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  • 47NEWS(よんななニュース)

    大宮にご当地グルメ170品、新鮮な海産物も 14日まで「福井キャンペーン」開催 春に北陸新幹線が延伸、“福井”が急接近へ 被災した石川と隣接、支援に一役 越前そば、ソースカツ丼が無料いつ

      47NEWS(よんななニュース)
    • 「在日はみな朝鮮系、韓国系日本人」になるために - *minx* [macska dot org in exile]

      先日も紹介したけれど、id:k3alt さんのブログがとても興味深い。内容もそうだし、形は違うけれどもわたしもアイデンティティが自明でない状況で生きてきたので、いろいろ感じることがある。で、今回はエントリ「日本人って何だろう」にコメント。 僕個人の考えとしては、在日はみな朝鮮系、韓国系日本人となるべきだと思う。抵抗を示す在日コリアンもいるだろうが、民族と国籍の同一視を止めればいい。それは日本社会にも言えることだ。日本人と言えば民族的にも国籍的にも日本人であると言うニュアンスや捉え方は改めるべきで、国籍が日本人でも民族が違う○○系日本人という存在を許容する必要がある。許容するってのは、○○系ってだけで差別しないことだ。 そうなるためには帰化条件を大幅に緩和するか、出生地主義を取り入れるのがいい。特永所持者は帰化を届出制にしてもいいんじゃないかな。日本が乗っ取られる!とか言っちゃってる人、大丈

        「在日はみな朝鮮系、韓国系日本人」になるために - *minx* [macska dot org in exile]
      • 個別に暮らす元慰安婦16人 日韓合意に肯定的評価 NHKニュース

        慰安婦問題を巡る日本と韓国の合意について、韓国外務省の当局者は、反発が強い支援団体の施設などではなく、個別に暮らしている元慰安婦の女性20人とその家族に直接会って説明した結果、このうち16人が肯定的な評価をしていると明らかにしました。 こうしたなか、韓国外務省の当局者は4日、登録されている元慰安婦の女性46人のうち、合意への反発が強い支援団体の施設などではなく、個別に暮らしている元慰安婦の女性20人とその家族に直接会って、合意内容を説明した結果を明らかにしました。 それによりますと、このうち、生前に問題を解決しようと政府が努力してくれたなどとして、合意に肯定的な評価をしたのは16人に上りました。これに対して、日本の総理大臣による直接の謝罪が必要だなどとして、合意に否定的だったのは4人にとどまったということです。 韓国政府としては、一部の元慰安婦や支援団体の間で反発の声がある一方で、元慰安婦

          個別に暮らす元慰安婦16人 日韓合意に肯定的評価 NHKニュース
        • 奥崎謙三 政見放送

          1983年 衆院選兵庫1区に立候補、落選 同選挙期間中、広島県大竹市の軍隊時代の上官宅を訪ね、応対に出た長男に拳銃を発砲し、負傷させる (殺人未遂罪等で懲役12年)

            奥崎謙三 政見放送
          • 爆笑問題の太田光、保守団体「日本会議」に言及 スタジオ静まる (2017年3月19日掲載) - ライブドアニュース

            by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 19日の「」でが、保守団体「」に言及 「『』っていう政治団体が」と太田が話すとスタジオが静まり返った またデーブ・スペクターはを巡る太田の主張に、一定の理解を示した この記事を見るためには この記事はlivedoorNEWSアプリ限定です。 (アプリが無いと開けません) 各ストアにスマートフォンでアクセスし、 手順に従ってアプリをインストールしてください。 関連の最新ニュース 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 記事時間 ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子

              爆笑問題の太田光、保守団体「日本会議」に言及 スタジオ静まる (2017年3月19日掲載) - ライブドアニュース
            • おかしなヒトリ : 俗・ここがヘンだよ日本の若者叩き

