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2011年9月25日のブックマーク (6件)

  • 今度こそは→難解な哲学書を読めるようにする16の新書

    文章を読むときのアタマの情報処理は、大きく分けると次の2つがある。 文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理と、頭の中の情報をの情報と結びつける(アタマ→文章)処理だ。 すぐにわかるように、自分の中に、そのの内容と結びつけるものが少ないと、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理が優勢となる。 実は、文章から情報を組み上げる(文章→アタマ)処理だけの読書はつまずきやすい。 頼りになるのが文章から来る情報だけになるから、単語や語句に、文や段落のつながりに、文章のテーマや取り上げられるトピックに、そのどこかに分からないところがあると、途端に理解に支障が出るからだ。 逆に、自分のアタマから文章へ向かう情報が豊富だと、文章から来る情報に不明な点があっても、何とか進むことができる。 このことは、特に難しいや外国語のを読むときには、心にとめておいた方が良い。 アタリマエのことだけれど、

    今度こそは→難解な哲学書を読めるようにする16の新書
  • 人と比べられることからの逃避 - 発声練習

    私のすっごく浅いBL感は、中学生か高校生のときに読んだ中島梓:コミュニケーション不全症候群(amazon.co.jp)での中島梓(栗薫)さんの解説であり、小説道場(1)(2)(3)での間接的な説明から来ている。 中島梓さんの個人的内的衝動を言語化したもので、一般化できるものではないのだろうけど、男の目線からの評価が否応なくつきまとうために、それを外す方法として、女がまったく出てこない世界を構築しているという解釈に、ひどく納得したのを覚えている。そして、男性はそういうことがなくてよかったなぁと浅はかに思ったのも覚えている。 ところがどっこい、上記を読んでいた時代とは異なり「イケメン」という言葉が一般的になっているように男性も「女の目線からの評価」が否応なくつきまとうようになっており、それの評価を外すために「リア充」なる言葉をつくって「その基準には含まれない自分」を作り出したのかなぁと感じる

    人と比べられることからの逃避 - 発声練習
  • 東京新聞:想像してみてほしい。深刻な食中毒を引き起こしたばかりのレス…:社説・コラム(TOKYO Web)

    想像してみてほしい。深刻な中毒を引き起こしたばかりのレストランの経営者が、同業者の会合で「品衛生の高い技術を提供する」と言ったら、一体、どう思われるか▼しでかしたのは、はるかに重大な失敗なのだから、野田首相の方が一層、奇異だろう。国連の会合での演説で「原子力利用を模索する国々の関心に応える」と述べ、原発輸出継続の意向を表明した▼脱原発、原発維持のどちら側ともつかず、なるほど“ノーサイド首相”らしくもあった野田さんだが、最近、少し維持サイドに傾く気配。米紙に対しても、定検中の原発について「来年夏に向け再稼働できるものはさせる」と▼地元には、「安全性の確保とか国が責任を持つといった説明」をするというが「絶対安全」などあり得ぬこと、あの原発事故で国民は百も承知。首相はどうやって、その、ないものに「責任を持つ」のか▼無論、「絶対安全」がないのは原発に限らない。風力発電の風車だって絶対脱落しない

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/09/25
    「「絶対安全」などあり得ぬこと、あの原発事故で国民は百も承知。首相はどうやって、その、ないものに「責任を持つ」のか」
  • 平木典子『カウンセリングとは何か』 - 備忘録

    カウンセリングとは何か (朝日選書) 作者: 平木典子出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 1997/10/01メディア: 単行購入: 2人 クリック: 51回この商品を含むブログ (6件) を見る 書は、「特定のカウンセラーと来談者(クライエント)がつくり上げる、二度と同じことがない、独特のかかわり合い」であるカウンセリングについて、その「プロセスの共通点を、敢えて一般化してみよう」という試みであり(第1部)、さらに、カウンセリング理論のこれまでの流れと近年の統合の動きについて整理している(第2部)。 カウンセリングは、その導入にあたるインテーク面接における契約によって開始され、初期段階、中期段階、後期段階という過程を経て、確認された問題(主訴)の解決を一応の目標として終結する(順調な場合)。ただし、クライエントは、カウンセリングを受けるまでのかなりの年月、その問題に関わって過ごし

    平木典子『カウンセリングとは何か』 - 備忘録
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/09/25
    「本書にやや隔靴掻痒の感覚をもつとすれば、行動の変化のためには、自己理解とともに「自己の属する環境」についての理解もまた必要なのではないかという点」
  • Twitter、Facebook、Googleの初期デザインにびつくり。

    Twitter、Facebook、Googleの初期デザインにびつくり。2011.09.19 12:006,680 びつくりっ!ウェブサイトというものは機能が増えたり仕様が変更したりで、そのデザインがどんどん変わって行くものです。今や有名なあのサイトも初期はさっぱりとざっくりと作られていたのです。 そう、トップ画にあるTwitterだって。 TwitterじゃなくてTwttrだし。なんかtimelineとかwhat up? とかグラフィティぽい中二病風なフォントだしね。 そう、Facebookだって。 映画ソーシャルネットワークでもでてきましたけど。Theがはいってるし、顔があるし。 そう、Googleだって。 Yahoo! みたい! [Kottke] そうこ(Casey Chan 米版)

  • 当事者の「知られたさ」について - 泣きやむまで 泣くといい

    彼にとっては心地よい感覚の得られる行動であり、同時にコミュニケーションの手段のひとつでもあるのだろうが、世間ではとうてい認められる種類のものではない。外出時は特にダメだ。レストランでウェイトレスに悲鳴をあげさせたこともある。 でも、家と作業所ではあたたかく認められたり、楽しく反応されたりしているようなので、外出時だけ制止されたり無視されたりするのは当然納得されない。そして激昂する。こちらの生傷も増える。替わる行動を探ってはみるが、なかなか見つからず。今日のところはしぶしぶ納得してくれたようにも見えたが、次回はどうか。 我々が生きる社会は、誰かによって自分の暮らしを包括的に把握されることを強制されない。居場所が変われば「そこでしか見せない自分」がいる。それで問題がない。だから、他の場所や人がどうあれ「うちではこれでいいじゃん」という支援の理念も現れうる。 支援者は何をどこまで知っておくべきな

    当事者の「知られたさ」について - 泣きやむまで 泣くといい
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/09/25
    「それでも、彼の中で自明とされているルールがそのつど周囲によって壊されていき、かつ何の新しいルールも見えてこないという体験のおそろしさは想像してもよいのではないか」