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アートに関するmassunnkのブックマーク (59)

  • デバイスアート・シンポジウムに行ってきた - 毛のはえたようなもの

    5月13日に早稲田大学で開かれていた「デバイスアート・シンポジウム」に行ってまいりました。 正確に言うと、別の用事があって、たまたま通りかかったら開催されていたので、ラッキーでした。 自分の研究分野で有名な岩田先生と稲見先生、また、そんな研究者と一緒にお仕事をしていらっしゃる八谷さん、立ち振る舞いからして”見世物的な”明和電機の土佐さん、UCLAのErkki Huhtamo氏、コーディネータの草間先生のお話を聞いてきました。 いくつか印象的だったトピックについて、メモを起こし、まとめます。 とても刺激的な2時間半でした! アートはOpen-endedな問いであるべき 「アートは何かと問われたらOpen-endedと答えます」とHuhtamo氏。 見る者に解釈を委ねる、答えを提示しない問いであることがアートであるそうです。 そして、アートは、その意味でオープンなコミュニケーションであるそうで

    デバイスアート・シンポジウムに行ってきた - 毛のはえたようなもの
    massunnk
    massunnk 2010/05/14
    「アートはOpen-endedな問い」「Crazyであれ」「もやもやしたものを物にぶつける、とにかく作ってみてはじめて自分のやりたいことが分かる」「物には魂がある」
  • http://www.kafuo.net/index.html/

    massunnk
    massunnk 2010/05/14
    エロティック
  • メディアアートの祭典『アルスエレクトロニカ』の特集展、岩井俊雄、明和電機らの作品も | CINRA

    『アルスエレクトロニカ』の30周年を記念した日のメディアアートの特集展『サイバーアーツジャパン−アルスエレクトロニカの30年』が、2月2日から東京都現代美術館で開催される。 『アルスエレクトロニカ』とは、1979年にオーストリア・リンツ市で創始された世界最大の電子芸術フェスティバル。約5日間に渡って開催される100を超える多彩なイベントに、毎年10万人以上の観客が集まるのと同時に、多数の新しい才能を世界に送り出してきた。また、これまでに冨田勲、坂龍一+岩井俊雄や明和電機などをはじめとする日人も多数の受賞と参加を遂げており、日とも深い絆で結ばれてきた歴史をもっている。 同展は、そんな『アルスエレクトロニカ』について、日との関わりを中心に紹介する特集展だ。「平野啓一郎+中西泰人+森野和馬+ケンイシイ」や岩井俊雄、明和電機、八谷和彦といった歴代受賞者による受賞作や近作、新作が展示される

    メディアアートの祭典『アルスエレクトロニカ』の特集展、岩井俊雄、明和電機らの作品も | CINRA
  • GEISAIゼロアカブーストークショー 第二部 東×黒瀬対談 - 藤田直哉のファイナルザクティ革命

    GEISAIゼロアカブーストークショー 第二部 東×黒瀬対談 - 藤田直哉のファイナルザクティ革命
  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
    massunnk
    massunnk 2009/01/05
    アウトサイダーをひきこもりと結びつけるのはちょっと無理があるように感じるが、面白い斎藤環批判。けど斎藤環は本業医者だからしょうがないような気も…。
  • 三鷹天命反転住宅 - SUPER FLAT 2

    これから私が言うことは、もしかしたら古谷利裕の「セザンヌと村上隆を同時に観る」という馬鹿げた妄想以上に狂ったことなのかもしれない。おそらく私はそれで読者の多くを失うことになるだろうし、自らの批評家生命を絶つことにもなりかねないのである。しかしそれでも言っておかねばならないのだ。私には、三鷹天命反転住宅とでじこが同じものに見える、のである。かなり前からうすうす気がついていたわけだが、ついにフラグが立ったのは、以下の斉藤環の一文を読んだときである。 >インタビューにおけるリンチは、あまり多くを語らない。寡黙なのではなくて、当に言葉が貧しいのだ。一見物静かで常識的な大人にもみえるこの映画監督が、家の中では魚やトリを分解して「魚キット」などを作っては喜んでいる事実は、何を意味するのだろう。(斉藤環著『文学の断層』序文13ページより抜粋) この「魚キット」という言葉を目にしたとき、私は自分の頭の中

    三鷹天命反転住宅 - SUPER FLAT 2
    massunnk
    massunnk 2009/01/04
    何かを受信
  • 映画 『破片のきらめき 〜心の杖として鏡として』 - Freezing Point

