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ブックマーク / blog.tinect.jp (2)

  • 「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。

    オンラインでもオフラインでもしばしば思うことがある。 今日の日社会では、ネットであれテレビであれ 「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ と言いたくなる風景がしばしばみられる。 なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでは済むとは限らない。 その責任者は罵倒され、ときには土下座させられる。 法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを正義とみなす空気が発生することもある。 もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはない。 最近になってようやく、マスメディアが苦言を呈するようになったぐらいだ(ただし、マスメディアが煽ることもまだある)。 罵倒や土下座強要は、被害届を受理するほどのものではないし、仮にそれで誰かがうつ病にな

    「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。
    seven_cz
    seven_cz 2020/09/04
    違和感しかない。どちらかと言えば、怒るべき時に怒れない大人社会が、いじめの構造を野放しにしてると思ってる。綺麗事だけ言って、今そこにある問題を見ぬふりして。時間も資質も心の余裕も足りない。
  • 「不寛容と戦うよりも、不寛容を弱い立場に押し付けた方が楽なんだよ。」

    昔、「そんなに厳しくなかった校則の運用が、いきなり厳しくなる」という現象を、眼前で見たことがあります。 その原因は 「お前んとこの制服で茶髪の生徒が歩いてたぞ、どういう指導してるんだ!!」 という、近所の住民からのクレームでした。 最近、校則についての議論が幾つか盛り上がるのを見て、ふと学生時代の話を思い出しました。以下の話は、二十数年前にあった、ただの一実例です。 今盛り上がっている話とは直接関係ないと思いますので、その点ご了承の上でお読みください。 当時私は、幾つかの部活に入部するでもなくぶらぶらしていまして、陸上部で卓球やモノポリーをしたり、囲碁将棋部で五目並べをしたりしていました。 部活の運営は相当適当だったようで、入部届も出していないのに、何故かいつの間にか陸上部の合宿に連れていかれたり、囲碁将棋部の副部長にされたりしていました。カオスでした。 で、囲碁将棋部の顧問が教務の先生で

    「不寛容と戦うよりも、不寛容を弱い立場に押し付けた方が楽なんだよ。」
    seven_cz
    seven_cz 2017/11/03
    多様性、包括化は望ましくても個人では達成できない遠い目標で、眼前の不寛容と戦うコスト回避の方が、現状では強いインセンティブ。属人性の高い対応をしていては駄目で、社会や組織で解決しなければらないこと。
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