉症関係のところに寄付されるとのこと。だから、被災地支援の一環として買うのもよい。

    半年あまりが経ち - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/10/04
    「大震災 自閉っこ家族のサバイバル」という本の紹介
  • 当事者の「知られたさ」について - 泣きやむまで 泣くといい

    彼にとっては心地よい感覚の得られる行動であり、同時にコミュニケーションの手段のひとつでもあるのだろうが、世間ではとうてい認められる種類のものではない。外出時は特にダメだ。レストランでウェイトレスに悲鳴をあげさせたこともある。 でも、家と作業所ではあたたかく認められたり、楽しく反応されたりしているようなので、外出時だけ制止されたり無視されたりするのは当然納得されない。そして激昂する。こちらの生傷も増える。替わる行動を探ってはみるが、なかなか見つからず。今日のところはしぶしぶ納得してくれたようにも見えたが、次回はどうか。 我々が生きる社会は、誰かによって自分の暮らしを包括的に把握されることを強制されない。居場所が変われば「そこでしか見せない自分」がいる。それで問題がない。だから、他の場所や人がどうあれ「うちではこれでいいじゃん」という支援の理念も現れうる。 支援者は何をどこまで知っておくべきな

    当事者の「知られたさ」について - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/09/25
    「それでも、彼の中で自明とされているルールがそのつど周囲によって壊されていき、かつ何の新しいルールも見えてこないという体験のおそろしさは想像してもよいのではないか」
  • つぶやき - 泣きやむまで 泣くといい

    ・「知的障害児学級」「情緒障害児学級」の区分がまったく意味不明。どうして「情緒障害」なんて表現がいまだに大事に守られているのかわからない。保護者の混乱を招くだけ。 ・「通級」という言葉の意味を正しく理解できていなかったというか、公式にはいわゆる「通級指導教室」に行くのが通級、という見解で正しいのだろうか。だとすれば、もっと多様な形での学級間の往来が親たちの間で「通級」と称されているが、これは表沙汰にはできないものなのだろうか。

    つぶやき - 泣きやむまで 泣くといい
  • まさかの7行 - 泣きやむまで 泣くといい

    自閉症スペクトラム入門―脳・心理から教育・治療までの最新知識 作者: サイモンバロン=コーエン,Simon Baron‐Cohen,水野薫,鳥居深雪,岡田智出版社/メーカー: 中央法規出版発売日: 2011/08/01メディア: 単行購入: 4人 クリック: 30回この商品を含むブログ (4件) を見る 著者は、大御所バロン=コーエン。出版社は、自閉症関係の書籍を出してきた印象があまりない中央法規(amazonで検索かけたら、実際はそうでもなかった)。どんなものかと思って読んだけれど、いい意味で個性の強いになっていた。 「入門」として学生や保護者には薦めるには厳しい。文章も説明もやさしいけれど、実践的なアドバイスをするというよりも、最近の研究成果を通じて自閉症を説明しようとすることが主たる目的になっている。脳科学など生物学的な議論が占める割合が高いのは、まあ当然。 科学的に実証されてい

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  • 親であるだけでは書けない - 泣きやむまで 泣くといい

    読了。積読になっていた。 あの夜、君が泣いたわけ―自閉症の子とともに生きて 作者: 野沢和弘出版社/メーカー: 中央法規出版発売日: 2010/09メディア: 単行購入: 7人 クリック: 125回この商品を含むブログ (1件) を見る 少し前に出されて、ネット上では障害をもつ子の家族からの高い評価がいくつか見られた。いわゆる「当事者」というより「父親かつジャーナリスト」としての著者の力量が強く表れたと思う。 わが子にまつわる思いが抒情的に綴られるところはもちろん心を打つのだけれど、豊かな取材経験と、自身とは異なる立場の「当事者」に対するまなざしと、この国の障害者運動における「親」の位置づけへの自覚と、障害学的(社会モデル的)な知見とが相俟って、オリジナリティのあるエッセイ集となっている。「親だから」書けるではない。「論説委員だから」書けるでもない。「親でもあり、論説委員でもある

    親であるだけでは書けない - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/07/27
    大切な本の紹介
  • 概念モデル - 泣きやむまで 泣くといい

    単なる趣味として研究方法を学ぶ夜。 概念モデルをつくる (臨床家のための臨床研究デザイン塾テキスト) (シリーズ・臨床家のための臨床研究デザイン塾テキスト) 作者: 松村真司,福原俊一出版社/メーカー: NPO法人健康医療評価研究機構(iHope)発売日: 2008/09/13メディア: 単行購入: 3人 クリック: 93回この商品を含むブログ (4件) を見る 100ページほどの薄さで大きな活字のだけれど、これから調査を勉強しようとする人にとっては、かなりの良書。概念間の関係をモデル化するタイプの研究方法が医学の例から学べる。書かれているのは、どんな社会調査のでも説明されていること。しかし、例えと表現が明快。ものすごく読みやすい。学生にイチオシ。 理論仮説から研究デザインへの流れを説明しようとする際に用いられる「例」を、学問分野別にたくさん並べることができたら、方法論研究として面白

