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ブックマーク / kstn.fc2web.com (10)

  • 『漢和辞典に訊け!』書評

    円満字二郎著、2008年、ISBN:978-4-480-06462-2 元漢和辞典編集者の円満字二郎さんが書いた漢和辞典利用手引きのやうな新書です。普段見慣れた漢字を音訓索引を使つて検索し、其の漢字の隠れた意味を掘起すやうな話題から始つて、主たる漢和辞典を列挙して夫々の漢和辞典の特徴を示し紹介して締め括ると言つた感じで、漢和辞典を使ふ楽しみを教へて呉れるやうな内容になつてゐます。 内容は多岐に亘つてゐて、漢字の音訓、字義、字体と異体字、字源、部首、画数等々、話の繋がりを持つて網羅的に紹介してゐるので、読んでゐて素直に這入つて来ると思ひます。其の中で、意外と一般の人が見落してゐる、と言ふか普段漢字を目にしてゐても意識してゐないんではないかと思はれる事が紹介されてゐました。 円満字君ね、漢字には「形・音・義」という三つの要素があるんだよ…… 言はれてみればああ成る程と思はれる内容ですが、普段其

  • 正字体漢字表

    改訂第二版 : 2005/10/11 ペアの漢字は、括弧の左外側に在る漢字を正字、括弧内の漢字は俗字や略字や字などの異体字とする 2バイトの文字コードで作成してゐる為、使用するフォントの相違に依り、表示される結果に若干の相違が出る場合もあるので、標準的なフォントでの表示閲覧を推奨する 「常用漢字」関聯 所謂康煕字典体(正字体)が規定された略字(357字) 亜 悪 圧 囲 医 為 壱 逸 隠 栄 営 衛 駅 謁 円 塩 縁 応 欧 殴 桜 奥 横 温 穏 仮 価 禍 画 会 悔 海 絵 壊 懐 慨 概 拡 殻 覚 学 岳 楽 喝 渇 褐 缶 巻 陥 勧 寛 漢 関 歓 観 気 祈 既 帰 器 偽 戯 犠 旧 拠 挙 虚 峡 挟 狭 郷 響 暁 勤 謹 区 駆 勲 薫 径 茎 恵 掲 渓 経 蛍 軽 継 鶏 芸 撃 欠 研 県 倹 剣 険 圏 検 献 権 顕 験 厳 広 効 恒 黄 鉱 号

  • 音写の宛字

    外来語と宛字 音写 外来語を漢字の字音で書表す事。日語の仮名文字と同じ用法。 翻訳 外来語を漢字の意味に基いて書表して、読む時は外来のカタカナ語を使ふ場合。日語の熟字訓と同じ用法。 形態模写 外来語の表記方法を真似て、其れと似た漢字の字体を宛てる事。米国の貨幣単位ドルを「弗」と書く類。 一言に宛字或は当て字と言ひますが、宛字には幾つかの種類があります。第一に、元の外来語を単に音写したもの。之は此処で扱ひます。第二に、外来語の概念を漢字の意味に沿つて表記して、其れを外来語の侭読むやうなもの。例へば、仙人掌と書いて「サボテン」と、又、麦酒と書いて「ビール」と読ませるやうな種類です。読ませる部分が大和言葉になると、熟字訓と呼ばれる事になります。考へやうに依つては、漢字の訓読みも一種の宛字と呼べるかも知れません。更に、『説文解字』に解く六書の「仮借」も原理としては音写の宛字と同じものです。 日

  • 漢字の使分け

    お気附きのお方もゐるかと思ひますが、此のサイトでは一般では使はれないやうな漢字の書き方を実施してゐます。茲では、此のサイトの漢字の使分けについて少々述べておきたいと思ひます。 読む為の漢字と書く為の漢字 日では、昭和24年の「当用漢字字体表」制定以来、読む為の漢字と書く為の漢字に大きな差がなくなりました。其れでも、之繞の「うねり」や、「令・冷・領」等の「縦棒」にするか「点」にするかの相違などがあり、全く一様になつたと迄は言へないでせう。 英文字にも手書き文字と印刷文字があるやうに、漢字にも同様に手書き文字と印刷文字の区別が元々ありました。手書きの漢字は、楷書や行書や草書を主とする筆書が主流です。支那や日の書家が残した書が筆書の手として今も尚流布してをります。其の代表的な楷書の書体を「伝統的な楷書」と呼ぶ事にします。 「伝統的な楷書」は、漢字を無理の無い運筆で手書きの出来る書体です。で

  • 説文解字 序文

    許愼、西暦一世紀頃 古者庖犧氏之王天下也、仰則觀象於天、俯則觀法於地、視鳥獸之文與地之宜、近取諸身、遠取諸物、於是始作易八卦、以垂憲象。及神農氏、結繩爲治、而統其事。庶業其繁、飾僞萌生。黄帝之史倉頡見、鳥獸蹄迒之迹、知分理之可相別異也、初造書契。百工以乂、萬品以察、蓋取諸夬。「夬、揚于王庭」、言文者、宣教明化於王者朝廷、「君子所以施祿及下、居徳則忌」也。 倉頡之初作書、蓋依類象形、故謂之文。其後形聲相益、即謂之字。(文者、物象之、) 字者、言孳乳而浸多也。著於竹帛謂之書。書者、如也。以迄五帝三王之世、改易殊體、封于泰山者七十有二代、靡有同焉。 周禮・八歳入小學、保氏教國子、先以六書。 一曰指事。 指事者、視而可識、察而可見、「上、下」是也。 二曰象形。 象形者、書成其物、隨體詰詘、「日、月」是也。 三曰形聲。 形聲者、以事爲名、取譬相成、「江、河」是也。 四曰會意。 會意者、比類合誼、以