    【予告編】 (2008年内の上映情報) 「NHKトップページ」→右上の「福祉」→「福祉ネットワーク」→「2003年4月〜2006年3月の放送記録」→「2005年6月21日: アートが心を癒してくれた 〜映画『心の杖として鏡として』〜」――と辿っていただくと、この映画を取り上げた番組の放送記録にたどり着くことができます。*1 以下のイベントに参加してきた。 上映会と討論会: 《心の杖として鏡として ――精神医療と芸術活動》 1967年から東京足立病院、丘の上病院(95年閉院)、平川病院などで造形家 安彦講平(あびこ・こうへい)氏によって行われている「造形教室」。 そこで試行されてきた、自己表現の体験を通して自らを癒し支えていく「営み」としての創作活動は、医療とは何か、そして「アート」とは何かということを今一度問うことを私達に求めているのではないだろうか。 日時: 2008年12月20日(土)

    映画 『破片のきらめき 〜心の杖として鏡として』 - Freezing Point
  • vol.15 P3主宰 芹沢高志氏 - space journal

    今回は、P3主宰の芹沢高志さんへのインタビューです。 数学科を出てからP3を設立するまでの横断的な活動の経緯や、「アート=テクネー」など非常に興味深いお話をお聴きすることができました。 profile 芹沢高志 (http://www.p3.org/) 1951年、東京生まれ。神戸大学理学部数学科、横浜国立大学工学部建築学科を卒業し、民間のシンクタンクで生態学的地域計画の研究に従事する。89年現代美術と環境に関わる制作機関として「P3」を開設し、国内外のアーティストの活動をプロデュースする。著書に『この惑星を遊動する』(岩波書店)、『月面からの眺め』(毎日新聞社)、訳書にK・ブラウワー『宇宙船とカヌー』(ちくま文庫)、B・フラー『宇宙船地球号操縦マニュアル』(ちくま学芸文庫)、E・ヤンツ『自己組織化する宇宙』(工作舎)などがある。 interview 「学生時代の横断的な活動」 鎌谷|芹沢

    vol.15 P3主宰 芹沢高志氏 - space journal
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●モーリス・ルイスについて、もうちょっと。 昨日、ルイスの作品について、「色彩は決して見切ること(イメージ化すること)が出来ない」というようなことを書いたけど、これは、あくまで作品を「観る」という側に立っての話で、つくる側に立つとまた別だ。ルイスは、いわゆる「モーリス・ルイスの作品」をつくるようになった41歳から、亡くなる47歳までのごく短い期間に、かなり多量の作品をつくっている。つまり、つくる側としては、けっこうシステマティックにサクサクとつくっていたのだと思われる。ルイスはおそらく、「観る」よりも早く動いて(つくって)いた。あるいは、「観る」ことと「つくる」ことの間には、質的な違い(分離)がある。色彩を丁寧に「観て」いたら、そこで動きが止まってしまって「つくる」ことが出来なくなる。作品は、あくまで「つくる手順」(動くこと、操作する手順)によって制御されていて、「観ること」によって制御

    ■ - 偽日記@はてなブログ
    massunnk
    massunnk 2008/11/23
    「料理を「つくること」と「味わうこと」との間に本質的な分離があるのと同様、絵も、それを「つくること」と「観ること」との間には分離がある」
  • マーク・シェル、『芸術と貨幣』 - 存生記:楽天ブログ

    2004年10月23日 マーク・シェル、『芸術と貨幣』 テーマ:最近、読んだを教えて!(23998) カテゴリ:カテゴリ未分類 マーク・シェル、『芸術と貨幣』(小澤博訳)、みすず書房、2004年。 芸術はいかにして貨幣になるのか、貨幣はいかにして芸術になるのか。その問いに答えるヒントは、貨幣が記号であると同時に物質であるというその両義性にある。ヨーロッパの芸術は、キリスト教と深い関係にあるが、キリストもまた神人という両義性を持っていた。すなわち、救世主という記号と身体という物質性である。つまり、貨幣と神は、どちらも普遍的で等価の価値を持つという構造的に類似するものである。貨幣が貪欲や吝嗇という悪徳に走らせるという理由はもちろんあるが、貨幣と神の類似性があるために、キリスト教徒は、貨幣のもつ力を忌まわしい物として恐れたと書には述べられている。 物質に銘刻されるやいなや、そのモノには貨幣と

