2001年10月、青塚慎一さんは家族4人で茨城県神栖市木崎の一戸建て借家に引っ越してきた。住宅街はサッカーJ1の鹿島アントラーズの本拠地から車で約30分、周囲には畑も残る。しかし、転居直後から全員の体に原因不明の変調が現れ始めた。手の震えやめまい、ふらつきなどの神経症状が止まらない。特にひどかったのはまだ乳児だった長男の琉時さん。母の美幸さんによると、頻繁にけいれんに襲われ、医師から「一生歩けないかもしれない」と通告された。21歳になった今も、精神の発達の遅れなど重い障害が残る。 国は最終的に、旧日本軍の毒ガス兵器の原料が原因と判断。半世紀以上も前につくられたものが、21世紀になって若者の未来への自立を奪った。しかも毒ガス兵器の爪痕はこの地域だけにとどまらなかった。(共同通信=辰巳知二)