社会学は自分の中の『気持ち悪い』という感情を分析して俯瞰する学問だったはずなんだけど、北田先生たちの社会運動の完全な失敗によって『気持ち悪いと感じる私の感情は社会を変革する正義の力』みたいなモンスターイデオロギーがネットで育ってし… https://t.co/QRUx4K4XSE
こんなご時世なので過去の名作増田を集めました。巧みな文に唸ったり思わずクスッとなったりして頑張って乗り切りましょう。 選出基準 〇「2015増田」から「2019増田」まで年間増田タグのついているものからめぼしいものをピックアップ。 〇タグを付けたまとめ増田の中で紹介されているものも含める。 〇なるべく面白いものや話題になったものをピックアップ。 〇個人的にもっと評価してほしいものもいくつか加えているので完全に独断と偏見。 一言コメントはいらない気もしたけど、自分が楽しいので付けました。気にしないでください。 ではどうぞ。 anond.hatelabo.jp ひよこを飼育していた時の話。確かに可愛がっていた記憶と呆気ない結末。今すぐキーボードで「ひよこ」と打ってみよう。 anond.hatelabo.jp 冒頭から予想もできない結末がドラマチック、というか冒頭からしてどうかしてる増田。どうで
以下の原稿は、もともと2019年10月12-13日、東京の成城大学における第70回美学会全国大会のために用意した講演原稿ですが、台風19号のために中止となったため、2020年1月12日に同じく成城大学において発表させていただいたものです。その後、雑誌『美学』に掲載するという話もあったのですが、字数制限などがあり残念ながら実現しませんでした。美学会の将来ということを意識した内容なので、このまま一般の雑誌原稿としても発表しにくいため、ここで共有したいと考えました。 〈1〉「歴史の終焉」が意味するもの 2010年、中国の北京大学において、第18回国際美学会議が開催されました。その時の大会テーマは「美学の多様性(Diversities of Aesthetics)」というものでした。企画者のひとりであった佐々木健一氏はそこで「美学の哲学的役割(Philosophical Role of Aesth
毎日新聞での「キャンセルカルチャー」擁護記事で五野井郁夫先生という方が話題になっていたので、その記事の元ネタらしき『世界』2023年6月号の五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」という論文をめくってみました。『世界』とかのいわゆる論壇・総合雑誌に載ってる文章こそ「論文」だっていう感じがありますよね。重大な社会的問題を論じるのだ!って感じ。 さてこの文章いろいろ問題があると思いました。いちいち書けないのですが、奴隷商エドワード・コルストンやレオポルド二世の像なんかが「21世紀の公共空間には不要」で「芸術的価値や資料的価値をことさらに強調したいのであれば、人目につかない倉庫で保管すればよいだけの話」であり、「大っぴらに他者を傷つけたいとの願望は自身の脳内に収めて」おけ、といった文章には驚きましたが、それより次の文章ですね。 思想信条の自由とは、J・S・ミルが『自由論』
なぜなら女性学は当事者研究だからです。私たち女性学の研究者が何をやってきたかというと、女の経験の言語化と理論化。私自身が若かった頃は「恋愛」や「性」が目の前にある課題だったし、子どもを産まない選択をした私にとっても「出産」や「子育て」は、やはり大きな課題でした。 そんな私もだんだん年をとって40歳を過ぎた頃に見えてきた新たな課題が「老い」だったのです。そして、高齢女性たちの実態を調べるうちに、「介護」にも自然と目が向き始めました。私もそのうち要介護認定を受けて介護保険の利用者になる。そう考えれば「介護」もやはり女の課題の一つです。つまり、フェミニズムやジェンダーという用語を使わなくてもフェミ本は書けるということなのです。 週刊文春WOMAN vol.10(2021年 夏号) 40年前、女性学に出会った時は、「自分自身を研究対象にしていいんだ」と、まさに目からウロコが落ちる思いでした。人に言
