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  • 主権国家のトリレンマ : 池田信夫 blog

    2014年02月03日12:59 カテゴリ経済 主権国家のトリレンマ 今週のメルマガでラフに書いたが、ちゃんと説明したほうがいいので補足しておく。経済学で、国際金融のトリレンマとしてよく知られている話がある。これは 1.自由な資移動 2.固定為替相場 3.金融政策の独立性 の3つのうち2つしか同時に満たせないという問題で、1930年代には1と2を維持したために3が失われ、アメリカの大恐慌が世界中に伝染した。1970年代にも外為市場が動揺したため、2をやめて変動為替相場制にして1と3を維持している。 ユーロ圏では、竹森俊平氏のいうように、1と2を維持しているために南部から北部への大規模な資逃避が起き、ECB(実質的にはドイツ)が金融政策でその赤字を補填している。同じようなトリレンマが主権国家にもあり、次の3つのうち2つしか同時に満たせない。 1.自由な人口移動 2.共通の通貨 3.各地方

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    toff 2014/02/03
  • 労働者の地獄への道は官僚の善意で舗装されている : 池田信夫 blog

    2013年10月23日23:05 カテゴリ経済 労働者の地獄への道は官僚の善意で舗装されている きのうの「言論アリーナ」で話題になったのは、厚労省や朝日新聞の時代錯誤な温情主義は、政治的なレトリックなのか気なのか、ということだった。厚労省が音をいうことはないが、hamachanはその音を知る上で貴重なサンプルだ。彼は松井さんの記事の重箱の隅はつつくが、「5年で正社員にしろという規制をしたら5年で雇い止めされる」という論旨には何もコメントしない。これは城さんによると「人は労働契約法の改正はまずかったと思っているが、組織としては誤りを認めるわけに行かないので、筋と関係ない法律論でイヤミを言っている」のだそうだ。しかし私の同期で旧労働省に入った友人は、「小泉政権で雇用調整助成金を切ったのは忸怩たるものがある。労働者を守るというわれわれの任務を果たせなかった」と言っていた。 たぶん、これ

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    toff 2013/10/24
  • 非現実的な夢想家 : 池田信夫 blog

    2011年06月11日11:38 カテゴリ科学/文化 非現実的な夢想家 村上春樹氏のカタルーニャ国際賞の受賞スピーチが話題になっている。エルサレム賞のときは、私が好意的に紹介したら大反響があったが、今回のスピーチは感心しない。 特に驚いたのは、次の一節だ:広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。この碑文については長い論争があり、主語のない曖昧さが日人の戦争に対する無責任な態度をあらわす悪文の代表とされてきた。原爆について謝罪しなければならないのは日人ではなく、国際法違反の爆撃を行なった米軍である。それを占領軍の圧力によって「核」一

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    toff 2011/06/12
    「争いをきらって妥協で紛争を処理し、強いリーダーを引きずり下ろすことによって、日本は世界にもまれな平和を維持してきた。」ことを評価すべきだと思う。
  • 核のゴミ問題は解決できる : 池田信夫 blog

    2011年05月22日13:11 カテゴリエネルギー 核のゴミ問題は解決できる 原発を批判するとき「核のゴミが処理できない」とか「何百年後までも管理しなければならない」といった話がよくある。先日のインタビューで河野太郎氏も、日の核燃料サイクルは破綻していると指摘していた。 最終処理は国内でできず、六ヶ所村の中間処理場も稼働していないため、核のゴミは満杯で、特に福島第二原発に貯蔵されている使用ずみ核燃料はキャパシティが限界に来ているという。経産省の官僚が書いた怪文書「19兆円の請求書」のいうように、核燃料サイクルにこれ以上コストをかけることは正当化できない。地下数百mに埋めることは可能だが、周辺の住民が反対するので国内では困難だろう。 しかしこの問題の解決は、技術的には容易である。大前研一氏もいうように、再処理なんかしないで、放射性廃棄物をドラム缶に入れて日海溝の底1万mに投棄すればいい

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    toff 2011/05/22
    この方の思考回路は間違っていないと思うのだが、インプットが間違っているからアウトプットがトンデモになる時がある。
  • 電気代を上げなくても被災者の補償はできる : 池田信夫 blog

