タグ

論理に関するmassunnkのブックマーク (12)

  • 武谷三段階論における「本質」 - 数学屋のメガネ

    武谷三男さんの三段階論を辞書で引くと「科学的認識は「現象論・実体論・質論」の三段階を経ながら発展するとしたもの」という説明があった。ここに書かれている「質論」の「質」とはいったいどのようなものを指すのだろうか。それは、「現象」や「実体」とどのように違うのか。この「質」はやはり関係として捉えられるものなのだろうか。 武谷さんの三段階論は『弁証法の諸問題』というに納められた「ニュートン力学の形成について」という文章の中で語られている。まとめてみると次のようになるだろうか。 現象論的段階 第一段階:現象の記述(実験結果の記述) 「この段階は現象をもっと深く他の事実と媒介することによって説明するのではなく、ただ現象の知識を集める段階である。」……個別的判断、個別的な事実の記述 実体論的段階 第二段階:現象が起こるべき実体的な構造を知る。この構造の知識によって現象の記述が整理されて法則性を

    武谷三段階論における「本質」 - 数学屋のメガネ
    massunnk
    massunnk 2007/09/14
    現象論:ティコ・ブラーエ/実体論:ケプラー/本質論的段階:ニュートン「現象論的認識が不十分であるときは、それを徹底するまでそこにとどまっていなければ、次の実体論的段階には行けないのである」
  • 武谷三段階論と脚気の歴史

    板倉聖宣 1.武谷三段階論とは 2.現象論的認識と感性的認識の違い 3.質論的法則というもの 4.質論的法則にいたる過程が大事 5.現象論的段階の認識の重要性 6.日特有の脚気という病気 7.脚気に悩まされた将軍と天皇 8.漢洋の脚気相撲 9.優等生・森鴎外と軍隊における脚気 10.方針を変更した堀内利国 11.細菌説を批判した北里柴三郎 12.西洋医に抵抗した明治天皇 13.「戦時脚気」とは? 14.陸軍臨時脚気病調査会 15.伝染病研究所と東大医学部 16.科学における党派性 17.何十万人もの脚気患者を製造した森鴎外の科学論 1987年早稲田祭にて講演 テープ提供:直井保雄 編集責任:いとう まもる 1.武谷三段階論とは 板倉でございます。私はもともとが科学の歴史の専門家でございます。 現在は科学の教育を中心とした教育全般の改革の研究をしております。私 の大学から大学院の学生時

  • 現実に存在する実体と実体論的段階で対象にしている実体 - 数学屋のメガネ

    関さんから「モデル理論としての経済学の法則性」のコメント欄に、たいへん興味深いコメントをもらった。このコメントに答えるには、コメント欄の短い文章では真意が伝わらないのではないかと思い、改めて考えをまとめてみようと思う。 それは三段階論の実体論的段階をどう捉えるかという問題であり、ある命題の真理性と、その命題を真理だと認識する人間の理解の違いを考える問題ではないかと感じている。エンゲルスの言葉だったか、「最初の素朴な見方は真理に近い」というようなものがあったように記憶している。最初の素朴な見方というのは、まさに現象論的段階における法則性の認識に相当するものだと考えられるだろう。 エンゲルスは、摩擦が熱に変わるという現象を取り上げて、この素朴な認識が「運動エネルギーが熱エネルギーに変換される」という真理に近いものとして考えられるということを語っていた。物をこすり合わせるとそれが熱くなるというの

    現実に存在する実体と実体論的段階で対象にしている実体 - 数学屋のメガネ
  • ファンタジーの法則 雑感(改訂あり) - わさっきhb

    筆者が個人的に,ファンタジーの法則と呼んでいる問題解決法についてお話しましょう.ファンタジーというのは別世界と行き来する物語のことで,ファンタジーの法則とは,別世界と行き来することで問題をうまく解くという法則です. 【ファンタジーの法則】 「こちらの世界」で解けない問題があったら… 問題を「こちらの世界」から「別世界」に持っていきます. そして,問題を「別世界」で解きます. 最後に,得られた答えを「こちらの世界」に持って帰ります. (プログラマの数学, p.238) この次のページには,世界を行き来する図も掲載されています. 上記のファンタジーの法則について,私が最初に考え方を知ったのは,ラプラス変換でした.大学生のときです.読んだの名前は忘れましたが,ほぼ同形の図もありました*1.一見複雑な微分方程式が,ラプラス変換すると分数式として解くことができ,部分分数分解をしてからラプラス逆変換