              2010年06月08日01:18 カテゴリ雑記 俗・ここがヘンだよ日本の若者叩き 共通テーマ:ひとりごと  テーマに参加中! 3日かけて犯罪白書を最古の昭和35年から最新の平成21年版まで一通り読んできました。強く感じたのは今も昔も「若者が犯罪に走る理由」とされる分析は大した違いがない、数十年おきに同じ事を繰り返し強調しているなということです。(一) 余暇時間の増大―いままでは,朝は早く,夜はおそくまで,かつがつの生活のために働くというのが,一般の庶民 の生き方だった。子供も,また,親と一緒に,その苦しい味気ない生活のなかに拘束され,その手助けをするのが一つの方式だった。その反面には,その行動範 囲は,家庭や職場の安全圏のなかにおかれ,社会との接触の場面は制限されていた。しかし,戦後における労働時間の短縮,社会保障の実施,義務教育期間の延 長は,生活のための仕事に拘束されない場面を急激に増

              • 37年間の孤独 - 地を這う難破船

                http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/975628.html はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`):【愛知立てこもり】「あなたを安全に保護したい」 愛知県警、容疑者の身柄確保 ブックマークコメントを一読して安堵した。むろん、結果的には、到底ベターな対応とは言い得ない。大石先生の批判は妥当と思う。私ですら、経緯と映像を確認して「…………。」となった。 素人警察のお粗末: 大石英司の代替空港 交渉事の見切り: 大石英司の代替空港 付け加えることもない。ただ。件のブクマコメントに目を通せば、言わずもがなのことであるかも知れないが、看過し難く思ったので、記しておく。そういう発想は、ない、ということを。警察には、アレな意味での世話にしかなったことのない私であるが。 上記『痛いニュース(ノ∀`)』に抽出された書き込みから。 30 名前:名無しさん@

                  37年間の孤独 - 地を這う難破船
                • アルゼンチン密林でナチスの隠れ家発見?かぎ十字や独硬貨も

                  南米アルゼンチン北部サンイグナシオ近くの密林で見つかった、ナチス・ドイツの幹部用の隠れ家として建設されたとみられる建築物(2015年3月9日撮影)。(c)AFP/DANIEL SCHAVELZON/HO 【3月24日 AFP】南米アルゼンチンの密林の奥深くで、ナチス・ドイツの幹部らが第2次世界大戦(World War II)後の逃亡先として建設した隠れ家とみられる建築物を発見した考古学者が23日、この場所にはさらに暗い秘密が埋もれている可能性があると語った。 ブエノスアイレス大学(University of Buenos Aires)都市考古学センターのダニエル・シャベルソン(Daniel Schavelzon)所長が先週末に行った発表は新聞紙面を賑わせ、ナチスの戦犯らが逃亡先としていたことで知られるアルゼンチンで、居心地の悪い記憶を呼び起こした。 シャベルソン氏のチームは、3つの石造りの

                    アルゼンチン密林でナチスの隠れ家発見?かぎ十字や独硬貨も
                  • サービス終了のお知らせ

                    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは本日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

                    • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

                      このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

                      • 拡散希望:「朝鮮進駐軍の非道を忘れるな」

                        以下は、Youtubuにアップされている動画にあるテキストです。 このことは日本人全員が過去の事実として知っておくべきことです。 みなさんの手による拡散を希望します。 ~~~~~~~~~~~~ 「在日のタブー、朝鮮進駐軍」 ※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。 在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。 ●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃● ------------ 「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。 約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。 日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。 そこで米軍憲兵

                        • 私が経験した日本の歴史教育 - BBCニュース

                          日本人は時折、1930年代から40年代の出来事に対して、近隣諸国が持つ根強い遺恨が理解できずに困惑する。それは20世紀の歴史を詳細に学ぶ機会が乏しいからではないだろうか。私自身、16歳でオーストラリアに留学した時点では、ほんのわずかな知識しか持っていなかった。

                            私が経験した日本の歴史教育 - BBCニュース
                          • “商船乗りは 日章旗のもとでは死するとも 軍艦旗のもとでは死なじ” -『船員予備自衛官化「事実上の徴用」海員組合が反発』の報に対するBraunite氏周辺の反応-