  • 字音仮名遣の変遷

    茲では江戸時代から終戦を挟んで現在迄の字音仮名遣を、変化のあつたものを中心に見て行きたいと思ひます。資料としては、江戸時代の代表として、文雄(もんのう)の『磨光韻鏡』、宣長大人の『字音假字用格』、明治時代の代表として『言海』『増補 字源』、戦前の代表として「現代かなづかい」、現在の代表として『岩波国語辞典』『新字源』『新旧かなづかい便覧』を夫々使ふ事にします。 茲に出した漢字の一覧は飽く迄も一例に過ぎません。文字コードで表現できる漢字にのみ限定してゐますが、幾つか漏れもあるかと思ひます。 合拗音に関する字音 き(くゐ) 軌 帰 歸 皈 貴 匱 櫃 簣 饋 鬼 愧 餽 揮 輝 暉 危 詭 跪 毀 燬 卉 虫 戯 戲 虧 麾 徽 馗 逵 喟 ぎ(ぐゐ) 偽 僞 匱 櫃 簣 饋 魏 巍 きやう(くゐやう) 兄 况 況 狂 匡 筐 筺 きよく(くゐよく) 洫 きん(くゐん) 菌 箘 麕 窘 箟 け

  • 国語国字用語集(公開 : 2005/10/04 ; 改訂 : 2006/08/30 © 平頭通)

    凡例 掲載する語は、主に漢字、仮名、仮名遣、文法、国語学者、言語学者、表音主義、文字コード等の関聯とする。 記事の追加や、リンクの追加は、適宜実施する。 ( )内には振り仮名を来の仮名遣で示す。 人名の振り仮名は、( )内で姓と名を半角スペースで分離する。 [ ]内の数字は、生年と歿年を表す。 あ行 石塚竜麿(いしづか たつまろ)[1764 - 1823] 居宣長の門下の国学者。『假字遣奧山路』で、上代特殊仮名遣の存在を初めて明かにした。 異体字(いたいじ) 正字以外の「俗字」「略字」「同字」「古字」「字」「譌字」等を総称してかう呼ぶ。反対語は正字。 所謂康煕字典体(いはゆるかうきじてんたい) 『康煕字典』の見出し文字に採用された字体を模範にして定義された字体の総称。正字体とほぼ同義。 いろは歌(いろはうた) 四十七種類の仮名を一回づつ使用して歌ひ上げた詩を云ふ。大乗仏教の思想が詠み

  • 神代文字の事

    私は常々、神代文字(かみよもじ)等と云ふものは無かつたと思つてゐるのですが、世間では「古代日には漢字が伝来する以前に文字が存在した」と云ふやうな噂を信じてゐる人もゐるやうです。江戸時代の国学者、平田篤胤も其のやうに信じて神代文字の研究をしてゐたやうです。茲では、阿比留文字を中心に実際の神代文字を提示した上で、どのやうに考へるべきかを論じてみたいと思ひます。 先づ、「神代文字」の定義をしておきます。日に漢字が伝来したのは、応神記の記述を信用すれば応神天皇(ホムタワケ、八幡神)の時代に朝鮮半島から齎された事になりますが、其れ以前の日に既に文字が存在してゐた場合、其の文字を指して「神代文字」(かみよもじ)と呼ぶ事にします。ですので、若し神代文字で書かれた文献が存在するのであれば、有史以前の日の様子を垣間見れるのではないかと考へる人もゐるやうです。 日文、阿比留文字 神代文字には様々な種類

  • 詞の玉垣

    「イエスが言つた、『私の口から飲む者は私のやうになるであらう。そして、私もまたその者になるであらう。そして、隠されてゐたものがその者に現はれるであらう』」(トマスによる福音書 語録108) まへがき 此のウェブサイトでは、正字正かなの正当性を主張して行く為の自論と資料とを提供致します。正字は、所謂康煕字典体の事を言ひ、正仮名遣、略して正かなは、歴史的仮名遣や字音仮名遣の事を云ひます。此処では、「常用漢字」や「当用漢字」や「人名用漢字」や法務省制定の「漢字の表」等の漢字制限を否定し、又、「現代仮名使い」や「現代かなづかい」等の表音を目指しつつ中途半端になつてしまつた表記方法を否定します。併し乍ら、閲覧者個人が「常用漢字」や「現代仮名使い」を用ゐる分には私は否定致しません。此のウェブサイトを読んでみて、御自身がお使ひの表記に疑問を持つて頂けると有難く思ふ次第です。又、せめて個人的な文章ででも正

  • 異体字対正字

    どうも、南堂さんの話題が此方にも飛火してしまつたやうなので、少し辯明しておきます。私は南堂さんのやうに、文字コードに対する決定権を持つた人間ではないので、私の意見が即ちJISの意見であると云ふやうに短絡的に判断される事がないやうに豫め注意を喚起しておきます。 事の経緯 私がfunaki_naotoさんの運営する「はてなの茶碗」(2005年08月17日(水)) のコメントに以下の書込みをしたのが発端になります。他人のサイトでこんな事になつてしまひ恐縮です。 # 平頭通 『私も南堂さんの「2004 JIS をめぐる混乱」は読みました。やつてゐる事は正論なんですよね。唯、譬喩が多過ぎる上にあまり効果的ではないと来てゐるもんだから、ややもすると誤解され兼ねないやうな状況ではあります。私自身の意見は既に自分のサイトで公表してありますから、之以上は必要ないと感じてをります。2004JISの場合は、例示

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