1. ノーベル賞とフィールズ賞 科学においてもっとも権威ある賞の1つとして「ノーベル賞」を挙げることができる。この賞について改めてここで詳しい説明をする必要はないと思うが、ノーベル賞の対象分野に数学が入っていないことをご存知だろうか。一説によると、ある数学者とアルフレッド・ノーベルの仲が悪かったことが原因だといわれている。一方で、「数学のノーベル賞」といわれる「フィールズ賞」という賞がある。フィールズ賞は4年に1度開催される国際数学者会議(ICM)において、顕著な業績を上げた原則40歳以下の数学者(2名以上4名以下)に授与される。日本人のフィールズ賞受賞者は小平邦彦先生、広中平祐先生、森重文先生の3名である。この3名の専門分野がタイトルにある「代数幾何学」である。すべての日本人フィールズ賞受賞者の専門分野が代数幾何学であることか
はじめに Podcast及びYoutubeで活動している、「ゆる言語学ラジオ」というコンテンツがある。皆様はご存じだろうか。 ご存じない方に向けて、簡単にご紹介しておきたい。 「ゆる言語学ラジオ」はその名の通り、言語学的なトピックを、面白おかしく扱うラジオだ。具体的には、「象は鼻が長い」の主語は「象」か「鼻」かという議題や、英単語「spring」が「春」や「ばね」や「泉」という複数の意味をもつのは何故か、等の興味深い話を聞くことが出来る。 しかしこの「ゆる言語学ラジオ」、言語学という名を冠している以上、学術的な見地から批判を受けることがたまにある。 要するに、学術的に正確ではないこと、厳密ではないことを、インターネットを通して垂れ流しているという批判である。 こういう批判それ自体は決して珍しいものではない。ありていに言って、インターネット上では、よく観察される類のものだろう。 例えば量子力
デイリーポータルZのライター、関係者が愛読している本を語ります。 今回はライターのこーだいさん。レコメンドは「みんなの民俗学 ヴァナキュラーってなんだ?(平凡社新書)」 聞き手はまこまこまこっちゃん、拙攻、石川です。 ではこーだいさん、お願いします。 こーだい: 民俗学の入門書です。 石川: 今回の収録、すごい本のチョイスに偏りがありませんか(笑) ※同じ収録回の記事 地球の歩き方インドの編集者が世界を旅して集めたものたち~ひとりみんぱく 1969年、別に行きたくなかった人によるソ連旅行記~犬が星見た-ロシア旅行 こーだい: メンバー的に、絶対こうなるだろうなって思ってました(笑) でも、すごくデイリーポータルZ的なんですよ、これ。 まこ: へー。 こーだい: B級グルメのことをひたすら調べたりとか、喫茶店のモーニング文化ばっかりひたすら調べたりとか。 拙攻さんがオランダで船の上で生活して
1 美学は芸術の哲学なのか? 2 芸術抜きの美学? 3 美学抜きの芸術? 4 ビアズリー、ディッキー、シブリー 5 美的なものと芸術的なもの、その後 参考文献 1 美学は芸術の哲学なのか? 博士論文(80,000 words)をあらかた仕上げて予備審査に出したので、ゴキゲンのブログ更新。 博論でも取り上げている話だが、私の専門である美学/芸術哲学への入門的な話題としてよさそうだったので、一部ネタを抜粋して再構成してみた。なにかというと、美学と芸術哲学の関係性についての話だ。*1 美学[aesthetics]は、なんの専門家でもない人にとっては「男の美学」「仕事の美学」とか言われるときの流儀やこだわりを指す日常語であり、もうちょっと詳しい人にとっては、芸術哲学[philosophy of art]の同義語だ。英語でも事情は同じらしく、aestheticsが専門だと言えば、artについてなんか