    概念モデル - 泣きやむまで 泣くといい
  • 北欧の福祉だけ羨ましがるのはやめにしよう - 泣きやむまで 泣くといい

    北欧諸国が社会保障のモデルとされるのを面白く思わない人は多い。国土、人口、税金、わかりやすい比較ポイントが並べられて、「だから日では無理だ」と言われる。一方で、そうした福祉国家の成立条件うんぬんを言う以前に、社会保障の「手厚さ」が「甘さ」「ぬるさ」のように感じられて、批判したくなってしまう人々も多いだろう。 格差と貧困のないデンマーク―世界一幸福な国の人づくり (PHP新書) 作者: 千葉忠夫出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2011/02/01メディア: 単行購入: 21人 クリック: 616回この商品を含むブログ (5件) を見る このはデンマークの「福祉」に焦点を当てたものではない。著者は日とデンマークの架け橋になろうと長年にわたって尽力されてきた方である。彼によれば、デンマーク型の福祉制度を単純に輸入しようとしてもうまくいかない。しかし、その理由は前述したような論点

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/06/22
    確かに変に羨ましがっても変に勘ぐっても仕方ないよね「「自己決定」「自己責任」に困難さを抱えた人たちが、社会の哲学の中でいったいどんな位置づけのもとに支援を受けられているのか」
  • 保育・幼児教育・療育・障害福祉 - 泣きやむまで 泣くといい

    切羽詰まった保護者にとってみれば、保育所でも幼稚園でも一時保育でも日中一時支援でも児童デイ1型でも児童デイ2型でも、とにかく子どもがどこかに安定して通えればいいのである。しかし、現実にはどこにも安定して通えないことがある。保育所や幼稚園に入れず、通園施設もないとなれば、子どもは曜日ごとに西へ東へのツギハギ支援。事業所はそれぞれ自分のところがほどほどに使ってもらえればそれでいいと思っていて、誰も全体のことなんて考えない無責任っぷり。 金になりやすいからなのか児童デイの事業所がぱらぱらとできてきている。療育をやる気は毛頭ない。単なる一時保育である。しかし、それを大っぴらにはできないので、利用希望者に「行政に『療育を受けたい』と言って、支給決定を打ってもらえ」と言う。そう言われれば、行政は支給するしかないが「療育」だからと少ない支給量にしかならない。ちぐはぐ。 行き場のない幼児の保護者にとって、

    保育・幼児教育・療育・障害福祉 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 本当のオルタナティブ - 泣きやむまで 泣くといい

    近年の特別支援教育をめぐる議論について、ずっと不足・不満を感じていたことがあり、きちんとまとめてブログに書こうと思っていたのだが、かなりのボリュームになりそうで、躊躇していた。そんな中、もう自分が書く必要はあまりないかもと思えるものを見つけてしまったので、リンク。 グレーゾーンへ(16)普通学級の呪縛? 森口奈緒美の問題提起 http://uramonken.at.webry.info/201008/article_4.html 著者は高森明氏。先日自分が書いたことともつながるが、問われるべきは教育のあり方そのもの、と考えるタイプの主張が長い時間をかけてでも少しずつ広がっていくことを望む。「普通学級か特別支援学級か」という二者択一は、無茶である。どこかへの所属を「基」とか「例外」とか言わないためにも、注目。

    本当のオルタナティブ - 泣きやむまで 泣くといい
  • 寄付は「自己満足」と片づけられないために - 泣きやむまで 泣くといい

    タイガーマスク運動について、既に書いたけれど、もう少しだけ。 この種の寄付をめぐる賛否は、古くからある問題である。最初は単純に美談化していたものが、時間の経過と運動の拡大とともに「偽善」「自己満足」「ミスマッチ」その他いろいろの批判・指摘を受けるようになるのも見慣れた光景だ。自分の印象に強く残っているのは、阪神大震災。多くの物資やボランティアが被災地に押し寄せたことによる現地の混乱は有名な話である(「関係者には」の条件つきだったのかもしれないが)。 善意+行動=善行にはならない。 善意+知識+想像力+行動=善行。 荒っぽい公式化とは承知している。もしかしたら知識と想像力があれば、善意さえ不要かもしれない。また、個人の善行の集積で社会がよくなるなんてことも思わないほうがいい。持続可能な支援のあり方はシステムとして作り上げねばならない。寄付・寄贈がなければなりたたない社会福祉では困る。 だから

    寄付は「自己満足」と片づけられないために - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/01/13
    「児童福祉・社会福祉関係者からの発信にも注目したい。今回の場合「子ども」からの発信も聞いてみたいのだけれど。」
  • 寄付をすることであなたも伊達直人になれる? - 泣きやむまで 泣くといい