                            アデン湾派遣で本当に「禊は済んだ」のか? -『船員予備自衛官化「事実上の徴用」海員組合が反発』の報に対するktgohan氏周辺のつぶやき- http://togetter.com/li/932034 関連 船会社「うちの子を返して(´;ω;`)」 戦時徴用された民間船舶の戦時補償の深すぎる闇 続きを読む

                              “商船乗りは 日章旗のもとでは死するとも 軍艦旗のもとでは死なじ” -『船員予備自衛官化「事実上の徴用」海員組合が反発』の報に対するBraunite氏周辺の反応-
                            • お知らせ : 京都新聞

                              File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

                              • 終戦後に…スパイと決めつけ、日本兵が一家刺殺 久米島:朝日新聞デジタル

                                1945年、沖縄で大規模な戦闘が終結した後から8月の終戦後にかけて、住民が殺害され続けた地域がある。那覇市の西100キロに浮かぶ久米島。日本兵が住民を米軍のスパイとみなし、乳児を含む計20人の命を奪った。島にいた最後の日本兵が投降してから、7日で72年。悲劇は島で今も語り継がれている。 「何で日本軍に殺されなきゃならんかね」。久米島の喜友村宗秀(きゆむらそうしゅう)さん(88)は72年前、隣人で兄のように慕っていた仲村渠明勇(なかんだかりめいゆう)さん(当時25)とその妻、1歳の息子の遺体を見た。その時のことを思い出すと目が潤んだ。「3人とも真っ黒に焼かれて、頭がなかったですよ。殺した証拠として持って行ったんでしょう」 沖縄本島や周辺の離島が焦土と化した沖縄戦で、久米島は無傷に近かった。 沖縄県教育委員会が編集した2種類の「沖縄県史」(1974年と2017年に発行)によると、米軍が久米島に

                                  終戦後に…スパイと決めつけ、日本兵が一家刺殺 久米島:朝日新聞デジタル
                                • 「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」(1976年)の参考文献 - 誰かの妄想・はてなブログ版

                                  「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」のP281〜284に記載されている参考文献の一覧です*1。 単行本 田村泰次郎 『春婦伝』 1948年 東方社 伊藤桂一 『生きている戦場』 1966年 南北社 池田祐・編 『秘録大東亜戦史』マレー・ビルマ篇 1954年 富士書苑 宮崎清隆 『鎖と女と兵隊』 1967年 宮川書房 宮崎清隆 『憲兵・軍法会議』 1967年 宮川書房 伊藤桂一 『水と微風の世界』 1963年 中央公論社 近代戦史研究会 『女の兵器・ある朝鮮人慰安婦の手記』 1965年 浪速書房 加藤美希雄 『秘められた女の戦記』 1968年 清風書房 伊藤桂一 『兵隊たちの陸軍史』 1969年 番町書房 伊藤桂一 『黄土の狼』 1965年 講談社 西口克己 『廓』 1969年 東方出版社 津山章作 『戦争奴隷』 1967年 養神書院 伊藤桂一 『悲しき戦記』 1973年 講談社文庫 長尾唯一 『玉

                                    「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」(1976年)の参考文献 - 誰かの妄想・はてなブログ版
                                  • 「戦争には勝者も敗者もない」――川に人骨……戦時の悲惨さ知る亀井静香の原体験 - Yahoo!ニュース

                                    「川で泳ぐと、たくさんの人の骨が沈んでいるんです。悲惨ですよ」。広島県で終戦を迎えた元衆議院議員の亀井静香氏(82)は少年時代の記憶を語る。終戦から74年。不戦の誓いを立てた日本では、戦争を知る人たちが次々と鬼籍に入り、戦争の記憶は風化しつつある。現職の国会議員もほとんどが戦後世代。保守系政治家としてこの国の戦後政治を見てきた亀井氏に、自身の戦争体験について聞いた。(山口一臣/Yahoo!ニュース 特集編集部) 亀井静香氏は1936(昭和11)年に広島県山内北村(やまのうちきたそん、現・庄原市)で生まれた。県庁のある広島市から北東に80キロほど離れた山間の村。父は村の助役、4人きょうだいの末っ子で、姉2人、兄1人がいた。広島に原爆が投下されたのは1945年8月6日午前8時15分。当時8歳だった亀井氏は今も鮮明に覚えている。