先日リリースされた『ないものとされた世代のわたしたち』について、お手紙をいただきました。読んでくださった方々に、改めてお礼申し上げます。色々なご指摘・ご感想をいただいていますが、そのなかに「知性」の変化についてお話があったので、拙著に書いてないことも含めて書いてみます。 いただいた感想に書かれていた「知性」とは、知識をたくさん持っている人やそうした人の行為、存在感などを指すよう読めました。 それを見て私が真っ先に思い出したのは、昭和50年代に日曜日の朝にテレビで流れていた討論番組です。 www.youtube.com 特に記憶に残っているのは『竹村健一の世相を斬る』で、武村健一がパイプ煙草をくわえながら社会について語ってみせたものです。これに限らず、日曜朝には「難しそうなことを知っていそうな大人たちが、なんだか特別な雰囲気でしゃべっている」テレビ番組が流れていました。こう言っていいのかわか
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前口上以前Twitterで「美術鑑賞には教養が必要だ」と言ったら炎上しました。「美術」は「自由学芸(リベラルアーツ)」つまり西洋における教養科目に数えられる一制度の訳語なので、僕はそんなことは当たり前だと思っていたのですが、たしかにふつう、学校で「図画工作」は習っても「美術」は習いません。これは明治時代のいわゆる「文明開化」のときに日本が西洋の「美術」という制度を輸入しようとして失敗したからです。 僕は「美術」の仕事をしている人間なので、その辺の認識をみなさんと共有する必要があると思いました。なぜ日本において「美術」がしばしば嫌悪されるのか。とりわけ、「美術=教養」の図式が嫌われるのか。はっきり言ってしまえば「美術」制度の輸入の失敗、「美術」教育の失敗の結果なのです。そう、「美術」は西洋の土着的な制度を指す用語で、人類の普遍的な造形文化を意味しません。 はじめに——「美術」は造形文化一般を
任命されたメンバーにも「政権に批判的」な人はいる 科学や学問的知見を社会に反映または浸透させることを目的として設立された「日本学術会議」——その新会員候補者のうち6名の任命を菅首相が拒否したことが、大きな波紋を呼んでいる。 立憲民主党や共産党などの野党、あるいはマスメディアや大学でもこの一件は厳しく批判されており、なかには「憲法で示される『学問の自由』に違反している」といった指摘もある。これに対して菅首相は「学問の自由の侵害には当たらない」と反論し、6名の任命を拒否した理由については「総合的かつ俯瞰的に判断した結果」だと述べた。むろんこのような、ほとんどなにも言っていないに等しい釈明で野党もメディアもアカデミアも納得するはずがなく、批判の声はますます大きくなり、議論は紛糾している。 今回、菅首相によって任命を拒否された6名は以下のとおりである。 「トップ・エリート」だからこそ、拒否された
本記事は、 以下の論文の日本語解説です。 Fukano & Soga (2024). Greenery hypothesis: an evolutionary explanation for why presence/absence of green affects humans. People and Nature. https://besjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/pan3.10619 自然に対する心理的反応に関する新しい仮説を提案した論文で、実験などで何かを実証したものではありません。また、本研究のように進化心理学的な研究は誤解を生みやすいトピックです。こういった背景から、プレスリリースなどではなく、論文全体を(機械翻訳など使いながら)解説しました。興味がある方は、とても長いですが頑張って読んでみてください。15
なぜAIを考える時にベクトルを「矢印」と捉えるべきではないのか。 実際には矢印として考えたほうがいい例外もあります。 たとえば、特徴空間の任意の2点の引き算や足し算をするとき。 矢印のメタファーが使えます。 あるベクトルAから別のベクトルBを引いたベクトルCは、BからAへ伸びる矢印としてイメージするのは大丈夫です。 この性質を利用して、プロンプト芸が成り立つケースもあります。 たとえば画像生成系AIで使われるネガティブプロンプトはそういう性質を使っています。 しかし、根本的に、我々が普段イメージする二次元の矢印で示されるベクトルと、十次元以上の高次空間のベクトルは、全く異なる性質をもっていると考えるべきです。低次のベクトルと、高次のベクトルでは、共通する要素はあるけれども、それはごく一部に過ぎないということです。 例を挙げましょう。 1次元のベクトルは、正負の向きと大きさを持ちます。 数直
