陽明学は当時の中国で、流布という以上に、いわば熱狂的に迎えられ、爆発的な広がりを見せた。そこには教義ばかりにとどまらない要因がある。 先だつ朱子学も、教義そのものにくわえ、「四書」や語録などの経典ガイドを考案工夫して、入りやすく学びやすくした。それでも朱子学は、いわば「書物主義」である。外在的なテキストを読んで、外から知識を取り入れた人が、はじめて自ら「道」「理」を体得できるのであって、これを「読書」といい、士大夫を「読書人」とも言い換えた。現代中国語でも「読書」といえば、学術研究の意味である。 「読書」には、書物を閲覧できる能力・時間が欠かせないし、必然的に経済的な余裕も必要で、貧困の下層階級にはとても望みえない。朱子学はそうした点、やはり一般の庶民に背を向けた学術だった。 ところが陽明学は、心・良知が重要である。知識は内在する心に直結し、ただちに外的な行動に転化せねば意味がない。あくま
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