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aestheticsに関するmicrotestoのブックマーク (48)

  • 戦争と芸術とプロパガンダと

    菅野完 @noiehoie 藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を完うす」という、サイパンでの民間人玉砕を描いた大作があるんだけど、あの絵は藤田と思えないほど精細で、グロテスクですらある。あの絵は、藤田にとって「ゲルニカ」だったんだと思う。 菅野完 @noiehoie 「サイパン島同胞臣節を完うす」の真ん中では、ライフルを口にくわえて足で引き金を引こうとする瞬間の男性が描かれ、その脇では、母親が赤ん坊の首を絞めている。ああいう絵から「国威発揚」要素なんか読み取れるはずがない。素直に観れば反戦画。 菅野完 @noiehoie 先日、あの絵を観た。張さんと二人で、藤田の「サイパン島同胞臣節を完うす」のあの巨大なキャンバスの前で立ちすくんだ。同時代の他の戦争画と並べられた藤田のあの絵は、僕たち二人を鷲掴みにした。あまりにも異彩だった。

    戦争と芸術とプロパガンダと
  • ラマルク+オルセン編『美学と芸術の哲学:分析的伝統:アンソロジー』 - logical cypher scape2

    原題は"Aesthetics and the philosophy of art : the analytic traditon : an anthology"で、編者はPeter LamarqueとStein Haugom Olsen。 英語なので、ブログ記事タイトルは自分の勝手な翻訳。以前、洋書のタイトルをそのままブログのタイトルにしたら、何か反応が悪かったような疑いがあるので、あえて訳してみた。分析的伝統は日ではあまり使われない言葉。日では「分析美学」と言った方がまだ通じやすいと思うが、向こうではあまり使わないらしい*1 46の分析美学論文が収録されているアンソロジー。 だが、実は収録論文をまだ1も読んでいない! 各章に簡単なIntroductionがついており、まずそれらだけを読んでみた。ので、今回の記事はIntroductionのみの紹介となる。 各論文については、こ

    ラマルク+オルセン編『美学と芸術の哲学:分析的伝統:アンソロジー』 - logical cypher scape2
  • 世界の片隅で、石ころを拾う - D's BLOG

    桑島秀樹『崇高の美学』(amazon)の書評を某同人誌に。字数的に何も書けないだろうなあとか思ってましたが、いいたいことをほぼ全部書くことができてしまったのは、その程度のことしか考えてなかったからなんでしょうか。「アメリカン・サブライム」の傲慢に抗しつつ、表象不可能な「歴史的崇高」にどう応答するかということが書の問題設定だったと思うので(てゆーか、そうでないと第四章の議論が最後に来ていることの説明がつかない)、そういう感じの論じ方をさせて頂きました。結論からいえば、崇高美学で「ヒロシマ」を論じるには、「石ころ」だけでなく、もう一工夫必要なんじゃないだろうかいうのがぼくの感想です。 追記 英文のタイトルを付けろという指示があったので、脊髄反射的に "'Back to the Rough Ground!': Hideki Kuwajima on the Sublime and HIROSHI

    世界の片隅で、石ころを拾う - D's BLOG
  • JB研@20090206 - D's BLOG

  • 南米キリスト教美術とコロニアリズム « 名古屋大学出版会

    2024年7月31日出来 ジョン・ダン全詩集[新装版] 湯浅信之 訳 A5判・上製・734頁 税込11,000円/体10,000円 ISBN 978-4-8158-1161-7 Cコード 0098 詳細を見る 2024年7月31日出来 レオパルディ カンティ[新装版] ジャコモ・レオパルディ 著 脇 功・柱元彦 訳 A5判・上製・628頁 税込9,900円/体9,000円 ISBN 978-4-8158-1162-4 Cコード 0098 詳細を見る 2024年7月31日出来 ペトラルカ 凱旋[新装版] フランチェスコ・ペトラルカ 著 池田 廉 訳 A5判・上製・344頁 税込6,600円/体6,000円 ISBN 978-4-8158-1163-1 Cコード 0098 詳細を見る 2024年7月22日出来 グローバル冷戦史(第2刷) O・A・ウェスタッド 著 佐々木雄太 監訳 小川