                                      「戦争には勝者も敗者もない」――川に人骨……戦時の悲惨さ知る亀井静香の原体験 - Yahoo!ニュース
                                    • 終戦まもなく。1950年代の日本がわかる貴重な写真(37枚) : カラパイア

                                      1945年、第二次大戦の終結とともに日本は降伏した。米軍率いる連合軍が国土を占領し、日本の社会はすべてにおいて劇的に変化した。日本は非武装化・解体され、経済や教育システムもたて直された。広島・長崎への原爆投下や、おびただしい数の空襲による破壊から立ち直るのに長年かかったが、1950年代までに、日本は戦時中の敵だった西側の同盟国となった。そしてアメリカ文化の一部が、日本の風景の一部となり、日本は家電メーカーとしての経済的基盤を見出し始めた。 海外サイトが特集した、1950年代の日本がわかる写真を見ていくことにしよう。

                                        終戦まもなく。1950年代の日本がわかる貴重な写真(37枚) : カラパイア
                                      • みずぽ 「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるわけがない」

                                        ■編集元:ニュース速報板より「みずぽ 「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるわけがない」」 1 パンパスネコ(埼玉県) :2012/08/31(金) 17:55:51.02 ID:DNkEB6FtP ?PLT(12000) ポイント特典 ■福島瑞穂氏「尖閣で自衛権行使は疑問」 --9条の意義とは 「9条がなければ戦争ができる国になっていた。韓国の若者がベトナムに従軍したように日本も戦地に若者を送ったはずだ。韓国軍はベトナムで憎まれている。戦後の日本が戦争で人を殺さなかったことは誇ってよい。日本が今後、米国の利害に引っ張られて戦争への加担を強いられたときに、『NO』と断れるのが9条の効用だ」 ●9条守れば攻撃されず --他国からの攻撃にはどう対応するか 「9条で『世界を侵略しない』と表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中か

                                        • 「ティアロエ虐殺」の真実を求めて─仏軍に虫けらのように殺された“セネガル狙撃兵”たち | 歴史の闇に葬られた惨劇

                                          第二次大戦中、フランスは植民地の西アフリカから約20万人の「セネガル狙撃兵」を召集した。しかし戦後、セネガルに帰還した彼らは仏軍に銃殺され、「脱走兵」の汚名を着せられた。歴史の闇に葬られた「ティアロエ虐殺」の真実を求めて、遺族の長い戦いが続いている。 「遺体を掘り起こさなければならない」 死ぬ前に父親の骨を見たい──それが年老いた彼の最後の願いだ。 一族に着せられた汚名をそそぐにはそれしかないと、彼は言う。それは、長らく葬られてきた真実を世界に向かって証明する唯一の方法でもある。 真実とは、第二次大戦中、フランス解放のために戦った西アフリカ人兵士数百人が帰還後のある朝、仏軍司令官らの命令によって殺されたことだ。 「あの白人の男たちは、黒人の男たちをごみのように捨てたのです」 犠牲者たちは「セネガル狙撃兵」連隊に所属していたが、多くはセネガルと同じくフランス植民地だったブルキナファソやギニア

                                            「ティアロエ虐殺」の真実を求めて─仏軍に虫けらのように殺された“セネガル狙撃兵”たち | 歴史の闇に葬られた惨劇
                                          • 今年いっぱいで著作権保護期間が終了する「アンネの日記」で共著者を増やして保護期間を延長する動き | スラド YRO

