政府が神祇省を廃止し教部省を設置した目的と敦賀県の事情 前回は明治四年(1871年)の三月に寺院の統廃合に反対して、三河国碧海郡・幡豆郡の浄土真宗の僧侶や門徒が起こした『大濱騒動』のことを書いたが、全国の諸藩でも同様に寺院の統廃合が推進されようとしたのに対して、浄土真宗の強い地域では特に僧侶や門徒の抵抗が大きく、仏教の「護法」を掲げた一揆が各地で起きている。 それまで明治政府は、神祇省に排仏主義者を集めて強引に寺院の統廃合を推進させてきたのだが、神道を基軸とする民衆教化の限界を悟り、これまでの急進的な神道国教化政策を改めて、明治五年(1872年)に大幅な政府組織変更を行っている。 『福井県史』通史編5 近現代一第一章第一節五の解説によると、 「(明治)五年三月、神祇省を廃止し新たに教部省を設置したが、同省は神道・仏教をはじめ宗教界を動員して、統一的組織的な国民教化の新路線をめざしていた。