  • 現代アートの表現するもの/表象について - logical cypher scape2

    現代美術についての授業をとっていて、その中で現代アートの入門書を読んでいる*1。 それで考えたことなど。 現代アートはよくわからない、というのはよく言われることである。 僕はむしろ、そのよくわからなさを面白がっていたりしているのだが、多くの人にとってはわからないがゆえに面白くないものでもある。 しかし、現代アートというのは、決して「よくわからない」ものではない、ということがわかってきた。ただし、わかるようになるには勉強が必要となる*2。 さて、何故現代アートはよくわからなくて、かつわかるようになるのか。 それはそもそも、何をもって芸術作品をわかったりするのか、ということだと思うが、それはさらに言うと、芸術作品とは一体何であるのか、ということであったりもすると思う。 これでは問題が大きすぎ、また抽象的すぎる。 ここでは、芸術作品とは何かを表現しているものであり、何が表現しているかわかるときわ

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  • U B U W E B :: Luigi Russolo - The Art of Noises

  • 単なるものの限界内における宗教哲学 (佐藤啓介)

  • 超えられないモダン - Cafe Eucharistia

    ポスト(post-)、ネオ(neo-)のという言葉がもつ魔術的作用のひとつとして、それらの言葉に続く概念を、超えたとか、克服した、というような、いわば上の立場からその概念を眺めることを可能にするという作用がある。それらの接頭語をつけることで得られる優越感・征服感は、一種カタルシス的な爽快感もたらすのかもしれない。 一方で、相当時代が経ってしまうと、両者の間には優劣が存在するというよりも、実は両者が「似ているが異なるもの」であることが当然とされてゆくこともある。たとえば、プラトン主義と新プラトン主義などがいい例かもしれない。新プラトン主義は、プラトン主義からの影響を多々残しながらも、両者は根的に別の思想体系であるといえよう。もっとも「新プラトン主義」の場合は、プロティヌスが自らの立場をそう命名したのではなく、後の人々による後付けだという点で、事情が少し異なるとは思うけれども。 ところで、多

    超えられないモダン - Cafe Eucharistia
  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

  • YouTube - Broadcast Yourself

    Toytools Gravity Desktop。 重力デスクトップを作ってみました。 デモです ニコニコ版: http://www.nicovideo.jp/watc Toytools Gravity Desktop。 重力デスクトップを作ってみました。 デモです ニコニコ版: http://www.nicovideo.jp/watch/sm4566797 ブログ: http://d.hatena.ne.jp/toytools/ BGM: http://wacca.fm/m/14581 歌:唄華ツカサ作詞・作曲:新谷佳希 ■次の作品「空間ファイル共有」 http://jp.youtube.com/watch?v=ndEBDNku9GM (続き) (一部表示)

  • 知的鑑賞は感情的消費よりエラいのか。叙事は叙情よりエラいのか。 -NaokiTakahashiの日記

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    microtesto
    microtesto 2007/05/03
    稀少性はあると思うよ。ただそれを価値に結び付けて独善的に語りだすとアレゲ感漂ってしまうけれど。すげーと思うものはすげーっていう感覚を忘れないようにと自戒を込めて。
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  • プローン法、その2 - 蒼猴軒日録β

    プローン法 - 蒼猴軒日録の続きを少し。 「(1)考察の対象を選ぶこと」に続いて、分析/解釈のきっかけとして、対象の目に見えるさまざまな属性をどのように観察するかという話になる。「対象を分析の俎上に乗せる前に、どのようにして、潜在的な文化的表現性を計測することができるだろうか」。そしてその対象が、文化的にどのようなものを隠し持っているかは、「対象と人間の基的な経験のいくつかとの間のつながり――形式的、イコノグラフィ的、機能的といった――に依存する。それが、物理的な世界との関わりであろうと、他の個との相互作用であろうと、自我の感覚(よく擬人的に表される)であろうと、一般的な人間の感情であろうと、重要な人生のなかでの出来事であろうと」(プローンの未刊の論文より)。 続いてプローンは、「対象に対するメタファー」の可能性として、以下の例のようなさまざまな二項対立を挙げる。 生/死(死すべき性質)

    プローン法、その2 - 蒼猴軒日録β
  • 東京都知事、現代美術を腹にすえかね カルチエ財団、展覧会の開会式でとんだ「とばっちり」 - Liberation20060424.html

    東京都知事、現代美術を腹にすえかね カルチエ財団、展覧会の開会式でとんだ「とばっちり」 東京特派員ミシェル・テマン 2006年4月24日 リベラシオン 木曜〔4月20日〕、午後6時過ぎ、東京都現代美術館(MOT)――10年前、木場公園に建設された巨大な建物――の大ホールに、各界の著名人を含む1500人の人々が招かれ、この春もっとも注目される文化イベントの開幕セレモニーが行われた。1年前からパリと東京のカルチエ社スタッフが準備を進めてきた「カルチエ財団所蔵現代美術コレクション」の会場が、ついにその門扉を開け放とうとしていたのである。門扉といっても、ただの門ではない。入り口は高さ5メール、スライド式の巨大な壁でできており、招待客らはそこを通って一般公開前の会場内に導かれるのだ。4つのフロアにわたって19室を占める展示場は、まるで迷宮のよう。美術館の建物がそっくり芸術の宮殿に変身し、現代

