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デリダに関するmassunnkのブックマーク (13)

  • 映画へのメッセージ(東浩紀、佐野好則) 公式HP映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」

    デリダの弟子であるカトリーヌ・マラブーなどが喋っている映像を見ていると、デリダ的精神がどういう形で血肉化して生き継いでいるかということが具体的に見えてくる。この映画ではデリダの魂がまさに制度として生き継いでいることがわかって、力強いというか、少し胸が熱くなる思いがした。

  • スティグレールから見たデリダ - 生きてみた感想

    スティグレールの来日が数日後に迫っているということと、ほかにもちょっときっかけがあって、ここ数日、スティグレールについてあらためてつらつらと考えていたので、そのことについて書こうと思います。内容は、スティグレールが提示している考えから遡行して、彼の師匠であるデリダを位置づけなおす、というものになるかと思います。結論を先取りして書きますが、そのパースペクティブではデリダは、二つの思想系列の交点に位置づけられることになります。すなわち、 a)ダーウィンの進化論からマルクスの唯物論へとつながる系譜 b)プラトンからはじまりカント、フッサール、ハイデガーと連なる超越論的哲学の系列 この後者の超越論的哲学の系列については、あらためて指摘するまでもないかと思います。デリダはフッサールを批判することから自身の哲学を開始させたわけですし、彼の「脱構築」もハイデガーによる西洋形而上学の破壊を別の観点からやり

    スティグレールから見たデリダ - 生きてみた感想
  • 【MAD】 モダンバスターズ!

    初めて作った動画が何という誰得動画。俺得なのかすら怪しい。フランス現代思想に偏っているのは仕様です。あくまでネタなので「お前の理解は間違いだ!」とかせまらないでください(でも明らかに間違ってたら教えてくださいw)。ちなみにうp主はリオタールが好きです(笑)攻略の際は、各社から発行の攻略(登場人物の著書)を参照の上、じっくりお楽しみください.........(8/10追記)ステキな歌詞をつけてくれた方、ありがとうございます!

    【MAD】 モダンバスターズ!
    massunnk
    massunnk 2009/08/11
    脱構築はおまかせww
  • 純粋スキゾ批判:Critique of Pure Schizo / kay shixima blog:都市文化論・第十回 - livedoor Blog(ブログ)

    第十回は冬期休暇に入り、補講を行う。 ジャック・デリダが京都の大徳寺で浅田彰と磯崎新からインタビューを受ける模様を録画したNHKの番組と、Ryu's Bar最終回、柄谷行人出演の回をDVDで鑑賞した。 こうしたハイブローな番組がかつてはゴールデンや民放で流されていたのだが……。オタク化、幼児化、動物化した今日ではもはや考えられない。

    massunnk
    massunnk 2008/12/28
    そんなテレビ番組が…!
  • デリダは何と言っているのか - HODGE'S PARROT

    『生きることを学ぶ、終に』で、ノエル・マメール市長による同性婚容認を「ためらわずに署名によって支持した」デリダが、同書でホロコースト否定論について何といっているか記しておきたい。 ジャン・ビルンバウム──この観点から(大学の無条件的自由に対する絶対的な要求)、ガス室の存在とショアーの現実性を否定する否定論者たちのケースをどのように考えるべきでしょう? ジャック・デリダ──あらゆる問いを提出する権利はあります。その上で、問いに応答する仕方が偽造や明らかに事実に反する断言を言い募ることであるなら、その挙措がもはやまっとうな知や批判的思考に属さないものであるなら、その場合には事情は違ってきます。それは能力欠如あるいは正当化されない道具化であって、その場合には制裁を受けることになります。出来ない生徒が制裁を課されるように。教授資格を持っているからといって、大学で何を言ってもよいということにはなりま

    デリダは何と言っているのか - HODGE'S PARROT
    massunnk
    massunnk 2008/12/04
    「しかし、原則として大学は、批判的討論が無条件的に開かれたままでなくてはならない唯一の場所であり続けています。それこそが、私が固執する遺産なのです」
  • 元長柾木氏への手紙 - 最終批評神話 / re=c

    村上 | 12:20 |  村上です。 元長さんに今回の企画を依頼する際に、長大かつ不躾なメールを送りつけました。普通に4000字以上あったので、これはこれで一つの論になるのではないか、という感じで当だったら同人誌に資料としてでも収録しようかと思っていたのですが、結局あぶれてしまいました。 実際はこの文章の前にヌルいメールを送ってお断りを受けてしょんぼりしたり、あとは逆に下記文章に関しても、平行―平面というモデルがキャッチーじゃないのでそこを色々考えなおすとよい、といったような、「道場」さながらに指導的なアドバイスを受けたりと、これ自体が非常に貴重な経験になったことは今も記憶に鮮やかです。(そういえば元長さんはゼロアカ道場なんだからもっと門下生に稽古をつけてあげないと、ということを仰いでした。) まあともあれいずれにせよ、なんというかこの文章は、そこでいわれていることが批評的にどうかとい

