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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (19)

  • 死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事について、id:toledさんから「死刑がダメなら終身刑もダメに決まってるじゃん。まったく同じ論理で。」とのご指摘。別の方から、「終身刑ならいいってのは違うと思った」との記事のトラックバックも。この点について、簡単に追記する。 まず、「終身刑ならいい」というニュアンスは完全に違う。可能であるならば、僕は刑罰そのものをなくしたいし、裁くこと自体をなくしたいとも思う。だから、一番ラディカルに行くなら、司法廃止。討論のみ。そうなる。──しかし、この路線は現実的ではない。ここでの現実的とは、「私が安全に、安心して暮らしたい」という欲望に即したとき、それと十分に両立すると感じられない、ということだ。だから、「終身刑ならいい」のではなく、「死刑には反対だが、終身刑については、反対しがたい」という感情を持っているということ。──僕は終身刑を正当化したのではなく、あくまでも死刑を棄却したのだ、とい

    死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    microtesto
    microtesto 2008/04/25
    終身刑導入は死刑制度廃止に不可欠なコストである、と堂々と主張すればいいのに。よくわからない覚悟とかを前面に出しても無意味とまでは言わないが非効率ではないかと思うのだが。
  • 死刑制度には反対するけれど - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「だから死刑には反対する」と、そこへ寄せられたブクマコメントなどについて。いろいろと、曖昧さの残るところについても、もう少し付け足して考えておく。*1 僕の死刑反対論は、基的には終身刑という刑が存在することが前提。しかし、現時点では終身刑なるものはないから、死刑でないならば無期懲役以下の刑ということになり、かなり現実的な未来に被告人が刑を終えて出てくる可能性がある。そうなるならば、正直、心中穏やかではいられないだろう。まして、身近に住まれる、なんてことにでもなるならば。だから、死刑制度には反対なのだけど、今回の死刑判決に反対できるかと聞かれるならば、さすがに迷う。あえて、どうしてもどちらかを選べ、と言われるなら、「死刑判決に反対」と述べるかな。人が人を殺す、しかも、そのことを正しいと言う、そのことは僕にとって、その程度には重いことだ。──もちろん、このように考えているならば、村氏の主張

    死刑制度には反対するけれど - モジモジ君のブログ。みたいな。
    microtesto
    microtesto 2008/04/25
    法をまがりなりにも勉強した身としては、単に誤判の可能性は常に開かれているから死刑制度は廃止すべき、で十分だと思うのだがなぁ。終身刑が前提なのは同意。
  • 今、この社会でリビングウィルを要求すること──見えない「絶滅政策」 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    edouard-edouardさんに質問をいただいたので、少し正気に返った。「これにふさわしい怒り方が分からない」などと呆けている場合ではない。ともかく、当面、僕にできることは、僕に出来る限りでの解説を試みることなので、そんなことしかできないので、改めて問題を整理してみました(十分なものかは別ですが。ご批判乞う)。 リビングウィルがこの社会で意味すること (1)リビングウィルが直接に意味することについて。リビングウィルがないならば、その人を生かす、ということが医師に課せられた使命になります。医学の力が及ばず、ということは当然ありえますが、医師はその人を生かす、ということに全力で取り組むことが前提となります。──逆に言えば、リビングウィルとは、どの段階で「その人を生かす努力をやめていい」のかを、事前に決める指示書です。「生きる」という事前指示は要りません。だから、リビングウィルは、「死ぬ」こ

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  • 道徳的詐術とは何か - モジモジ君のブログ。みたいな。

    発端。「「当は、できるでしょう?」の原初的風景」@G★RDIASより。 たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。/目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。/それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。/このときに、私が「募金できない」と言うのは端的に誤っている、ということである。ただ単に私は「募金しない」だけである。/仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。/私は、そういうことを「まずは」嘘をつつみ隠すことなく言おう、と提起している。/これは、「正論の倫理学」なら主張するであろう、「その200円を募金すべきだ」という主張とは全く違う。

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  • 姥捨山問題と僕 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    なんか、アレなタイトルですけども。sugitaさんとこでの考察、僕の論についても言及されているので、簡単に応答する。姥捨山問題そのものがわからない人は、次のページを参照のこと。>森岡正博「姥捨山問題」 僕自身は、あまり出来のいい答えではないにせよ、少なくとも姥捨山問題以後を考えているつもり。基線として、x0000000000さんの指摘(姥捨山問題をめぐって@G★RDIAS)とまったく同じことを考えている。「できないのではなく、しない」、「しないことをできない、と言うのが問題」というところ。 じゃ、なぜ「しないことをできない、と言うのが問題」なのか。「できない」と言うとき、「できない」のだから、そこで話は終わる。しかし、「しない」を認めるとき、だから「する」わけではないにせよ、「しない」のが自分だけではないこともほぼ同時に理解できる。すると、「一緒にやろう」、もっと品悪く言えば「おまえもや