  • 石原氏のオリジナルな審美主義をめぐって淡々とインフォするよ。 - 地を這う難破船

    http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070404/p2 原則同意です、私は「右派」ですが、自戒を込めて。そのうえで、筋からは外れたことだけれども――以下、kmizusawaさんに対する何かということではまったくなく。 石原個人に対しても、四男問題のときに顕著だったが、知事として公私混同的なことをするのが問題なのに、四男の絵のレベルを馬鹿にして、そんなものを芸術扱いするのはおかしいといった、個人のセンスの問題にいつの間にかすり替わっていた。 「四男の絵のレベル」については措いて、また彼の文学観についても措いて言うなら、石原氏は美術については一家言のある人で、見識も日政治家としては相対的に有る人です。作家であるから当然、とも言えますが。論より証拠。手元に『美術手帖』の2000年8月号がある。石原都知事のインタビューが掲載されている。編集部が記した前記より抜

    石原氏のオリジナルな審美主義をめぐって淡々とインフォするよ。 - 地を這う難破船
  • 西洋との対話 - Les jardins suspendus de Babylone

    西洋美術と日(東洋)美術の形態的比較が可能となる基盤について、参考になりそうな文章を発見。 ふつう「比較芸術学」と呼ばれるものは、西洋と東洋というような遠隔の地域における特定の芸術ジャンル同士の比較論的考察である。ここでは基的に発生関係を顧慮せずに二種類の芸術を比較記述し、両者の類似性と差異性をあげつらうことが問題になっている。しかし比較するためには、まず両者を同一のレヴェルに並べる共通点、修辞学的にいえば比較点()を必要とするから、それをどこに定位するかによって比較記述のありようが大いに異なってくる。[中略]フライの著作[『比較芸術学の基礎づけ』(1949年)]と並んで「比較芸術学」の代表的な業績としてしばしば挙げられるものにベンジャミン・ローランドの『東西の美術』(1954年)があるが、ここでは比較点は、人体、風景、禽獣、花卉、静物というように、もっぱら造形芸術における題材ないし再

    西洋との対話 - Les jardins suspendus de Babylone
  • プローン法 - 蒼猴軒日録β

    以前、『アメリカの器物』 - 蒼猴軒日録で紹介したAmerican Artifacts: Essays in Material Cultureのケネス・ハルトマンによる序論を読み返していたら、なかなか面白く、ゼミなどに使えそうなので、ちょっとだけネタ公開。 このは、もともと編者の一人、美術史家のデイヴィッド・ジュールズ・プローンが、イエール大学で行っていた「アメリカの美術と器物 American Art and Artifacts」というゼミに提出されたペーパーを基にしている。 プローンという人は、アメリカ美術史では有名な人らしく、また教育者としても知られているらしい。で、彼が確立した視覚文化、物質文化に関する研究の仕方というのが「プローン法 Prawnian Method」。このの序論は、ハルトマンという人(一番弟子なんだろう)が、プローン法について解説したものである。序論はもう少し

    プローン法 - 蒼猴軒日録β
  • ディスカバーされる自分 - あんとに庵◆備忘録

    uumin3さんのエントリに触発され。 ●ディスカバーされる風景、或いは「自分」 ○uumin3の日記 http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20070404#p1 ■美しい日と私 唐突になぜこれを思い出したかと言いますと、b_say_soさん@Say::So?の■[社会]「当の自分」も「好きなこと」も胡散臭いという記事で当の自分ってすごく胡散臭いということが書かれていて、私はかねがね比較的新しい「当の自分」探し*1ブームが始まったのはこの「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが一つのきっかけじゃなかったかと思っていたからです。 イタリアに留学している若い人に出会って話をする機会があった。イタリアにナニをしに来たのか、目的が漠然としていて、「イタリアに行けばなにかを見つけられるんじゃあるまいか?」と考えている。げんにそういう若い人の相談に乗ったこともある。「向う

    ディスカバーされる自分 - あんとに庵◆備忘録
  • http://d.hatena.ne.jp/shimozawa/20070323/p1