    マーク・シェル、『芸術と貨幣』 - 存生記:楽天ブログ
  • 黒い花火、文字、批評、思い遣り、悪意 - 美学的、病痾的

    Chim↑Pom*1の事件から数日が経過した。その後、広島では中国人アーティストの蔡國強による「黒い花火」がパフォーマンスされた*2ことに関連して、いくつかのブログで述べられてきたことを読んでみた。 とりわけ参考になったご意見は以下の二つ(「昆虫亀」のほうはどうも知人の知人くらいの距離感の方のようなので、そのうちオフラインでお会いする機会もあるかも知れません。そのときはどうかよろしくお願いします) http://d.hatena.ne.jp/conchucame/20081026/p1 http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20081027/1225064294 どちらも流布されがちな言説に対する批評としてはある程度は冷静な指摘を含んでいると思います。 「昆虫亀」の議論で私が同意できるのは、ダントーの「芸術はアートワールドとの関係において規定される」という議論を参照すると

    黒い花火、文字、批評、思い遣り、悪意 - 美学的、病痾的
  • ■ - Fairytale/Diary  童話日記

    斎藤環さんによる公開講座「ロリコンとアート」@芸大、無事に終了。平日お昼の時間帯にもかかわらず盛況で、学外からもずいぶん来ていただいた様子。ご来場のみなさまに感謝。 現在、ユリイカのピカソ特集で斎藤さんが書かれている議論をベースに、多くの現代作家やポニョなどに見て取れる「変形」のモチーフ、とくに少女の身体を通じて変形への志向性があらわれる作家の系譜をたどってゆく充実の内容!ほんとは講義の終わりに「風景構成法」というテストをやるつもりだったんですが、僕も斎藤さんもすっかり忘れててて不発になってしまいました..入り口で白い紙を渡されて、謎だけ持って帰ってもらった形ですいません。気鋭の作家/評論家の黒瀬陽平さんも来てて、楽屋ではポニョ話で盛り上がりました。宗介について「虐待されてないとあんな子供にはなんないよ」という斎藤さんの臨床的発言に涙。 その後、先端科の大学院生数名が持ち時間一人10分で、

    ■ - Fairytale/Diary  童話日記
    massunnk
    massunnk 2008/10/30
    いきたかったー/「宗介について「虐待されてないとあんな子供にはなんないよ」という斎藤さんの臨床的発言に涙。」
  • 物語をリロードするまなざしとその揺らぎ - 絶倫ファクトリー

    複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス) 作者: ヴァルターベンヤミン,佐々木基一出版社/メーカー: 晶文社発売日: 1999/11/05メディア: 単行購入: 3人 クリック: 45回この商品を含むブログ (72件) を見る 物語をリロードするまなざし 原爆ドームが単なる瓦礫ではなく原爆ドーム足りえるのは、我々が「原爆の記憶」という一種の物語をそこに読み込んでいるからだ。それは「見る」という行為の、ある種の様式によって担保されている。我々が原爆ドームを見る際、それを単なる瓦礫ではなく1945年8月6日の惨劇をそこに読み込むような様式に基づいて、「見る」という行為を行っている。そのまなざしの様式は体系化され、継承される。そうした様式に基づいたまなざしは、そこに込められた記憶・物語を「リロード」する。一方で継承されなかったまなざしは、対象に込められた物語の剥落を意味する。リロードされない

    物語をリロードするまなざしとその揺らぎ - 絶倫ファクトリー
    massunnk
    massunnk 2008/10/28
    簡単に言うとすべってるんだよねー芸として、あれは。すべり芸にしても中途半端。どうせやるなら村上隆みたいにアメリカで「リトルボーイ」とかいう展覧会やるくらいじゃないと
  • ▼ポスト金融恐慌時代の「新しい反資本主義の表現者たち」 | イノレコモンズのふた。

    ▼「いま世界で何が起こっているかを伝える特集」 http://illcomm.exblog.jp/8162254/ で紹介した「VOL」03号が品切れになったらしい。 Amazon.comでも在庫が残りわずかになってる。 この手の思想雑誌がそんなに売れるのは珍しい。 マイケル・ハートが「「コモン」の革命論に向けて」を 書いていたり、第二特集が「G8サミット」だったから、 売れたのかと思っていたが、意外にも、美大生が 買って読んだらしい。特集が「反資主義/アート」 だから、屋でみて、ちょっと手にとってもみるくら いはするだろうが、普段、にあまりお金を使わな い美大生がこんな字ばかりの雑誌を買うのは珍しい。 聞けば、どうやら、イルコモンズが書いた「〈帝国〉のアートと新たな反資主義の 表現者たち」がまわし読みされているらしい。藝大、多摩美、武蔵美の学生から、 それぞれ別々にそういう話を聞