                                            文学作品「アンネの日記」の著者であるユダヤ系少女アンネ・フランクは1945年にドイツの強制収容所内で亡くなっており、今年で欧米での著作権保護期間である70年が経過する。そのため、本来であれば来年の1月1日よりアンネの日記はパブリックドメイン、いわゆる著作権フリーになるはずなのだが、アンネの日記の著作権を管理している団体がこの保護期間を延ばそうと策を練っているという(TorrentFreak)。 この「策」というのは、アンネの父であり、その日記をまとめ出版したオットー・フランクを共著者とするというものだ。オットー氏が亡くなったのは1980年なので、氏を共著者とすることで著作権の保護期間はその70年後である2050年まで延長されることになる。 しかし、オットー氏や第三者によってその内容の部分的削除や修正は行われているものの、オランダでの調査によってアンネの日記はアンネ自身によって書かれたもので

                                            • 靖国は明治に国家の要請でつくられた官製の神社で、たとえば西南戦争の朝敵側など、国家に敵対した側は祀っていない、その意味で、非政治的な鎮魂の社という主張は欺瞞的。

                                              靖国は明治に国家の要請でつくられた官製の神社で、たとえば西南戦争の朝敵側など、国家に敵対した側は祀っていない、その意味で、非政治的な鎮魂の社という主張は欺瞞的。 ただし、国家に身を捧げた人々を追悼し、称揚する施設は、近代ナショナリズムの論理からいうと、まあ、あっておかしくないし、当然という意見もある。普通の話。このへんで、その形式が特定宗教だから揉める、というのは、ほかの国でも最近になってのことだから、そこに無神経でも、それほど「遅れてる」ともいえない。ただし、改善した方がよい、のは当然。 ポイントとしては戦犯問題については、極東軍事裁判を日本は国家として受け入れた、それが前提になって国際社会に復帰した、という事実があるので、それを覆すような政治的メッセージを送ることは、サンフランシスコ平和条約にもとづく政治的枠組みを壊すものだと見られても仕方がない、ということ。つまり、戦犯を戦犯視し、政

                                                靖国は明治に国家の要請でつくられた官製の神社で、たとえば西南戦争の朝敵側など、国家に敵対した側は祀っていない、その意味で、非政治的な鎮魂の社という主張は欺瞞的。
                                              • 現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記

                                                きっかけは。 これ⇒記憶のメモ帖 - 世代で語れない世代 世代論はオッサンの為の言葉 そもそもまとまってない私達の世代を第三世代と括るのは、結局「近頃の若いものは」っていう〜紀元前から続いてる迷文句を言いたいが為だと思うのですよ。 上の世代は世代としての同質性を保ってられるから、世代論は使いやすいと思うのですが、第三世代以降は少なくとも80年代生まれ以降は*1世代ではなく、『類型』で語られるべきだと思うのです。 世代論はオッサンのためというより、現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ。(どっちも強烈にWGIPプロトコル) 国民を制度的に拘束することによる国民経験というのは、基本的に戦争しかない。ほいで、戦前世代が死に絶えたあと、戦中派という戦争=腹減った世代と団塊の世代=戦争を知らない世代の2つしかないんですよ。 そのあとは本質的にグラジュアルなものです。

                                                  現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記
                                                • 歴史探偵、靖国神社に電凸する - 法華狼の日記

                                                  ダイヤモンド社から2006年12月14日に出版された『愛国者の条件』。元『文藝春秋』編集長で作家で歴史探偵な半藤一利氏と、大和ミュージアム館長の戸高一成氏の共著。二人がまず巻頭で対談し、残りの章を交互に執筆するという形式。保守派から軍国主義や愛国教育、『美しい国』へ苦言を呈するという内容が、なかなかひねくれていて面白い。 そして半藤一利氏が担当する第一章では、「分祀は教義上も可能なはず」という小見出しがある。 分祀が可能とする根拠として、半藤氏は興味深い話を紹介してくれた*1。 以前、靖国神社に電話をかけて、こう尋ねてみたことがあります。 「失礼なことをお伺いしますが、戦後復員された横井庄一さんと小野田寛郎さん。きっと一度お祀りされたと思うのですが、復員された後はどうなったのでしょうか?」 すると相手も「えっ?」と驚いたのですが、調べていただいたところ、名簿から剥がしましたと言うんですね(

                                                    歴史探偵、靖国神社に電凸する - 法華狼の日記
                                                  • 創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 - 情報考学 Passion For The Future