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  • 尊厳死を容認する可能性を真面目に考える - モジモジ君のブログ。みたいな。

    個々に異なっている状況を頭に置いている人同士が議論していては、噛み合わない議論になるのも致し方ない。ALSに即して議論すれば、「ALSばかりが問題ではない」というのももっともだ。ただ、それを言うなら、「ALSについては尊厳死は問題にならない。しかし他がある」と言って欲しい、とも思うのだけど。それなら、分からないではない。 ともかく、いくつかの状況を区別しつつも、体系的にまとめてみる。尊厳死を認めなきゃいけない状況はありえるのか、あるとしてどこにあるのか、それを整理する。その上で、日尊厳死協会の議論がどれほどいい加減であるかについても、一言述べる。尊厳死賛成派であっても、日尊厳死協会の言うことに賛成するかは別の話ですよ。 前提の確認 まず、尊厳死とは呼ばずに、死の選択、と呼ぶことにする。人が死を選択することと、そのときに用意されている選択肢が十分なものであるかは別の話。不十分な選択肢し

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  • 匿名の「ウォッチャー」氏へ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ※ 【追記】は、↑の記事に分離しました。 春野ことりさんのブログのコメント欄に次のような書き込みをした人物がいる。落胆した。すぐに出てきて謝罪してほしい。>ウォッチャー氏 あまり事情がわかっておられないようですが、dojin氏やmojimoji氏はともかく、ajisun氏の怒りないし慨嘆は、患者親族、当事者としてのみならず、医療政策・医療倫理の専門研究者としての、医療従事者における、専門家であるにもかかわらず(むしろそれゆえに?)しばしば見られる無知についての慨嘆も混じっていると思われます。 つまり春野先生は、医師ではあるが保健医療福祉政策について、また医療とケアの倫理学について、あまりにも無知である、と、医療政策・医療倫理の専門家によって断罪されているのです。 とりあえずajisun氏の師匠である立岩真也氏の著書『ALS 不動の身体と息する機械』(医学書院)などを読まれれば、彼らの発想が

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  • Locked-inの二つのイメージ - モジモジ君のブログ。みたいな。

    TLSについては、まだまだわからないことだらけで・・@What’s ALS for me ? ajisunさんのこのメッセージも「それは特殊なケース」と切り捨てる医療者は多いんじゃないかと思う。なので、僕の思うところを一つ、付け加えておきたい。問題は、医療と経済に関わること。 Locked-inしたその後のイメージについて、おおまかに二通りあると思われる。 第一。不潔で不快なベッドに放置され、誰が訪れるでもなく、誰が声をかけるでもなく、来たところで「あんなになって却って死なせた方がいいんじゃない?」などと哀れまれ、という状態を一言も発することもできずに耐え忍ぶだけの生。 第二。物を言えないがゆえに不自由ではあるけれど、清潔にしてくれて、寝返りを打たせてくれて、聞かなくても誰でも思いつきそうなことはちゃんとやってできるだけ快適に保ち、沢山の人が訪れて「生きている人」として扱ってくれて、呼びか

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  • ロックトインを「地獄」と呼ぶことについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    丁寧な議論をする前に、一つ確認しておきたいことがある。 id:ajisunさんのお母さんは、いわゆるロックトインした状態*1で、既に何年も経過している。id:dojinさんもお会いしたことがあるそうだが、僕も最近お邪魔させてもらって、ご挨拶申し上げた。安らかな寝顔をされていたけれども、当のところはどうか分からない。分からないけれども、いくつか考えることはある。当はそれを書こうと思ったのだけど、ちょっと後回しにする。春野ことりさんのブログにコメントを寄せた方が、自身のブログで「賛成論者の人格を非難する記載があったのは残念であった」と書かれている。dojinさんのことだろうと思うが*2、ちょっと素通りすることも出来ないので、dojinさんの怒りの理由について、ちょっと触れておく。 ロックトインして(まで)生き続けるのは地獄ではないのか。それはおそらく最初からajisunさん自身の問いなのだ

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    microtesto
    microtesto 2007/03/27
    この辺の感覚は自然科学ばっかりやってた人には伝わりにくい。人文社会科学系の教養の問題は根が深い…
  • 天国へのビザはいらない──尊厳ある生こそを求める