「答えを差し控える」を乱発し、短い受け答えを多用する―。菅義偉首相にとって就任後初の論戦となった昨年の臨時国会の答弁を読み解くと、そんな傾向が浮かぶ。回答を「控える」と拒否したのは100回と過去の首相を大きく上回る。18日召集の通常国会は長丁場で「木で鼻をくくったような答弁で持ちこたえられるのか」との声は自民党内でも上がる。専門家は「自分の言葉で国民に語りかける努力が足りない」と指摘する。 国会会議録などを北海道新聞が集計したところ、与野党の質問に対し、首相が答弁で「控え(る)」と述べたのは計100回。過去の臨時国会での首相答弁と比較すると、会期はおおよそ同じにもかかわらず、旧民主党政権時代の2011年の野田佳彦氏の11回の9・1倍、19年の安倍晋三氏の63回と比べても1・6倍と、突出して多かった。 前半は、日本学術会議の会員任命拒否の理由や経緯を問われ、「人事に関することだ」として答弁を
森友学園事件。近畿財務局職員の自死について「人が死ぬほどの問題じゃないんですよ」と言い放った三浦瑠麗女史が、遺書が公表されても沈黙したままの件。 三浦氏がレギュラーコメンテーターを務めていた『みんなのニュース』(フジテレビ)のなかでの、近畿財務局職員の自殺が報じられた2018年3月9日のこと。 佐川国税庁長官の電撃辞任などの話題のあと、MCの伊藤利尋アナウンサーから 「この疑惑をこの状態では放置できないようにも感じますけれども」 とふられた三浦氏は、こう答えたのです。 「そうですね。 最初は、本当に小さな事件から始まったことが、人死を出したということですけれども、私がやっぱり気になるのは、書き換えに関しては、明確な答弁はしてないんですね。 で、そうしたときに、まあ、本当に、まあ、官僚としてはしっかり事実を出す、と。 出すところは出したうえで、責任者は、まあ処分する部分は処分するかもしれませ
こんにちは、みなさん。 今回は「漢字の成り立ち」について小話したいと思います。 一【この章の要旨:本やインターネットで扱われている「漢字の成り立ち」は残念ながら誤りがほとんどってハナシ】 みなさんは日本語を綴るとき必ず漢字をつかっていることでしょう。漢字は日本の生活上欠かすことのできない存在であり、したがって人々の漢字に対する関心もそれなりに高いと思われます。 中型以上の規模の書店であれば漢字関連書籍をまとめた棚があり、漢字字典・漢和辞典だけでなく四字熟語がどうとか、難読漢字がどうとか、使い分けがどうとか、漢検がどうとか、まあいろんなジャンルのいろんな本を見ることができます。その中でいわゆる「漢字の成り立ち」的なことに関連した本もまた一定以上見られます。 こうした本において、作者の自己紹介や序文・後記を見てみると、過去に漢字を研究したことはなく、漢字に関連した仕事もしたことがないということ
これは前後編の「後編」なんですが、前編では、主に「経済・経営」的な話題において、「安倍政権時代の経産省的無責任な言いっぱなし」文化を補完するにはどうすればいいのか?という話をしました。 上記の「前編」をざっとまとめると以下のようになります。 安倍時代の特徴である平成時代風の「言いっぱなしの改革ビジョン」は、「マクロに見た方向性としては正しい」けど「現場とのラストワンマイルの調整」が放置されているので全然実現しない(あるいは非常にイビツな形になってしまう)。 「現場側の事情」と「マクロに見た合理的方向性」をいかにすり合わせるか?がこれからの課題。 それによって、『知的階層がゴリ押しに改革を進める結果、社会の現場レベルにソッポを向かれて、時々妊娠中絶を禁止されるほどのバックラッシュに悩むことになる欧米社会の悪癖』を超える社会ビジョンを示すことがこれからの日本の使命なのだ。 ・・・つまり一個前の