                                                    ・創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 演歌はいつから「日本の心」なのか? 昭和を歌う演歌は不思議である。登場人物の多くが、下積み中の流しの歌手であったり、不幸な身の上のホステスだったり、不倫で心中しようとしている女だったり、一般大衆というにはプロフィールが偏っている。その人生は経済成長の時代背景に反して「暗く、貧しく、じめじめして、寒々しく、みじめ」なイメージに満ちている。 著者はまず「日本の心」としての演歌は60年代にはじまり70年代に完成した比較的新しい文化なのだということを明らかにする。明治・大正には社会批判を歌う演歌の伝統があったが、昭和の演歌とは別物であり、それは昭和40年代のレコード業界の再編と専属歌手制度と密接な関係があったそうだ。流し、ドサ回り、長い下積みといった要素は歌手のおかれた背景に由来する。 「推測するに、設立当初のクラウンレコードは経営難であ

                                                    • 『あれよ星屑』完結記念 山田参助さんインタビュー(前編) | マンバ通信

                                                      尋常じゃないくらいタイミングを逃してしまったのですが、山田参助さんの『あれよ星屑』がこれ以上は考えられない形で見事に完結しましたので、マンバ通信としては近所から苦情がくるような大声(心の中の)で推しに推していきたいと思います。タイミングは思いっきり外しておりますが! すいません! (『あれよ星屑』7巻表紙 山田参助) 『あれよ星屑』は控えめに言って、歴史に残る大傑作なので、もしまだ読んだことがないのであれば、まずは読んでいただきたい。日中戦争の戦中戦後を描いた物語の豊かさもさることながら、これまでになかったマンガ表現が堪能できます。 マンバ通信では、このマンガに投入されたあまりにもオリジナルな表現を中心に、作者の山田参助さんにインタビューしました。お手元に『あれよ星屑』全巻をご用意の上お読みください。 かつての日本映画にあったような男同士の人間関係を描きたかった ──まずは完結おめでとうご

                                                        『あれよ星屑』完結記念 山田参助さんインタビュー(前編) | マンバ通信
                                                      • ロンメル将軍の運転手と、将軍に命を救われた英国兵士。共に健在で交流がある(毎日新聞) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                                        毎日新聞2014年3月2日、大型企画記事「Sストーリー」。 http://mainichi.jp/feature/ (有料会員のみ閲覧可能) ドイツ東部のシュタウヒッツに、ロンメルの運転手を務めた元ドイツ兵、ルドルフ・シュナイダー氏(90)が健在……今もロンメルの思い出と生きる。 (略) 痛烈に覚えているのは、1942年の夏の日のことだ。砂漠で道に迷った1人の英兵の車に偶然、遭遇した。ドイツ兵は全員銃を構えたが、ロンメルはそれを制した。震える英兵に英語で話しかけ、車に武器が積まれていないことを確認すると「行っていい」と解放したという。 「それどころか『英国部隊の宿舎はあっちだ』と方角まで指差して教えていました。戦闘以外で命を奪う行為はよくない、と固く信じていたフェアな軍人でした。」 九死に一生を得たこの時の英兵アレックス・フランクス氏(93)…は、ドイツ兵と遭遇した瞬間を今も覚えている。「

                                                          ロンメル将軍の運転手と、将軍に命を救われた英国兵士。共に健在で交流がある(毎日新聞) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                                        • 扇動されやすい人2 - 我が九条

                                                          前回「だまされていたけど、真実を知った私」という扇動されやすい人の話をした。論理的な思考力を鍛える訓練をしたことがないのに、情報に触れた人が陥りがちな過ちであるが、これは何も今の学生に特有の現象ではない、と思う。 思えば私自身も学校では論理的な思考力を養う訓練は一切行なわなかったように思う。大学進学率が50%を切る、いわゆる進学校の出身ではないせいかも知れない。私がそういう訓練を受けたのは、予備校の小論文対策講座だった。 私は私大文系に進学した。もちろん小論文などない。そのせいか、論理的な思考力が欠落した学生が多かったように思う。私自身論理的な思考力がついていたとは胸を張っていうことはできない。そして概ね情報弱者である。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが

                                                            扇動されやすい人2 - 我が九条
                                                          • 戦後生まれの戦争責任は 豪の歴史学者、テッサ・モーリス=スズキさんに聞く:朝日新聞デジタル

                                                            戦後生まれの人々にも、戦争に関する責任や謝罪の義務はあるのだろうか。戦後70年の節目に、こんな問いが浮上している。戦争責任の考察で知られる歴史学者テッサ・モーリス=スズキさん(オーストラリア国立大学教授)に、来日を機に聞いた。 あの戦争に関わりのない世代の子たちに「謝罪を続ける宿命」を背負わせ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

                                                              戦後生まれの戦争責任は 豪の歴史学者、テッサ・モーリス=スズキさんに聞く:朝日新聞デジタル
                                                            • [インタビュー]従軍慰安婦研究の吉見義明教授「日韓は合意を白紙化すべき」

                                                              日本軍の介入を明らかにした吉見教授 「被害者が受け入れ難い内容 結果的に合意履行は不可能になる」 河野談話は「歴史教育を通じ問題を永く記憶にとどめ」と明記 今回の慰安婦合意はそれより後退したもの 「今回の合意は白紙に戻してもう一度考えて見るしかない。困難に陥った時は根本に戻らなければならない」 日本国内の日本軍「慰安婦」研究の第1人者に挙げられる吉見義明・中央大教授(69)が、慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決」されたと宣言した韓日両国政府間の「12・28合意」を白紙化して、原点に立ち返るしかないという見解を明らかにした。 吉見教授はその理由として「この合意は被害者がとうてい受け入れられる内容ではないため」と指摘し、「今回の合意が実行過程に入ったとしても被害者は受け入れない。これは今回の合意では問題が解決されないということを意味する」と話した。 吉見教授は、慰安婦問題に対する日本政府の

                                                                [インタビュー]従軍慰安婦研究の吉見義明教授「日韓は合意を白紙化すべき」
                                                              • 慰安婦の碑建立、「百害あって一利なし」と自民・谷垣氏 - MSN産経ニュース

                                                                自民党の谷垣禎一総裁は15日の記者会見で、韓国の元慰安婦支援団体が在韓日本大使館前に「慰安婦の碑」を建立したことについて「日本国民の感情を逆なでするものであり、未来志向の日韓関係をつくっていく意味では決してプラスではない。百害あって一利なし」と批判した。 その上で谷垣氏は「韓国政府に対し、真摯(しんし)な対応を求めたい」と述べた。18日に京都で行われる日韓首脳会談に関し「野田佳彦首相は毅然(きぜん)とした態度で、この問題に対する韓国の対応を求めなければいけない」と要求した。 ただ、「民主党政権になって日本の外交力は深刻な脆弱(ぜいじゃく)化がある。特に日韓関係は過剰な配慮をするあまり、エスカレートする韓国側の行動が抑えきれないことが続いている」と指摘し、民主党政権の外交能力に疑問を示した。

                                                                • 『あれよ星屑』完結記念 山田参助さんインタビュー(後編) | マンバ通信

                                                                  今のマンガのフォーマットでは日本兵は描けない ──戦争のことについてうかがいたいのですが。このマンガ、最初は戦後のトボけたトーンが印象的なのですが、終盤かなりハードな戦中の内容になっていきます。これはもともとこういう構想だったのでしょうか? 二人が戦後すぐに出会うっていうものを作る時点で大陸モノになることは必至だと思っていました。マンガで日中戦争ってこれまであまり描かれてこなかったように思うので、「マンガ史的に押さえておきたい」とは考えました。 ──またそこも抜けているところだと。 ゴッソリ抜けてるし、今のメジャーなマンガのフォーマットで日本兵を描くのは、大変難しいと僕は思っていて。海軍モノなどはあったりするけど、陸軍の軍服の美意識を今のマンガのフォーマットで追うのは 、きっとみんなしんどいだろうなあと。 ──「フォーマットで追えない」というのはどういうことですか? まず、今ざっと見渡した