    群馬の児童相談所前に大量のランドセルが積まれていたのは、昨年のクリスマスの朝であった。差出人は伊達直人。 2件目は年明けだった。1月5日。今度は神奈川の児童相談所前にランドセルが置かれた。いっしょに残されていたという手紙にはじめて「タイガーマスク運動」という言葉が登場する。 お正月をはさみ、多くの人は昨年のクリスマスにあった出来事なんて忘れかけていただろう。この2件目の「タイガーマスク」が決定的にこの後の流れを作ったと言える。最初の「フォロワー」の重要性。 3〜5件目は1月7日である。多様化がはじまる。 長野では児童相談所宛てではあるが、ランドセルは宅配便で届けられた。送り主は手紙で「遅れてきたサンタクロース」と名乗った。「私にも小学1年生になる子供がいます。同じ気持ちで楽しい入学式を迎えましょう」「世の中に私と同じ志の方がいらして共感します」などとも書かれていたそうである。 静岡では児童

    寄付をすることであなたも伊達直人になれる? - 泣きやむまで 泣くといい
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    ishikawa-kz 2011/01/12
    なるほどなあ。
  • 「障害」が笑われているのか? - 泣きやむまで 泣くといい

    ネット上で放映の前後から話題になっているが、視聴率的には0.6%だったらしい例の番組。 笑っていいかも!? http://www.nhk.or.jp/kira/post/info_101204.html 番組内容の紹介記事もなんだか大人気である。 タブーを笑え! 笑う障害者たち http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/ 自分は特に見ようと予定していたわけではないのだが、たまたまチャンネルを合わせて、そのままほとんど全部見た。 脳性マヒブラザーズは以前から知っていて、ツッコミのタイミングもいいし、やっぱり頭ひとつ抜け出ているな、と思った(以前に見たのもこのネタだったので、もっとネタは増やしてほしいが)。あとは2時間の中でそんなに笑うところなかった。NHKがバラエティ的な編集に慣れていないのもあると思う。民放が演出・編集したら、もっと面白く見せられたかもしれない。あと、

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    ishikawa-kz 2010/12/07
    実感的によくわかる記事。「それは「障害」を笑っているのではない。「障害」が一般的な常識や社会通念をぶち壊していく様を面白がっているのである(もちろん中には笑っていられないものもある)」
  • まさかの音読ゼミ - 泣きやむまで 泣くといい

    非常勤講師業。学生のゼミ発表を聞く。世の学生一般を嘆く意図はないので、いちおう改めて書いておくが、Eランク下位の大学である。 もはや見慣れてきた感のある漠然とした研究テーマ。 当然のごとく1冊だけの参考文献(ウェブサイトじゃないだけマシ)。 そのの「目次」をほぼ写しただけと見られるレジュメ。 自分の言葉での発表じゃない。読み上げ原稿があるようだ。しかし、実は原稿ではない。そののコピーそのものである。自分で書いているわけではないので、見慣れない漢字が出てくると、そのつど詰まる。中学や高校の国語の時間を思い出した。 何せのあちこちを全文読み上げるのだから、どんどん時間は経っていく。予定時間を軽くオーバーして、このゼミ史上で最長の発表。終盤は大幅カットしているようだった。全て予定どおりに読んでいたら、たぶんゼミ時間が終わっていただろう。そして、結論部分は内容と無関係に自分の「感想」のみ。

    まさかの音読ゼミ - 泣きやむまで 泣くといい
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    ishikawa-kz 2010/11/16
    【これは大変だ!】「発表のためにゼミに来たことを「がんばったね」って誉めるの? 「長い時間の音読、大変だったね」って、ねぎらったらよかったの? 誰か教えてください・・・。」
  • 「やりたくない」 - 泣きやむまで 泣くといい

    法人での療育開始からおよそ1ヶ月。 こちらに来るようになってから何かができるようになったりしても、それが療育のおかげだなんてことは軽々しく言えることではない。子どもは成長していくものなのだし。 それでも、今まで使っていなかったツールを使うようになって、家庭でも自分の意思を伝えることができるようになった、というような話がたくさん聞かれるのはとてもうれしい。 言葉をたくさん持っていても、やりたくないときに「やりたくない」と言うのが簡単じゃない子どもたちの存在にたくさん触れられたのは、自分にとってよい勉強になっている。 「できる」ことにばかり価値を置き、「できない」ことを「できる」ようにしようとする努力は、しばしば批判される。しかし、自分の意思や気持ちを伝えることができる力の重要さはかなり否定しがたいものであろう。 「やりたくない」カードや表情カードを、うれしそうにつかいこなしていく子どもたちを

    「やりたくない」 - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2010/10/20
    この日記、簡潔にして要を得ている「せっかく「やりたくない」が言えるようになっても、その「やりたくなさ」の背景が周囲に理解されなければ、集団生活の場ではおそらく叱責されて終わりである。はたして」