タグ

ブックマーク / zhqh.hatenadiary.org (2)

  • スピノザ『国家論』(岩波文庫)ISBN:4003361563 - (*o*)

    理性だけを頼りに運営されている国家(法律)は、脆弱であり、すぐに支えきれなくなってしまう。感情や欲望を真正面から捉えた上で、うまく運営できるような国家を目指さなければならない。 人間にとって国家は「自然」なもの。国家の権力に人間は全面的に従わなくてはならないと言っても、それはできないことを無理やりやらせるというような話ではない。 というようなことが、具体的な説明に入る前、中盤あたりに、書かれている。『国家論』を要約するとこうなると思う。『エチカ』で見られるようなスピノザの考え方を国家運営に適用したもの。 続けて、「それは、嘲笑されたり吐き気をもよおしたりするようなことをしている人を、尊敬を持って見なければならない、と命令するくらい無茶なことである。」のようなことが書かれている。 こういう文章をどこかで読んだことがあるな、と思いました。よくある文章なのかもしれませんが、永井均さんが、自分たち

    スピノザ『国家論』(岩波文庫)ISBN:4003361563 - (*o*)
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2011/10/29
    「本性を最大限に生かしたもの他の権力の下にあるのではなく、自分で制御している状態、無理してない状態を良い状態、と考えるとなし崩しの現状肯定というのは悪い状態のように思えるから今の自分を認めて許しきる」
  • スピノザの国家論 自然、目的論の批判 - (*o*)

    http://homepage1.nifty.com/kurubushi/card18023.html スピノザの国家は自然的なものである。これを前提に、ホッブズの国家を特徴付けるなら、その国家は自然のものではない、ということになる。つまりは、ホッブズの国家は、人工的な制作物なのである。これは、ホッブズの国家論だけの問題ではなく、ホッブズ哲学の全体に関わる問題である。ホッブズは、その哲学体系を、物体論から始め、人間論、国家論へと至る。しかし、人間とは合成された物体であり、国家とは人工の人間である。そこで一貫しているのは制作の観点である。そもそも物体とはホッブズにとって素材なのだ。そして、スピノザはこうした制作の観点を徹底して批判していた。なぜなら、制作の立場は目的論に関わるものであり、目的論の批判はスピノザ哲学の根主題だったからである。 [これは、国家論に関わる問題と制作に関わる問題に分

    スピノザの国家論 自然、目的論の批判 - (*o*)
  • 1