                                                                    『あれよ星屑』完結記念 山田参助さんインタビュー(後編) | マンバ通信
                                                                  • アメリカ抜きの日本外交はありうるか? - 内田樹の研究室

                                                                    沖縄タイムズから「日本外交は対米従属から抜け出せるか?」というお題を頂いた。 許された字数が1200字なので、とても書ききれない。 問いに対する答えはもちろん「No」である。 そもそも日本外交が「対米従属である」と思っており、それを「何とかしなければいけない」と思っている人は日本の外交政策の決定過程には存在しない。 存在しないのだから、「アメリカ抜きの日本外交」が構想されるはずがないし、実施されるはずもない。 構造的に「そのことについて考える」ことが禁じられているのである。 一国の外交戦略について、これほどの抑圧がかかっているのは歴史的に見ても例外的な事例であろう。 独仏は普仏戦争から70年間に3回戦争をして、延べ数百万人の同胞を犠牲にした。独仏国境に「満目これ荒涼惨として生物を見ない」惨状を見た両国民が「もう戦争をしない」ために手作りした同盟関係がEUである。 誰に強制されたわけでもない

                                                                    • 戦後昭和史

                                                                      出来事年表 昭和20年 (1945) 昭和21年 (1946) 昭和22年 (1947) 昭和23年 (1948) 昭和24年 (1949) 昭和25年 (1950) 昭和26年 (1951) 昭和27年 (1952) 昭和28年 (1953) 昭和29年 (1954) 昭和30年 (1955) 昭和31年 (1956) 昭和32年 (1957) 昭和33年 (1958) 昭和34年 (1959) 昭和35年 (1960) 昭和36年 (1961) 昭和37年 (1962) 昭和38年 (1963) 昭和39年 (1964) 昭和40年 (1965) 昭和41年 (1966) 昭和42年 (1967) 昭和43年 (1968) 昭和44年 (1969) 昭和45年 (1970) 昭和46年 (1971) 昭和47年 (1972) 昭和48年 (1973) 昭和49年 (1974) 昭和50

                                                                      • 阪神教育事件 - Wikipedia

                                                                        当時の民族教育 1947年(昭和22年)10月、連合国軍最高司令官総司令部総司令官ダグラス・マッカーサーは、日本政府に対して、「在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう」に指令した。 このころ在日朝鮮人の子供たちは、日本内地の教育により、朝鮮語の読み書きが充分にできなかったため、日本各地で国語講習会が開催され、文字と言葉を知ったものが先生となり、在日朝鮮人の子供たちに朝鮮語を教えた。教材は独自に作成された。国語講習会は在日本朝鮮人連盟(略称は朝連)事務所や工場跡地、地元の小学校校舎などを借りて開かれた。その後、国語講習会は朝鮮人学校に改組され、学校は全国に500数十校、生徒数は6万余人を数えた。 1948年1月24日、文部省学校局長は各都道府県知事に対して、「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という以下の骨子の通達を出し、朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示した(朝

                                                                          阪神教育事件 - Wikipedia
                                                                        • 歴史家ジョン・ダワーの警告

                                                                          報道特集:「戦後70年歴史家からの警告」 アメリカにおける日本近現代史研究の第一人者ジョン・ダワー氏を金平キャスターが取材。 戦後70年の日本の今後は。 歴史認識、沖縄、戦争責任など、様々な観点から考える。 ジョン・ダワー(John W. Dower)は、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学教授。専攻は、日本近代史。 Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II 『敗北を抱きしめて』では、終戦直後の日本にスポットを当て、政治家や高級官僚から文化人、数々の一般庶民にいたるまであらゆる層を対象として取りあげ、日本に民主主義が定着する過程を日米両者の視点に立って描き出した。 この作品はピュリツァー賞を受賞すると共に、日本でも岩波書店から「敗北を抱きしめて」の題で出版され、ベストセラーになった。