人の「本棚が見たい」のはなぜか? 本好きによる本好きのための月刊誌『本の雑誌』。その巻頭コーナーを飾っているのが「本棚が見たい!」というカラー写真ページだ。脈々と続いているこの連載は、これまで2冊の書籍『絶景本棚』『絶景本棚2』として刊行されているほどの人気ぶりである。本棚のある部屋の雰囲気が伝わる全体像と、背の文字が読めるアップの写真とで構成されていて、知っている本に目を留めながら知らない本の背を読んだり、全体の構成からジャンルの分け方を眺めたりすることで、持ち主の興味のベクトルや意図を想像しながら「本棚を読む」ことができる(『絶景本棚』ではこれを「背表紙読書」と言っている。ぴったりな表現だ)。 『絶景本棚』本の雑誌編集部/編 中村規/写真 ところで、本好きの人間はどうしてこんなに人の「本棚が見たい!」と思うのだろう。『本の雑誌』の巻頭連載には、まず書店さんの本棚が掲載されていて、その次
香港大学は28日、2014年の民主化デモ「雨傘運動」を提唱した一人で同大法学部副教授の戴耀廷(ベニー・タイ)氏(56)を解雇処分とした。戴氏がフェイスブックで明らかにした。香港での反体制的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)の施行により、中国の統制が、「学問の自由」が保障された大学の自治にも及んだ形で、民主派の反発は必至だ。 処分の理由は明らかにされていないが、戴氏は昨年4月、雨傘運動で参加者を扇動した罪などで禁錮1年4カ月の実刑判決を受け、昨年8月に仮釈放された。大学側はこうした戴氏の行動を問題視し、解雇を決めたとみられる。香港メディアによると、戴氏の処分を審議した委員会は18対2の賛成多数で解雇を決定したという。 戴氏は民主派をリードしてきた法学者で、9月の立法会(議会)選挙に向けた民主派の予備選挙の運営で中心的な役割を果たした。これについて、中国政府の香港政策担当機関「香港
このブログシリーズをグラントプロジェクトとしてサポートしてくださっているイーサリアム財団、また執筆に際してフィードバックとレビューをしてくださった末神奏宙さんに感謝します。 Special thanks to Ethereum Foundation for awarding grants to this blog post series, and Sora Suegami for feedback and review. このブログシリーズは、ソフトウェアエンジニアに限らず、あらゆる日本の読者のみなさんに向けて、最先端の暗号技術とその重要性をわかりやすく説明するという趣旨で書かれています。それぞれ単体の記事としてもお読みいただけますが、順番に読み進めていくことでより理解が深まります。まだお読みでない方は、ブロックチェーンやコンセンサスアルゴリズムの仕組みについて解説しているVol.1を先に
ymymmgmg @ymymgmg223 客観的正誤に基づかない権威があるとすると、権威が事実に優先する訳で、理系でこれをやってしまうとインフラや公衆衛生、医療辺りを安全に設計できないので人がバンバン死ぬもんね。 twitter.com/LicjarXeymello… 2023-06-22 09:05:06 まとがわ @ngsw183 理系学問のネックは”価値観”なんですよね。自然は価値観を提供しません。例えば、進化論と遺伝学を学んでも、人権思想は出て来ない。優生学が出てくる。理系学問だけだと、判断が危うくなるのですよね。判断は、価値観に基づいて行うわけですから。だから、工学では技術者倫理があるのですよね。 twitter.com/LicjarXeymello… 2023-06-23 07:14:18 興戸貝多郎 @CodeKaitaroh 理系アカデは「誰がやっても同じ再現性/法則性があ