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    massunnk 2008/11/04
    村上氏による東浩紀批判
  • ジャック・デリダ “Mal d’archive”その2 - 生きてみた感想

    ● 前置き フロイトについて論じたジャック・デリダの“Mal d’archive”について感想を書いた前回(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20070213#p1参照)のつづきを書きます。ただその前に簡単な注意喚起。僕は基的に、読んだに実際に書かれていた内容を手際よくまとめる、ということが苦手です。むしろ、自分がそれをどう理解したのか、にどうしても焦点が当たってしまい、書いているうちに必ず実際に書いてあったこととは、表面上は別のことを書くことになってしまいます。ただ、そのについての理解としては間違っていないことを書いている、と自分では考えています。前回の感想文もその口であり、途中からは“Mal d’archive”そのものの内容からはいくらか離れて、それを理解するために必要だと思われる補助線を引くことがメインになってしまっています。その点、くれぐれも

    ジャック・デリダ “Mal d’archive”その2 - 生きてみた感想
  • 2007-02-13

    読書感想文を書きます。今回のお題はジャック・デリダの“Mal d’archive”。95年にガリレー社から出版されたこのは、アーカイブという概念をひとつの軸としてフロイトを論じているものです。まず一読して、技術やメディアの問題に関する自分の興味関心からいって、これをいままで読んでいなかったのはきわめて重大な手落ちだと痛切に思い知りました。またそれだけではなく、その分析というか、フロイトの議論に寄り添いながら同時にそれを切り刻んで少しずつ新しい光景を示していく手際は、その他の多くのデリダの著作に比べても、格段に鮮やかであるように思いました。まだ読み終わってからそれほど経っていない(一週間くらい前ですが)というのもありますが、いまのところ、この“Mal d’archive”はデリダの最高傑作の部類に入る、というような印象を持っています。 この“Mal d’archve”というタイトルをどう訳

    2007-02-13
  • 生きてみた感想 - デリダとスティグレール

    フランスの思想家ベルナール・スティグレールの哲学のひとつのエッセンス(だと個人的に思えるもの)について文章を、二回に分けてアップしてきました。 「痕跡とプログラム」 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061222 「プログラムとリズム」 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061226 その後、コメント欄でのやりとりなどもあり、スティグレールとデリダとの関係が気になる人はやはり多いだろうと思い、物質性という問題に限ってですが、デリダとスティグレールの議論の焦点の違いについて簡単にまとめた箇所をアップすることにしました。 いつものように注意書き。 1、文章の属性 全体で原稿用紙換算で1000枚ほどからなる修士論文の序論部分のほぼ最後の方の一部。 2、読む際の注意 序論はフッサールの「幾何学の起源」とそれに付されたジャック・

    生きてみた感想 - デリダとスティグレール
  • ラカン、ソシュール、デリダ - 生きてみた感想

    この文章の目的は、ジャック・ラカンとジャック・デリダの思想的関係を、あいだにソシュールを挟むことでちょっと考察してみよう、というものです。それに際して、ジョアン・コプチェクの『わたしの欲望を読みなさい』の三章「切り刻むこと」における議論を参照します。目論まれているのはごくごくささやかなことで、両者を鮮やかに架橋してみせようなどという大それたことではなく、両者の争点の違いと、またその違いを考える際に避けることのできないであろう課題とをわずかにでも浮き彫りにしようとすることだけが目指されます。ちなみにラカンとデリダに関しては、中野昌宏氏の『貨幣と精神』についての感想を書いた際にも少し触れました。(http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20060413#p1参照)。はい、ここまでが枕。 ● シニフィアンと恣意性 ソシュールと言えば、言語を差異の体系として捉えなおした人

    ラカン、ソシュール、デリダ - 生きてみた感想
  • 感謝!存在論的、郵便的(マンガ版)へのコメント集 - Gちゃんねる

    amazon http://shi3z.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_34f5.html Lianのメモ帳@はてな さまより http://d.hatena.ne.jp/Lian/20071019/1192724466 東浩紀氏の「存在論的、郵便的」という著書の存在自体は知っていたものの かなりまともそうな哲学書という印象で中々読む気になれませんでした。 しかし、マンガ版の存在を先日知ったので、これはちょうどよさそうだと購入。 で、買ってまず第一に驚いたのがその絵 Amazonの書影は見ていたものの表紙だからと特に気にせずにいたのですが まさか中までこのクオリティで書かれているとは・・・ よく大学の先生とかがイラストで何かを説明するときに「これはマンガですが」とか言いますが(少なくともうちの大学は) まさに、そう言った意味でのマンガという感じ。 普

    感謝!存在論的、郵便的(マンガ版)へのコメント集 - Gちゃんねる
  • https://www.hirokiazuma.com/texts/ecriture.html

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    オーベルジーヌ実レポ べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモンってんのか 許せねえよ………

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