    2011年05月12日21:36 カテゴリエネルギー 電気代を上げなくても被災者の補償はできる きょうの閣僚会議で決まるはずだった東電救済案が、首相の判断で先送りになった。首相は「賠償スキームについては、決して東京電力の救済ではない。被害者の皆さんに、一日も早く、救済がきちんと実行されるようにという観点で、この間の経緯をお話いただいた」と語っている。東電救済という批判がよほど気になったのだろう。 今回のスキームは正確にいうと、東電の株主(および貸し手)の救済である。ネット世論調査でも「東電の株主、債権者も負担を負うべきですか?」という質問に「負う必要はない」と答えた人は3.8%しかいない。このまま強行したら、国会では野党が反対に回り、電力会社のロビー活動で大混乱になるだろう。これが裁判所で行なわれる法的整理と行政の裁量による任意整理の違いである。 被災者の補償は数兆円規模といわれるが、東電

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    toff 2011/05/13
  • 東電の分割で賠償原資を : 池田信夫 blog

    2011年05月11日01:05 カテゴリエネルギー 東電の分割で賠償原資を 日経新聞の三宅伸吾さんから教えてもらったが、細江宣裕・田中誠「東電賠償原資調達スキームとアンバンドリング」は名案だと思う。これは図のように原発事故の原資を出すために、東電の資産を分割して売却しようというものだ。 送電網を売却して東電が「東京発電」株式会社として存続する案と、発電所を売却して「東京送配電」として存続する案があげられている。送電網を公共インフラとして国が買収することも考えられるが、分割された会社を買収して他の業種の企業が電力事業に参入できる点では、発電部門を売却したほうがいいかもしれない。 こういうアンバンドリングは私も提案したことがある。送電網の売却は郷原信郎氏も提案しており、細野首相補佐官も言及している。どちらにしても、東電の分割・売却によって電力の全面自由化が実現し、資市場も活性化する。「原発

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    toff 2011/05/11
  • 「自然エネルギー」の幻想 : 池田信夫 blog

    2011年04月29日12:20 カテゴリエネルギー 「自然エネルギー」の幻想 ここ1ヶ月でエネルギー問題を勉強したにわかエコロジストは「原発は反自然エネルギーだから凶悪で、太陽光は地球にやさしい自然エネルギーだ」と思っているのだろうが、太陽電池はきわめて人工的な技術であり、風力発電は環境破壊がひどい。上の写真はパームスプリングスの風力発電機だが、これが「自然」な風景だろうか。 ニューズウィークにも書いたことだが、「自然エネルギー」という言葉を使うのは、エネルギー問題を理解していない人の特徴である。化石燃料はもちろん原子力も、太陽を見ればわかるように自然のエネルギーである。人工のエネルギーなんかありえないのだから、自然か反自然かということは意味をもたない。 再生可能エネルギーが化石燃料と違うのは、資源が枯渇する心配がないことと環境汚染が少ないことだ。しかし埋蔵量でいえば、石炭も天然ガスもウ

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    toff 2011/04/29
    日本あるいは先進国のことだけ考えればそれでも良いかもしれない。再生可能エネルギーが商業的に成り立つ構造を先行して作るのは先進国がやるべきことだと思う。
  • 再生可能エネルギーは原発の代わりにはならない : 池田信夫 blog

    2011年04月24日11:18 カテゴリエネルギー 再生可能エネルギーは原発の代わりにはならない 孫正義氏によれば「太陽光発電コストが原子力発電コストを下回った」そうだ。他方で、彼は「これから20年間、再生可能エネルギーを全量買い取りで補助すべきだ」という。なぜ原発より安いエネルギーに補助金が必要なのだろうか。 そもそも彼の引用しているNC WARNなる反原発団体のパンフレットの数字には、何の客観性もない。たとえばアメリカのエネルギー省の予測では、2016年でも太陽光(Solar PV)のコストは原発(Advanced Nuclear)のほぼ2倍だ。 しかもこれはワットアワーの比較である。原子力はコンスタントに電力を供給できるが、太陽光発電の稼働率は12%。今回の計画停電のような夜間のピークには役に立たない。数字を見ればわかるように、もっとも有望なのは非在来型の天然ガス(Advanced

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    toff 2011/04/24
    「昨今出ている政府の東電救済案は現在の東電を丸ごとベイルアウトしようというもので、このままではどさくさにまぎれて改革は幕引きされてしまう。」
  • ガイアの復讐 : 池田信夫 blog

    2011年04月23日08:05 カテゴリエネルギー ガイアの復讐 私は1990年に、中沢新一氏をキャスターにして作った「森・不思議の旅」という番組で、著者ジム・ラブロックにインタビューしたことがある。彼は地球は生きたシステムだという「ガイア仮説」で知られているが、「ガイアを守れ」という類の話には批判的だった。 しかし書では、地球温暖化によって人類(ガイアではない)が危機に瀕すると主張している。この種の終末論には疑問が多いが、地球が温暖化していることは事実である。したがってエネルギー問題を考えるときは、少なくとも次の4つの制約条件のもとで問題を解かなければならない。エネルギー価格 安全性 供給の安定性 環境への影響 この4つの条件をすべて満たす理想のエネルギーはなく、これらはトレードオフになっているので、どう優先順位をつけるかは国民の選択である。目的関数の取り方はいろいろ考えられるが、