narushima1977.hatenablog.com この記事を読んで、もうすぐ50歳を迎える僕自身の「仕事」に対する気持ちを整理して、書いてみようと思ったのです。 僕は常々50代の人が何を考えているか知りたいと思ってる。 常々というか、ここ数年というか。 自分が40を超えて、あと何年生きられるのだろう?とか、定年を考えた場合、あと20年というのはどんな時間軸なのだろう?とか、そもそも僕より歳上の50代の方々はあと10年で社会人を終える事にどう考えているのか? とかしれたらいいなと思っていた。過去形で書いたが今も思っている。 『あと10年で定年の歳ですがこのまま仕事するんですか?』なのか『あと10年働かないといけないと考えたら怖くないのですか?』 いや、もっと端的に言えば『何をモチベーションに生きているのですか?』かもしれない。 それは50代の方を馬鹿にしてるわけじゃなくて、自分が50
https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM3/blog/bl/pneAjJR3gn/bp/pBg9n63J4m/ (前編はこちら) (2022年4月10日の放送内容を基にしています) 2012年8月30日。インターネットに突然、abc予想を証明したとする論文が掲載されました。タイトルは「宇宙際タイヒミューラー理論」。著者はアメリカをあとにし、日本での研究生活を選んだ望月新一博士。数学界は驚きと興奮に包まれます。 コロンビア大学 上級講師 ピーター・ウォイト 博士「みんなワクワクしていました。新しいアイデアが数学に流れ込んでくるぞという期待であふれました」 世界中の数学者たちが、一斉に望月論文を読み始めます。 ところがその内容は、多くの数学者をとまどわせるものでした。数学全体を「宇宙」と呼ぶだけでなく、「劇場」「エイリアン」などといった、聞いたこともな
新型コロナウイルスの流行以降、「免疫力」という言葉をメディアやネットなどでよく見聞きするようになりました。「免疫力」と言う言葉を検索してみると、「免疫力を高める」「免疫力を高める食べ物・飲み物」「免疫力低下」などいろいろ出てきます。 2020年7月5日現在、Yahoo!ニュースで「免疫力」で検索すると1,912件も記事が出てきます。 出版物にも「免疫力」と言う言葉を使ったものが多く見られますし、テレビ番組などでも「免疫力」を冠したものがあり、多くのコメンテーターが「免疫力」と言う言葉を使っています。「免疫力」に対し効果があるとうたう商品もたくさんありますね、健康食品などのキャッチコピーでも見かけます。 さて、私は研究者の端くれとして病理学・ウイルス学・免疫学の研究をしています。そういう立場から一言、お伺いしたいことがあります。「免疫力」ってなんですか…? 学問の分野では「免疫力」という言葉
2021.10.4追記 この記事について、林の発言部分に誤解を招く表現があると判断しましたので該当箇所を訂正いたしました。関係者、読者のみなさまにお詫びします。(編集部 林雄司) 街を専門家と歩くシリーズ、今回もガチガチの鉄板回といえる学問系です。好きでしょう、学問を柔らかく教えてもらえるの。それも民俗学。はい、来ました。 妖怪とか民話とかおもしろそうな匂いもするけど今ひとつなんのことか分からない民俗学。そろそろ実態を知るときかなと思ってました。 渋谷の街を歩いて民俗ってなんなの?というところから教えてもらった。そしたらもう民俗だらけです。ではどうぞ! 今回は民俗学者の室井康成さんと東急東横線・田園都市線の渋谷駅周辺を歩く。民俗学という名前はよく聞くのだが実態はよく分かっていないのでまずはそこから教えてもらうことにした。 室井康成さん(左)デイリーポータルZウェブマスター林さん(右)とめぐ
anond:20200827235740 新型コロナの影響って,ほんとに学問分野によって違いが大きいよね. フィールドワークができない,遠隔地の紙資料にアクセスできない,密を避けた実験室のスケジューリングを考えると泣きそう \(^o^)/ とか,大学内の多くは阿鼻叫喚の模様. 大量のオンライン教材も急遽準備しないといけなかったり,忙殺されてる先生方もたいへん多い. そんななか,大学の片隅で理論研究をやってる身からすると,ここ最近は研究がめちゃくちゃ捗ってしまっていて,なかなかに後ろめたい, まず,なによりも在宅ワークと理論研究の相性がたいへんよろしい.研究室に居ると,やれ訪問者だ,電話だといって,まとまって集中する時間がなかなか取れない (脳内に置いてた数式とイメージが消えちゃうこともしばしば.お願いします,邪魔しないで (;_;) ) 在宅ワークでは窓口がメールに一本化されているので,こ
