高井田横穴群の存在をはじめて知ったときの、あの高揚した気持ちを、言葉で表現することはむずかしい。 高井田山は標高わずか65メートル。その丘と呼びたくなるような小さな山に、6世紀中ごろから掘られ始めた横穴墓が、いまもたくさん残っているという。 わたしは魅せられて、これまで何度足を運んだことだろう。 そして秋晴れのなか、いままたそこに向かっていた。 ランカシャーのブラックバーンに4000の穴があいていると歌ったのはビートルズだ。 わたしは久方ぶりに、大阪府柏原市の高井田で160余の横穴と対峙した。 ~目次~ 史跡 高井田横穴公園へ 高井田横穴群 概要 横穴墓を築造したのは誰か 線刻壁画に見る死生観 祭りのあと 線刻壁画をめぐる5つの断章 騎馬人物 (第2支群3号墳) 手足をひろげた人物 (第2支群10号墳) 鳥 (第2支群3号墳) 片手をあげる人物 (第3支群5号墳) 船に乗る人物 (第3支群
![【高井田横穴群】横穴墓を築造したのはどのような集団だったのか。彼らの死生観とは。 - 旅ながらの日々](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/814cb3f342b9d643376dcc42ce29f27faa97a834/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2Fm%2Fma2no_z32%2F20231103%2F20231103002519.jpg)