    ファンタジーの法則 雑感(改訂あり) - わさっきhb
    massunnk
    massunnk 2007/08/03
    やっぱわかってる人はたとえ方がうまいなー
  • 名言と愚行に関するウィキ

    更新:2022/2/27 ストラッシュ新潟店の気になる口コミまとめ|実際通ってる音の口コミまとめ100:2022年2月27日更新済 ネット検索でよく出てくるストラッシュの新潟店がめっちゃ気になるなぁ。 脱毛サロンとして良さそうだけど、ほんとに痛くないのかな? 通っている人の口コミをみてみたいなぁー。 なんてふと気になったので、さっそくストラッシュの口コミや料金プラン、お得なキャンペーンについて調べてみました!! ストラッシュの新潟店の無料カウンセリングを予約しちゃう前に必ずチェックして下さいねー。 ちなみに、ストラッシュと似たような脱毛サロン店があるかも知れないですが、今回調べてみたのは、こちらのストラッシュ(STLASSH)のお店です。 オープンしました! ストラッシュの新潟店ですが、すでにオープンしています!(2020年12月4日オープン済) もちろんですが、オープンしたてなんでめっ

  • はてなブログ

    4/16(日) 民博、某はるまつり、スラダン 日記サボった、ざっくりつけてく。 起床、昨日夜更かししすぎた。 ちゃんと専門の教科書を読んだら、結構わかりやすくまとめられてて驚いた。今までこれをせずに勉強した気になっていたのか。 教科書というか基は大事だなと再確認。基書とか入門書を大事にしよう。…

    はてなブログ
  • 強力なアルゴリズムの発見が、形式論理的な難問の解決を可能にする - 数学屋のメガネ

    アルゴリズムの心地よさは、その繰り返しが与えるリズム感として、感覚的な心地よさがある。この心地よさにはまってしまった人は、この感覚を味わうことに快感を感じ、繰り返し同じことをすることに飽きることは無いのだろう。これは、好みのスポーツで楽しむ感覚によく似ている。走ることが好きになった人は、その単調な動きにもかかわらず、それを飽きるというよりも、繰り返しのリズムの快感を味わいたくて何度も走りたくなってしまうのだろう。 アルゴリズムの場合は、この感覚的な快感に加えて、自分の思考が進歩し深まっているという感じがつかめると、さらに繰り返し同じ事をすることに快感を感じるようになる。これは、スポーツの場合で言えば、その単調な動作の繰り返しによる運動が、確実に自分のスポーツの能力を高めているという感じがつかめると、単純な繰り返しであるのに、それをすることの快感が高まるという相互作用的な発展の契機をもたらす

    強力なアルゴリズムの発見が、形式論理的な難問の解決を可能にする - 数学屋のメガネ
    massunnk
    massunnk 2007/07/14
    宮台は脳みそのメモリーとHDが増設されすぎてるイメージがあるwその上で社会システム理論というソフトウェアを高速で動かしまくって壊れたり修復したりしてる感じ
  • ブログ記事評価におけるテクストの自律性を問おうとして人格概念と意味についての議論にはまりこんでみる

    最近吹風日記さんの「最近の若者は当にいたか、とカントは言った、皆がを書いている」というエントリでベタ褒めな紹介のされ方をしてしまって、ちょっとキンチョーしています。この吹風日記さん、根が暗いのでリファラを辿って発見したのですが、ウチのようなヘンなブログを評価してくださるだけあって、極私的にかなりヒットでした。 件のエントリは、引用の適切さ・信憑性といった論点を切り口にして展開していくものですが、まず「最近の若者は・・」というネタからしてヤラれました。ツカミが上手いですよね(笑)。 このテクスト後半に以下のような下りがあります。 理想を言えば、「アシモフが言ったから正しい」とか「朝日新聞が言ったから正しい」とか「アルファブロガーが言ったから正しい」とか「アー」とか、そういう判断のしかたをやめて、1つ1つの主張を検証するべきなんでしょう。要するに「だれが書いたか」で判断するのではなく「何を

