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言語に関するmassunnkのブックマーク (15)

  • 原子概念誕生の瞬間を想像してみる - 数学屋のメガネ

    原子論というのは、「すべての物質は非常に小さな粒子(原子)で構成される」という主張の事を指す。これは今では科学的に正しいということが証明され、すべての科学者はこのことを前提として科学的な考察をしている。だから「原子論」については、それが正しいということや、その正しさが確立されてきた歴史というものはいろいろと解説してくれる資料は多い。 僕の尊敬する板倉聖宣さんも、『原子論の歴史(上)(下)』(仮説社)というで原子論の正しさとその「論」の歴史については詳しく書いている。だがここで想像したいのは「論」の正しさではなく、「論」の意味を正しく受け取るための「原子」の概念がどのように誕生してきたかということだ。 「目に見えないほど小さい」とか「すべての物質の構成単位としての極限的なもの」であるとかいう「原子」のイメージがどのようにして生まれてきたのかということを想像したい。これはそのような問題意識で

    原子概念誕生の瞬間を想像してみる - 数学屋のメガネ
  • 言語の区別を巡るメモ - Living, Loving, Thinking, Again

    先ずは、 森和也「「漢文」は「中国語」ではない」http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/5894143.html いいたいことはわかるのだが、比較の対象が??である。「漢文」と現代のマンダリン(普通話)を比較しているが、「漢文」と比較すべきは寧ろ現代の口語的な書き言葉である白話文であろう。「漢文」が白話文と違うのは、現代日の文章が『源氏物語』や『平家物語』の日語(所謂古文)とが違うのと同じである。漢文はレ点を打って、読み下すことにおいて、日語へと引き入れられる。「漢文」は中国語でもあり、日語でもある。いや、「中国語でもなく日語でもなく、つまりはクレオール的存在」*1と言った方がいいだろう。「漢文」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050717も参照されたい。 それで、http://d.hatena

    言語の区別を巡るメモ - Living, Loving, Thinking, Again
    massunnk
    massunnk 2007/09/15
    「線を引き・区別すると、その境界線の帰属が問題となってくる。いったい、どっちに属すのか。区別をすればするほど、どっちでもあり・どっちでもないという存在をどんどんと産出してしまうことになるのである」
  • 「言語はグルーピングできる」という「宗教」(メモ) - 女教師ブログ

    言語*1 要 点 個別言語の区切りは恣意的に決まっている 「国家」という政治的区切り文化、エスニシティという「政治的」区切り恣意的なものを「実体」のようにとらえるのは思考停止であり、宗教的(でも、別にそれが悪いとはいってない) sho_ta「話者数は推計できる」という考え方の根には、「言語はグルーピングできる」という根思想があるわけね。この根思想は、現代主流派言語学の「所与の前提」、あるいは「宗教」と言い換えてもいいわけ。面白そう! 詳しく!!!!!http://d.hatena.ne.jp/terracao/20070828/1188319342#c1188649459 「話者数を数える(推計する)」という営みには、「言語Xの話者をグループ化して数えることができる」という前提がなければできません。そして、「グループ化できる」ということは、「言語Xは実体的まとまり(共通の特徴)を持っ

    massunnk
    massunnk 2007/09/10
    ウィトゲンシュタイン君の「家族的類似性」がヒントになるのかもしれないと直観
  • 言語哲学について整理 - logical cypher scape2

    なんか、選挙について書こうかなーとか思っていたのですが、面倒なのでやっぱりやめようと思いました*1。 そしたらさっき、このブログでは最近よく言及したりコメントをもらったりしている(ような気がする)ggincこと高橋さんとメッセをして、何か面白かったのでログをメモ代わりに残しておきます。 といっても、僕の発言だけです。 高橋さんから、「現在のフランス王」とか「丸い四角」とかは、「偽」なのか「ナンセンス」なのか、と質問されたのが話のきっかけです。 SAK の発言 : うーん、それはそもそもどういう立場に立つか、どの説を、あるいはどの領域を採用するか、ということで変わってくる問題だと思うのですが ラッセルの記述理論の立場をとると、「現在のフランス王は禿である」は、はっきりと「偽」ですが ストローソン的な、言語行為論の立場をとると、これは「真」とも「偽」ともいえなくなってきます ただ、これは授業で

    言語哲学について整理 - logical cypher scape2
    massunnk
    massunnk 2007/08/04
    ウィトゲンシュタインはある意味すげーわかりやすかったりもするんだけどなー
  • 三度「美的判断」について - 死に舞

    もうオリジナルの議論からはほとんど離れてしまったが、まだまだ「美的判断」について書くことがあるから困ったものだ。いい加減にしたいところではあるが、やはりこれは美学の根幹にかかわるから書かないわけにいかない。とりあえず語り口をぬるくして続けていくことにする。 ここまでに議論に関しては以下を参照して欲しい。 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20070417/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20070413/p1 http://d.hatena.ne.jp/shinimai/20070419/p1 今回は「反応と判断」という問題から持続する形で「非言語的な美的判断」に関して書いてみたい。 非言語的な美的判断の可能性 上のエントリーでは書かなかったが、昨日行ったイベントで一番興味深く感じたのはこんなことだ。大学で無料で行われるライブ

