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デリダとラカンに関するmassunnkのブックマーク (1)

  • ラカン、ソシュール、デリダ - 生きてみた感想

    この文章の目的は、ジャック・ラカンとジャック・デリダの思想的関係を、あいだにソシュールを挟むことでちょっと考察してみよう、というものです。それに際して、ジョアン・コプチェクの『わたしの欲望を読みなさい』の三章「切り刻むこと」における議論を参照します。目論まれているのはごくごくささやかなことで、両者を鮮やかに架橋してみせようなどという大それたことではなく、両者の争点の違いと、またその違いを考える際に避けることのできないであろう課題とをわずかにでも浮き彫りにしようとすることだけが目指されます。ちなみにラカンとデリダに関しては、中野昌宏氏の『貨幣と精神』についての感想を書いた際にも少し触れました。(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20060413#p1参照)。はい、ここまでが枕。 ● シニフィアンと恣意性 ソシュールと言えば、言語を差異の体系として捉えなおした人

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