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    toff 2011/04/23
    「現時点では」という条件付きだと思う。放射能を拡散するおそれのある原子力発電に変わる物に移行するという最終目標を確認した上で、今の原発をどうするかという議論をすべきなのではないかと思う。
  • 原発事故のリスクをどう「割り切る」か : 池田信夫 blog

    2011年04月20日10:38 カテゴリエネルギー 原発事故のリスクをどう「割り切る」か もう原発の記事はやめようと思っていたのだが、まだまだ議論が続くので、また原発の話。うんざりしている人は無視してください。 私が今度の震災を「1000年に1度ぐらいのブラック・スワン」だと書いたことを町村泰貴氏が批判しているが、福島県沖で14mを超える津波が起こったのは、869年の貞観地震以来のことらしいので、1100年ぶりである。三陸沖地震のときは30m以上の津波が起こったというが、それはリアス式海岸で波が増幅されたためで、福島県沖で観測された最大の津波はチリ地震のときの3m余りだ。 実は、質的な問題はそこにはない。原因が何であれ、冷却水が抜けてECCSが動かない上に非常用電源もすべて切れる事態は、論理的には考えられる。その可能性をどこまで設計に反映させるかは、電力会社の経営判断だ。班目春樹原子力

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    toff 2011/04/20
    工学的にというか現実的にどこかで割り切ることは必要だ。しかし原発とその他の方法の違いは、火力や水力で爆発してもダムが決壊しても、仮に1万人が死んでも惨禍はそこで終わるということ。原子力はそうはいかない
  • 東電をどう処理するか : 池田信夫 blog

    2011年04月15日11:07 カテゴリエネルギー 東電をどう処理するか 福島第一原発の事故処理をめぐって激しい情報戦が展開されている。まず問題は原子力損害賠償法の「天災地変」の規定を適用して国が賠償するかどうかだが、無理があるという意見が多いようだ。福島第二も女川も問題がないのに、福島第一だけで事故が起きたのは、東電の設計に不備があったと考えざるをえない。東電は「国の安全基準に従った」と主張し、経団連の米倉会長まで「国の責任だ」とオール財界で応援しているが、霞ヶ関は冷たい。 重要なのは、今回の損害(廃炉と賠償)を東電が自力で処理できるかどうかである。事故で退避した10万人に各300万円を払うとしても3000億円、農畜産物の被害を入れると1兆円を上回る。廃炉のコストも大きく、1基4000億円ともいわれるので、1~4号機の合計で1兆6000億円。ざっくり考えてトータルで3兆円は下らないだろ

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    toff 2011/04/15
  • 電力網のアンバンドリング : 池田信夫 blog

    2011年04月07日23:42 カテゴリエネルギー 電力網のアンバンドリング 独占企業のネットワークを切り離して競合他社に開放する規制改革が検討されている・・・といってもNTTのことではない。ニューズウィークで紹介した東電の発電と送電の分離である。霞ヶ関では、いろいろな案が乱れ飛んでマスコミにリーク合戦が始まっている。 私のところに回ってきたペーパーは経産省の若手「タカ派」のもので、廃炉と損害賠償の後処理を「清算会社」に分離し、体を発電部門と送電部門に分離して、送電部門を東北電力と合併するというものだ。これは2000年代前半に経産省が仕掛けた案に近い。世界的には発送電を分離して競争を促進するのが常識で、通信と同じように各国でアンバンドリングが実施されている。 しかし日では電力会社が強く抵抗した。折悪しく電力の自由化を悪用したエンロン事件やニューヨークの大停電が起きたことから、自民党

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    toff 2011/04/08
  • 捨てる勇気 : 池田信夫 blog

    2011年04月07日07:44 カテゴリその他 捨てる勇気 佐賀県武雄市の「被災犬受け入れ計画」について孫正義氏のつぶやきに私が「行方不明がまだ1万人以上いるのに、犬の心配してる場合じゃないでしょ」とコメントしたら、驚くほど多くの反発がきた。これは市が公共施設に犬を収容するのではなくNPOの支援を斡旋するという話らしいので、私のコメントにも誤解があったが、考えさせられたのは反論の多くが「人命も犬の命も同じだ」と怒っていたことだ。 その通りである。犬の命もの命も、牛の命も豚の命も同じだ。ではなぜ「牛を殺すのはかわいそうだ」という話にならないのだろうか。いうまでもなく、牛は殺すために飼われているからだ。デリダも指摘するように、犬をかわいがって牛を殺すのは、西洋の自民族中心主義にすぎない。インドでは許されない。 まだ行方不明が15000人以上いるということは、救援・捜索活動の手が足りていない