    三度「美的判断」について - 死に舞
  • http://awarm.blog4.fc2.com/blog-entry-350.html

    massunnk
    massunnk 2007/07/04
    自生的秩序
  • 三色スミレの成長日記 - 資本主義から市民主義へ

    書の核となっているのは、『「言語・法・貨幣」の自己循環論法』への視座です。「言語は言語であり言語であるから言語である。」「法は・・・」「貨幣は・・・」と言ったような。それぞれ実に不思議なモノです。資主義から市民主義へ作者: 岩井克人, 三浦雅士出版社/メーカー: 新書館発売日: 2006/07メディア: 単行書の的確な*1批評的感想は、最後のほうに我が敬するPreBuddha氏のブログ記事を付します。以下(引用文)は、書で興味を持った部分の抜書きです。それらは三つのカテゴリー、「文学」「遺伝学」「言語学(言語哲学)」からなります。内での岩井克人氏と三浦雅士氏の語りは、時に対談であり、時に口頭試問のようでもあります。三浦氏の巧みな要約や的を射た質問に感心しました。やりとりは、哲学はさることながら、言語学、法学、経済学数学、人類学、心理学(精神分析学)等、極めて広い範囲に及びます

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……

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  • 言語について  - logical cypher scape2

    言語は現実の世界と直接結びついてはいないのだ。むしろ仮想の世界を作り上げると言ったほうがいい。 ■言語について素朴に考える(1) −東京の散歩と昼寝 という部分を読んで、西垣通の『こころの情報学』を思い出した*1。 上述の記事では、人の使う言語と動物の使う言語との違いは、シンボルの有無とされている。 一方、西垣の場合*2、それを文法の有無*3に求めている。 つまり、言語の起源において、まず意味論のみの言語が作られる(これは人以外も使う)。「意味論のみ」というのは、ここでは、言葉と現実にある指示対象が一致していることを指しているのでインデックス的と言うことも可能でしょう。 そしてその後、統語論(文法)の持つ言語が生まれた。 では何故このような順序で言語が進化したのか、西垣は以下のような仮説を挙げている。 つまり、フィクションを伝えるため、である。 神話あるいは時空間的に隔たった出来事を伝え

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  • Passion For The Future: 日本語と日本人の心

    語と日人の心 スポンサード リンク ・日語と日人の心 1995年に開催された大江 健三郎,河合 隼雄,谷川 俊太郎という豪華な3人のパネルディスカッションの記録をベースに構成した日語・日文化論。 西欧的な論理性の文体の小説家である大江と、翻訳不能な母語の土着性を重視する詩人の谷川は、日語に対して意見の隔たりが大きい。互いの仕事へのレスペクトを終始忘れない穏やかな言葉遣いでありつつも、質をめぐる議論では対立が明らかに目立ってきて、スリリングな展開がある。 大江氏曰く 「 ですから、文学の創造性ということを、神が創造性となぞらえて考えることは、私はまちがいじゃないだろうかとおもう。言葉という共通のものを用いながら、しかも個人の輝き、この人だけのものという輝きがあるものをつくりだすのが文学で、それは無意識とかいうことよりは、共通の言葉をどのように磨いていくかということに問題があ

  • 立川健二・山田広昭:現代言語論―ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン (ワードマップ) - はてなキーワード

    立川健二・山田広昭:現代言語論―ソシュール フロイト ウィトゲンシュタイン (ワードマップ) - はてなキーワード
  • 『年報社会科学基礎論研究』03>本石修二“なぜ言語は人間にとって問題になるのか─「言語論的転回」とは別の仕方で─”

    はじめに 1.思想の歴史における「転回」 2.「言語論的転回」以降 (1)  言語論的転回の企図─言語優先の原則 (2)  言語論的転回の機能─伝統的哲学への批判 (3)  言語論的転回の特性─言語現象の普遍性と自己関係性 3.なぜ言語は人間にとって問題になるのか おわりに はじめに 今日の思想状況を捉えようとするとき、20 世紀までの思想の大きな流れを再確認することが必要であるだろう。小論は、思想のこの大きな流れのなかに見出されるいくつかの転回のなかから、いわゆる「言語論的転回」に着目し、現在を「「言語論的転回」以降」と捉える観点から「人間にとって言語が問題になる」1ひとつの局面を提示する試みである。「言語(言葉)」という観点から、思想におけるさまざまな「現代哲学の対立軸」[野家,2003: 1-4]のひとつを見出すこと、具体的には「言語論的転回以降」における「意味(Bedeutung,

  • http://anotherorphan.com/2006/08/post_351.html

    massunnk
    massunnk 2006/08/07
    『むしろ切迫した状況を伝える際に「こそ」、顔文字は選ばれるのだった』
  • のイメージングをやり直す(1)  パロールの循環 - 現在思想のために

    <言語>のイメージはそれこそ手垢にまみれてしまっている。記号学の問題として<言語>へアプローチを開始するためには、まずもって真実味のある言語のイメージを描くことから始めなくてはならない。以下はそのための覚書である。テーマがそれなりに大きいので、これはその初回の内容(このブログの他の記事もすべて同様といえばその通りであるが)。またすでに公にした文章が利用されている点もお断りしておこう。 1 20 世紀以降の<正統的言語学>が依拠する言語イメージとその存在論的含意 ここで<正統的言語学>と呼ぶのは、おおむねソシュールが礎石を据えた以後に展開された言語学をいう。もちろんそうは言っても、現に行われている優勢な言語学には幾とおりも種類があり、一概にそれらをひとからげに評価するわけにはゆかない。しかしソシュール言語学が創出し提示した<ラング>(langue)としての言語、つまり<言語記号のシステム>(

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