また、日本は、特に中曽根康弘総理以来、「西側の一員」としての立ち位置を明確にした。戦後、自由世界を主導したのは、米国を始めとする西側諸国であった。日本は、中曽根総理の勇断によって、「西側の一員」として相応の指導的責任を引き受け、それにより、ヒトラーの同盟国、敗戦国、旧敵国という汚名を雪ぎ、政治的な復権を果たしたのである。 にもかかわらず、日本では、依然として、時折、鬱屈した反米感情が噴き出すことがある。それは戦後に特徴的な現象ではない。かつて、日本は、日露戦争の勝利に驕り、中国大陸への野心を剥き出しにし、1920年代の海軍軍縮時代の頃から、日本の台頭を抑えこもうとした米英両国に対して、悲憤慷慨ともいうべき強い感情的反発を見せるようになった。この驕りと反発が、真珠湾攻撃につながっていく。 敗戦後、近代日本の鬱屈した反米ナショナリズムは、反米・反安保のイデオロギー闘争の中に形を変えて流れこんだ
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