  • 必然と偶然の弁証法性 - 数学屋のメガネ

    必然性の判断、つまり必ず起こるであろうことを予測する時は、何らかの形式論理の展開による結論が提出されている。形式論理の展開による結論がなければ必然性の判断は下せない。ある物事が必然性の判断が下せないということは、形式論理的な決定が出来ないということを意味する。 この世に必然的なものはない、すべては偶然的だという現実解釈もあるが、これは事実によって否定される。もしすべてが偶然的であれば、必然性の判断を下すことが現実には出来ないことになるが、「科学」と呼ばれる真理を形式論理として展開すれば、未来に対する正しい予測が得られる。ここには必然性というものが存在する。すべてが偶然的なものではなく、あるものは必然性をもっている。 必然性というものを深く理解するためには、形式論理の基原理を知ることが必要ではないかと思われる。そして、必然性を認識した対象に対しては、その結論からは逃れようがないのであるから

    必然と偶然の弁証法性 - 数学屋のメガネ
  • 矛盾は実在するか - 数学屋のメガネ

    「矛盾は実在するか」という問いは、肯定的にも否定的にも答えることが出来る。それは「矛盾」という言葉の概念によってどちらの答も可能だ。実在する対象に「矛盾」という名前をつけて呼べば、これは実在するように名前をつけたのだから、実在するのが当然だ。弁証法的用語としての「矛盾」はこのような言葉になる。 しかし、形式論理で言うところの「矛盾」は、頭の中に作り上げた概念につけた名前であり、これは実在する対象を持たない。想像上の概念は、基的に実在する対象を持たない。だから、神という概念も、それが想像上のものである限りではその概念に対応する実体は実在しない。 しかし、想像上の対象であっても、現実を解釈することによって、その概念と実在する実体とを対応させることが出来る。この対応は、想像上の概念が実在することの証明ではなく、あくまでも解釈に過ぎないのだが、逆転した錯覚のようなものを感じることもあるだろう。解

    矛盾は実在するか - 数学屋のメガネ
  • 人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ

    主観と客観は対立するものとして現前する。主観は、ある個人の頭の中に存在するもので、その個人を離れて外に飛び出すものではない。それに対して、客観と呼ばれるものは、個人との結びつきを断ち切って、個人とは独立に存在するものとして対象化される。だからこそ、個人の単なる思い込みではなく、誰もがそれを同じように対象として認識できるので、その属性を誰もが認めうるような一般性を獲得することが出来る。 個人の好き・嫌いに関する感情は、客観性をまったく持たない主観だけの範囲で語られてもかまわないものだ。好き・嫌いという感情は、そのこと自体が悪いというような価値判断は出来ない。その感情が生まれてくるのはある意味では仕方のないものとして受け止めなければならない。 例えば、ある芸術作品が自分の好みに合っているという、好きという感情は自分の主観である限りでは、誰も間違えるということはないだろう。この、好みの感情は、個

    人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ
  • 論理とはなにか? - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)

    たまたま、"What is a logic, and what is a proof?" (April 8, 2005) by Lutz Strassburgerという論文を見つけて、読んでみました。比較的短い(印刷して12P)解説的な論文です。表題のとおり、 論理とはなにか? 証明とはなにか? という2つのテーマを扱ってます。後半1/3程をしめる「証明とはなにか?」が僕はよくわからんかったのだけど、前半は、「論理(a logic)は圏だよ」という主張をとても上手に説明しています。で、まー、この前半部分を紹介しようかと。 ただし、以前に書いたエントリーを参照しながら私見を交える(私見のほうが多いかな)ので、上記論文の忠実な紹介にはなってません。気になる方は原文を読んでくださいね。 第1回(このエントリー) 第2回 第3回 第4回(完) 今回の内容: プレ順序集合 論理とはプレ順序集合なり

    論理とはなにか? - 檜山正幸のキマイラ飼育記 (はてなBlog)
  • 1