⇒ララビアータ:保守主義 追補 この追捕が俺の記事を見て書かれたのかどうかは知らないけれど、これを読んでますます田島氏の保守理解が独特のものだと感じる。 むかし、エドモンド・バークの『フランス革命の考察』を読んだ時、国王の支配が人民の総意に基づくものではなく、単に法と伝統にのみ基づくものであることが記されてあるのを見て、目からうろこが落ちる思いをしたものである。法の支配が、人民の総意という民主的原理とは違うことがあるということである。 それは、「民主的原理とは違う」のかもしれないが、一体どこが違うのかといえば、チェスタトンはこう言っている。 伝統とは、あらゆる階級のうち最も日の目を見ぬ階級に、つまり我らが祖先に、投票権を与えることを意味する。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどというのは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何ものでもない。