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2009年8月29日のブックマーク (3件)

  • Gazing at the Celestial Blue 同じ目的を違う手段で達成しようとしているのだとは思う

    私が「これは凄いネタ元だ」と高く評価し(?)注目している個性派論者は何人かいるが、その内の一人には、バレンタインデーでチョコレートを渡された人が自分が命かどうかは、渡す女性の血液型による行動パターンの違いによって解るとか、「愛されるための聴くサプリ」と称して女性の血液型別お薦め音楽をあげてみたり、女性の血液型別取扱説明書を発行したりするスゴイ女性が含まれている。この人物が某恋愛相談コーナーで、結婚式を控えた時期に相手の男性の不機嫌が続きマリッジブルーになっている女性へした回答が、言いふらしたくなるぐらい凄かった。あなたは自分の言い方が悪いから彼を怒らせていると考えているようですが、それはまったくの考え違いです。 男性はそもそも、女性に何か言われるのが嫌なのです。 だから、あなたが取るべき手段は唯一。黙っていることです。 そして笑顔だけ見せて、彼から何か言われた時だけ簡潔に「はい」「解りま

  • Gazing at the Celestial Blue 「表現の自由」は誰のものですか?

    (6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を

  • なまけものだけど、ふつうに - ニートのあした

    ますぞえっちの れいの問題発言*1の、なにが どう問題か? いかに はんろんし、なにに こうぎすべきか? この問いについて かんがえるために、ぼくは ちろるさんの つぎの ことばを さんこうに したい。 私は「野宿者は怠け者だ」という人に二つの言い分で言い返したいです。一つは、いや、怠け者じゃないです、と。仕事がないし、一般の労働市場からはじかれてしまっているのだ、と。あともう一つは、じゃあ、逆に怠け者で何が悪いの? といいたくて。野宿でそんなに悪いのって。……皆、野宿に至った経緯は、大きな問題で言えば、労働市場からはじき出されたというのがあると思うのだけれど、じゃあ今、労働市場に喜び勇んで戻りたいかというと、そう思わないのが「自然だ」と。……怠け者でなにが悪いのって。わたしはそっちを言いたくて。そんなに働くことがいいのかって。*2 さてでは ひとつめの いいぶんだ。 2009年8月24日

    なまけものだけど、ふつうに - ニートのあした
    quagma
    quagma 2009/08/29
    かつてなまけものとして生きたいと切実に思い、あまりの過酷さに断念した。なまけものをやり続けている人を尊敬する。"いってみたいな ニートピア"←(涙)