アメリカの名門イェール大学が、美術史学科の「西洋美術の入門(概説)コース」の廃止を発表した。その理由に「行き過ぎではないか」との声が挙がっている。 学生から人気のコースだったのに… たとえば、米国では祝日である「コロンブスデー」を「先住民の日」に変更するという動きがある。これは、ヨーロッパ的(入植者)な見方に偏った歴史解釈を正そうという動きのひとつ。 1492年にクリストファー・コロンブスが「新世界」アメリカを「発見した」というのは、また、その日からアメリカの歴史は始まったとして祝うのは、言うまでもなくヨーロッパ的な見方に偏重したものだ。実際は、南北アメリカ大陸にはすでに何千万もの人たちが暮らしていたことが判明している。 さて、これと同じ流れの話ではあるが、「さすがに行き過ぎではないか」との声が挙がっているのが、アメリカのイェール大学の美術史学科の「西洋美術の入門(概説)コース」の廃止発表
はじめまして、千葉竜介(@metalunk)です。 ソフトウェアエンジニアとしてのキャリアをサーバーサイド開発からはじめ、その後は数学の知識と組み合わせることで機械学習エンジニア、検索エンジニアとして働いてきました。現在は株式会社10X で検索と推薦のシステムを作っています。 機械学習と検索は、ソフトウェアエンジニアリングの中でも特にコンピュータサイエンスの知識が重要である分野だと思います。実際に、機械学習と情報検索は現在アカデミアでもっとも活発に研究されている分野の一つです。 そんな分野の専門エンジニアを名乗るような人というのは、小さい頃から算数が大好きで、大学一年の線形代数に躓くことなく進んできたに違いない、と思うかもしれません。しかし、少なくとも自分は違いました。 そんな自分のキャリアについて、この記事では数学を軸に据えてお伝えできたらと思います。 はじめに:ぼくが理系に進んだ理由
消費者行動や行動経済学を研究されている東京大学大学院の阿部誠教授に、個人の飲食店でもできる工夫やアイデアなど、人間の行動原理をもとにしたお店づくりについて伺いました。 行動経済学をはじめとする学問の教授に、データの観点から飲食店の店づくりや集客方法、リピーター施策として効果的なことを深掘りしていきます。今回は消費者行動や行動経済学を研究されている東京大学大学院の阿部誠教授にインタビューを行いました。 個人の飲食店でもできる工夫やアイデア、お客さんが気にするポイントとはどこなのか?人間の行動原理をもとにしたお店づくりについて考えます。 阿部誠さん 東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授。1991年マサチューセッツ工科大学博士号(Ph.D.)取得後、同年からイリノイ大学助教授に就任。1998年東京大学大学院経済学研究科助教授を経て、2004年から現職。ノーベル経済学賞受賞者との共著を含め、マ
弁護士JP 弁護士JPニュース 「思想の自由市場」は“キャンセルカルチャー”に対処できるか? SNS時代における「表現の自由」の考え方 「表現の自由」に関して、近年では「キャンセルカルチャー」が問題となることも多い。 キャンセルカルチャーとは、「社会的に好ましくない発言や行動をした」とされる特定の個人や企業を対象にしてSNSのユーザーなどが集団的な批判や不買運動、ボイコットを行うことで、その対象をメディアから排除させたり職業上・経営上のダメージを与えたりすることを目指す運動。 最近では、缶チューハイ「氷結無糖」の広告に起用された経済学者の成田悠輔氏が過去に発した「高齢者の集団自決」に関する言説が問題視されたことから不買運動が行われ、3月13日にキリンビール株式会社が広告を一部削除したことが「キャンセルカルチャーではないか」と問題視された。 現代における「思想の自由市場」論 キャンセルカルチ