    ▼ポスト金融恐慌時代の「新しい反資本主義の表現者たち」 | イノレコモンズのふた。
    massunnk
    massunnk 2008/10/27
    そんな面白い記事あったけ。あとで見る。
  • ■ - Fairytale/Diary  童話日記

    公開講座の予告です。レクチャーの終わりに秘密企画をご用意しています。ぜひ! 東京藝術大学大学院 先端芸術表現専攻 主催 連続公開講座1 http://www.geidai.ac.jp/labs/atlas2008/symposium.html - 斎藤環 [精神科医]:ロリコンとアート - 10/28(火)12:30-14:00(開場は15分前) 上野キャンパス 中央棟 第1講義室 入場無料(定員200名/先着順) 現在、国立新美術館、サントリー美術館の合同で開催されている二つの「ピカソ」展をきっかけに、近現代の美術作家から「崖の上のポニョ」に至る「ロリコンの系譜」を、豊富な図版とともに検証してゆきます。創造を媒介する「少女の身体」をめぐる「まなざし」の起源を問いなおすための、刺激に満ちた講座となるでしょう。 - 斎藤環|さいとう・たまき 1961年岩手県生まれ。精神科医。主な著書=『文脈

    ■ - Fairytale/Diary  童話日記
    massunnk
    massunnk 2008/10/24
    「現在、国立新美術館、サントリー美術館の合同で開催されている二つの「ピカソ」展をきっかけに、近現代の美術作家から「崖の上のポニョ」に至る「ロリコンの系譜」を、豊富な図版とともに検証してゆきます」
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    massunnk
    massunnk 2008/09/14
    公共空間の芸術を考えるための研究ノート
  • あらたなる声明 - 空中キャンプ

    「あのさー、もうすぐ声明だすことになったから」と、彼はいった。世田谷区のせまい1Kアパート。オリジンのバランス弁当をおいしそうべながら、かたわらに置いた2Lペットボトルの烏龍茶を、直で飲んでいる。彼と一緒に暮らしはじめて二年。すっかり日にもなじんでしまった。「俺、日人に生まれたらよかったな。日、ごはんうまいし、女の子かわいいしさ。男は、サウジアラビアの方がイケてるとおもうけど。サウジアラビアって服とかカッコわるいしねー。俺も学生服着たかったよ。そいで学生服デートするの。あはは」。僕は、声明のことが気になっていた。 「ちょっと、声明ってなに」と僕は訊いた。二年前、彼を居候させる条件はふたつあった。ひげを剃ること。そしてテロをやめること。タフな交渉の末に、彼はひげを剃り、テロをやめると約束した。じっさい、今の彼はテロとは無縁の生活を送っていた。ふたりでタイフェスティバルにいってグリー

  • はてなスター→はて?? - 虎ッ狩

    かなり前に暇つぶしでつくっていたものを☆の代わりに使いました。名前とかないからはて某になってしまうのが面白くない。 完成にたどりつくまでにできたものたち twitterへ 小さくしたらカビみたいになったのでパス 適当に楕円を置いていったら生まれてしまった。ご自由に使用ください。

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  • 掃除革命的グラフィティ・アート - ish☆サイボーグだから電気羊の夢は見ません

    DesignWorksさんの「スプレーを一切使わない、街にも環境に優しいグラフィティアート」というエントリが面白いです。 使用しているのはスプレーではなくて、磨きのブラシや石鹸などの掃除道具です。(・・・)一部だけとは言え、とりあえず綺麗にしているので、ラクガキ等の行為にはあたらず、法律上は問題ないみたいで国は対処に困っているそうです。 つまり、何らかの塗料等を「加える」のではなく、付着した汚れを「取り除く」ことにより文字や絵を描いているわけです。 法の抜け道的に「うまいっ」というだけでなく、文字の性を絶妙に抉出したアートです。 そもそも、文字とは「削り取る」ものです。粘土板に刻まれた楔形文字を想起すればわかりやすいですが、もっと言えば「無人島に漂着した人間が、日にちを数えるために木に彫り付ける刻印」です。 物理的特性ことだけを言っているのではなく、象徴化=言語化とは、何かが「無い」こ