    「天国へのビザ」という内科医の方(春野ことりさん)が開設しているブログがある。先日偶然見つけてしまい、大変ショックを受けて哀しい気持ちになった。と同時に、この悲しみはこの社会ではそう簡単に理解されないだろうことも知っているし、ことりさんという方の善意も疑う余地はないとも思っている。だからこそ、問題は根が深い。 このブログのことをお話したajisunさんと、dojinさんが、先に記事を書いてTBを送っている。厳しい調子のものだが、それは故なきことではない、ということを僕も思う。今日、主にdojinさんの記事に対して、ことりさんからの応答があった。それを読み、考えることを記すことにしたいと思う。──この記事は当然、ことりさんに向けての記事になるからトラックバックもする。この記事は説得のために、少なくともその端緒となるべき記事として書かれるものである。そこに含まれている事実(あるいは、少なくとも

    天国へのビザはいらない──尊厳ある生こそを求める
  • 「勝ち組」が「勝ち組」に向けて語る

    赤木論文は、「負け組⇒勝ち組」のメッセージ。このメッセージに対して応答するとは、二つの応答が必要だと考える。一つは「勝ち組⇒負け組」で、それが「「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する」。いろいろブックマーク・コメントをお寄せいただいてます。ありがとうございました。そこでid:kmizusawaさんも指摘しているように、これは「身も蓋もない話」だ。しかし、「負け組」とは、定義上、「奪われた人」なのだから、「負け組」に何ができるわけでもなく、「勝ち組」であるにせよ私一人に今すぐどうこうできるわけでもなく、あのように答えるしかない。しかし、その身も蓋もなさを確認することは大事な出発点である。というのも、この身も蓋もなさを確認することによって、「勝ち組である私」と「負け組」というフレームワークがそもそも間違っているのだ、ということに気づかざるをえないからだ。そこで、赤木論文への応答としては、「

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  • 「勝ち組」からの応答──赤木論文を検討する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    正直、これできちんとした応答になっているのか自信はない。ないけれども、素通りもできないので考えたことを書いてみる。赤木智弘(id:ClossOver)「「丸山眞男」をひっぱたきたい」について。 今日、飢えて死ぬ人がいる。今日、凍えて死ぬ人がいる。etc...。多少なりとも手を伸ばし、誰かの役に立つような何かをちょこちょことやってはみても、まだ全然足りない。一人の力はとても小さいから、また他人よりは自分のことの方が大事だから、できることをそれなりにやったとしても、いつでも全然足りない。だから、社会の仕組みそのものを変えようと考える。うまくいくかどうかさえ分からないのだが、しかし、仮にこれがうまくいったとしても、そのうまくいったその日までに死に行く人には間に合わない。明日、何もかもがうまくいくとしても、今日、死に行く人には間に合わない。 左派であるとは、こうした状況を変えようとする、ということ

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  • 赤木さんへの一年遅れの応答──論座論文の検討へ向けて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    一年前の「問題は「金」という言葉が有するイメージ@深夜のシマネコ読書録」という記事*1。この記事に対してごくごく短い記事をTBした。さらにこれについては「団塊世代ハ神聖ニシテ犯スヘカラス@深夜のシマネコ読書録」という記事の中で、次のように応答された。 結局奪うのではないか、と言うかもしれない。どこが違うのか。少しでも後ろめたさを感じなくていい、そういう影が少なくて済むような金を与えてくれるのが、左翼。金なら同じだと言うのが保守。金以外のものとの両立を目指すのが左翼。金以外のものを差し出せというのが保守。共に取り戻そうと言うのが左翼。奪ったものを奪った相手の目の前にちらつかせることを恥とも思わないのが保守。(mojimojiさん) なんてことは、実際に若者に「そういう影が少なくて済むような金」とやらを与えてから言うべきだ。 左翼は若者から奪うだけで、何も与えていない。 与えているというなら、

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    microtesto
    microtesto 2007/03/23
    ボナパルティズム(?)批判。
  • トラフィッキング(人身売買)について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    トラフィッキング(trafficking)というのは、特に人身売買に関わる不正取引のこと。現在でもこうした人身売買は非常に大きな規模で行われており*1、国際的にも大きな人権問題として取扱われている。で、その手口なんだけれども、「直接暴力で拉致して、閉じ込めて監視をつけて、荷物扱いで国外へ輸送する」なんて手段に限定されない。当たり前だ。最初から物理的暴力を使っていたら、その取引プロセスの全体において必要なコストが増大する。よりコスト等々の面でよい手段があれば、そちらを利用するというのは当然のことである。・・・この問題について詳しい、というわけではないのだけど、基線を確認しておくだけの記事でも意義はあろうかと思うので整理しておく。 ※ 最近の従軍慰安婦問題に関する首相発言を受けてのエントリではあるけれど、そういう文脈からのエクササイズとしてのみ扱われてよい問題ではないので、とりあえずは切り離

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  • モジモジ君の日記。みたいな。 - 従軍慰安婦問題──何が問題なのか