これがVTuberに関する論考として歴史に残ってしまうのはだいぶ知的にまずいと思います。(論座2021年10月1日) 50年100年後の研究者がこれを参照して(なんといっても日本のクオリティペーパーな新聞社なわけだから)信用して研究をしてしまうのはだいぶまずいよなあと心配しています。 まず記事として構成がおかしい。キズナアイの複数人制は、中の人を入れ替えることが失敗した業界最大規模の実例ですが、それを取り上げた上で、彼はこう論じているわけです(以下引用) しかしその一方で、アバターと中の人が一対であり不可分な関係性だというのは、VTuberのアバターひとつに中の人ひとりという、現在主流な運用形態から見た言い分に過ぎないということも示している。 故に本質的にはVTuberのアバターには人格は存在せず、VTuberの人格とは、その時点でしゃべりや操作を担当している中の人の人格でしかないのである
ニュースを見ていると、そんな疑問が浮かぶのだけれど、いくら空気を読まない私だって、それを口に出す勇気はなかった。これは、そんな私が一冊の新書によって、正義のために物を破壊するのにも、道徳的・理論的根拠があるのかもしれない、と知った経緯だ。 増田と正義論増田に入りびたっていると、世の中にはいろいろな立場があって、さまざまな正義があることがわかる。残念ながら、複数の正義の間でぶつかり合いがあることもまれではない。表現の自由と見たくないものを見ない権利で、レスバトルが毎日のように起きている。あるいは、外国人・移民の権利を尊重したら、女性の安全をないがしろにしてしまったケースもある。2015年のケルン大晦日集団性暴行事件なんかがその例だ。弱者をいたわろう、財産はみんなで公平に分けよう。そうした基本的な原理では同意できるのに、個別のケースでは意見の一致が見られることはめったにない。工学部出身の私とし
[概要]ある人が倫理的な主張をしたとき、それに対して「押しつけるな」という反応が返されることも多い。このとき、両者のメタ倫理観に違いがあるのではないかと考えてみることで理解が進む可能性がある。 序 何について考えるか 用語整理: 道徳? 倫理? 正義? ワールドトリガーと倫理 倫理とは議論の余地のないものであるか 倫理は「お気持ち」とは違うのか 倫理とは主観的なものであるか 倫理を押しつけるな派と別にいいだろ派はそれぞれ一枚岩なのか 倫理とは相対的なものであるか 倫理に権威はあるのか ヴィーガンと正義 正義を他人に要求するのは悪いことか 正義を要求することは当たり前なのか 正義を要求することは暴力なのか 正義を押しつけと感じるのはなぜか 正義を要求することの是非と正義そのものの是非は別問題か 正義とはヤバいものなのか 正義とは発明するものなのか 正義とは理論化するものなのか 参考書籍 道徳
各国のコロナ対策、特にイギリスやドイツから出てくるメッセージを読んでいると、政治の形と、それを担う政治家のバックグランドに意識がゆく。日本の政治家が見劣りする、というだけの話ではない。過去の日本の政治家とは何が違ったかと考える。 宮澤さんあたりまでの自民党と今の執行部メンバーの一番大きな違いは、「これを絶対に大事にする」という、本人の心に刻み込まれた価値観の有無だろう。 刻み込まれた価値観とは、行動を掣肘する定規のようなものだ。戦場をくぐった中曽根康弘、同じく予備学生だった安倍晋太郎、戦前の大蔵官僚だった大平正芳、宮澤喜一、極貧から土木を軸に身を起こした田中角栄。彼らには自分の価値観が刻み込まれていた。 確たる価値観を持つ相手には、哲学のぶつかり合いという形での異議申し立てや、すり合わせの意味での議論が成り立つ。 ところが、もともと大事にしてるものがない相手には議論ができない。依って立つと
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