    広義の狭義のと、安倍がこの問題についてロクに知らないのがよくわかる。手元に資料がないので大雑把になるが、従軍慰安婦問題の何が問題なのか、簡単に整理してみる。 第一に、軍の行く先々に慰安所を開設することは日軍が立案して業者を手配している、つまり、日軍が完全にイニシアティブをとっているという点がある。日軍にとって慰安婦は軍需物資であり、慰安所は兵站の一部だった。業者が軍の需要を見込んで慰安所開設を持ちかけた、という形のものではない。 第二に、業者が慰安婦を徴用する際に、「兵隊の事の煮炊きなどのお手伝いの仕事がある」などの嘘による勧誘、前借金や暴力的威圧などによる強要といった手段が多く用いられた点がある。多くの証言から、兵隊や官憲が直接行ったというケース(狭義の強制)は報告されておらず、軍の依頼を受けた業者が行った(広義の強制)のが一般的だった、ということになっている。ただ、いずれにせよ

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  • 野宿者の公園居住は国際法的に容認されている - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先日TBを送ってきたkeya1984氏が「住居の強制撤去について」というエントリを立てている。 まず、こと今件に関して言えば、国際人権規約および一般的意見7に抵触するものではなく、今件に先立つ政府回答の枠内に収まるものであろう。なぜなら、こと今回は「公園を占有していた居住施設の撤去」だからである。締結国を見てみたが、たとえばニューヨークのセントラルパークでもいいし、ロンドンのハイドパークでもいいが、公園内でホームレスが居住施設を建てることを認めているだろうか? 私は、これら諸外国でも公園内にホームレスはいるだろうと思うけれど、国内法にせよ国際条約にせよ、一般的に公園内に居住権を認めて住居の建設を許可している例はないと思う。当たり前であろう、公園という土地に対してそのようなことを法的に認めれば、誰だって勝手に占有して自分の土地建物にしてしまうのだから。行き場のない人の、仮の居場所としてどこま

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  • 長居公園、行政代執行 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日は風邪気味で、熱こそ出てないもののずっと調子が悪く、今日は無理かもしれないと思いつつ、ビタミンCをボリボリべてから床に就いた。朝起きたら思いの他よくなっていた。起きたのが少し遅かったので間に合わないかもとも思ったが、出かけることにする。9時ちょっと前に長居公園に到着。既に周囲はバリケードで囲まれていて、警備員が取り囲んでいる。人だかりもできている。以後、12時頃、テント村が完全撤去されるまでの一部始終をずっと見ていた。事の経緯などは「釜パトブログ」などを見てほしい。 【追記】 また、今回の行政代執行にあたり、野宿者と支援者たちが取った行動、その意味などについては、Arisanのノートを読んで欲しい。付け加えるべきことはほとんどない。 野宿者はわがままだ、という声もある。物を知らない人は簡単にこういうことを言う。その人が怠慢だから、ということもあるのだろうが、同時に、行政が不誠実な(ほ

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  • 野宿者の居住権──不法なのはどちらか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    ある人の家にいきなり893がやってきて、「こんど世界賭博ゆう大会をやることになった。お前のうちが会場になる。(おまえらがいるとジャマで目障りだから)○×日までに出て行ってくれ」という通告がある。拒否すると、真冬のある朝どやどやと893が乗り込んできて、暴力的に住人を外に追い出し、家を破壊した。 こんな事件があったなら、どう考えても(あえてこの表現を使うが)「自然な」反応は「それはひどい」になるはずだと思うのである。ところが、893が警察と市の職員、「世界賭博」が「世界陸上」に、そして、追い出される人が「ホームレス」である、ということになると「しょうがない」が「自然」な反応である……? 当にそうだろうか? もちろん、これは、今朝あった大阪長居公園での野宿者強制排除のことである。*1 あーはいはいそれはひどい893ですねワロスワロス。しかし公園は家ではありませんよね? http://d.ha

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  • 生活保護・母子加算廃止問題 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    研究メモ──母子加算の廃止と労働・出産インセンティブ こういう論じ方は感心しない。一見した誠実さは、実は議論を混乱させることにしかなってない。以下、詳述する。 この問題について第一に問題にしなければならないことは、「実施される政策が、対象となる母子家庭の厚生を改善すべきか否か」だ。この観点から見るならば、「母子加算の廃止」それ自体は、対象母子家庭の厚生水準の悪化のみを帰結する。それだけ。この点に関する限り、「母子加算廃止」は、「下げてよい」との評価をしていることに他ならない。 では、この評価をどう考えるか。これについてはlessorさんが引用している後藤玲子氏の論文が参考になる。>[ニュース][社会福祉]母子加算廃止 - lessorの日記・・・後藤氏によれば、対象となる母子家庭の生活水準は決して高くはない。これを根拠に「下げてはならない」とするのが、一つの立場だ。そして、この論点で対立す

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