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    toff 2011/04/07
  • 原発の常識 : 池田信夫 blog

    2011年04月05日00:53 カテゴリエネルギー経済 原発の常識 原発をめぐる論争は「枯れた」分野で、ほとんどの論点は80年代までに出尽くした。私も昔、たくさん原発の番組をやったが、そのころと基的な考え方は変わらない。そういうことも知らないで孫正義氏までが古いレコードを再生するのは電力の浪費なので、Togetterでもまとめたが、ここで常識を簡単にリストアップしておこう:軽水炉は工学的には危険である:水を冷却材に使っているので、それが抜けると燃料棒が溶融して炉を破壊する可能性が排除できない。 実際には重大事故は少ない:チェルノブイリ以外にも共産圏では重大な事故が起こったが、西側諸国では作業員が数人死亡する程度の事故しか起こっていない。 死亡率でみると、石油火力や石炭火力は原子力より危険である:採掘だけではなく、燃焼によって大気中に出る汚染による被害も化石燃料のほうが大きい。 環境汚染

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    toff 2011/04/05
  • 失敗の本質 : 池田信夫 blog

    2011年03月29日18:57 カテゴリ法/政治 失敗の質 私がツイッターで紹介したら、アマゾンで26位になった。品切れで読めない人も多いと思われるので、簡単に内容を紹介しておこう。 書は防衛大の教官と野中郁次郎氏が日軍の組織としての欠陥を分析した、戦略論の古典である。その特徴を戦争と今回の原発事故を対比して紹介すると、戦力の逐次投入:戦略目的が曖昧なため戦線の優先順位が決まらず、兵力を小出しにして全滅する――最初から海水を注入すれば炉内の圧力上昇を防げたかもしれないのに、1日遅れでベントを始め、水素爆発してから海水注入を始める。 短期決戦のスタンドプレーを好む指揮官:太平洋戦争は「敵を一撃でたたけば戦意喪失して降伏する」という主観的な見通しで開戦した――原発事故の起きた翌日に首相が発電所に乗り込んで、ベントが6時間遅れた。 補給を無視した人海戦術:太平洋戦争の「戦死者」300万

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    toff 2011/03/29
  • 内田樹氏のエコ幻想 : 池田信夫 blog

    2011年03月27日10:25 カテゴリエネルギー 内田樹氏のエコ幻想 内田樹氏の記事について論評したら、大きな反響があったので、少し補足しておこう。この記事が前半でいっている「政府や東電の対応が帝国陸軍と似ている」というのはその通りで、私も同じような感想を書いた。しかし内田氏はそこから「すべての原発の即時停止と廃炉」を求めるのだ。その理由を彼はこう書く:[原発は]いったん事故が起きた場合には、被曝での死傷者が大量発生し、国土の一部が半永久的に居住不能になり、電力会社は倒産し、政府が巨額の賠償を税金をもってまかなう他なくなる。原発事故によって失われるものは、貨幣に換算しても(人の命は貨幣に換算できないが)、原発の好調な運転が数十年、あるいは数百年続いた場合にもたらされる利益を超える。これは事実認識として誤りである。今回の原発事故で、人命は1人も失われていない(今後も死者はゼロに近いだろう

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    toff 2011/03/27
  • 政府は東電を救済するな : 池田信夫 blog

    2011年03月23日08:43 カテゴリエネルギー 政府は東電を救済するな 福島第一原発事故による損害と補償で、東電が企業として存続できるかどうか疑問になってきた。銀行は1兆円以上の協調融資をする予定で、政府も援助を検討している。原子力損害賠償法では、電力会社の賠償の限度額を1200億円と定め、それ以上の損害については政府が一部を補助することになっているが、今回のような巨額の賠償は想定されていない。1兆円を超えるともいわれる損害を納税者が負担することは、国会の同意を得られないだろう。 福島第二や女川などの原発が無傷だったのに、福島第一だけが致命的な事故を起こしたのは明らかに東電の過失である。特にJBpressにも書いたように、1号機と3号機の原子炉建屋が破壊されて大量の放射能を外気に放出したのは、経営陣の失敗である。また4号機の使用ずみ核燃料が火災を起こしてから冷却水の停止に気づくなど、

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    toff 2011/03/23
  • 自己という牢獄 : 池田信夫 blog

    2011年03月06日11:02 カテゴリ 自己という牢獄 日経済学が信用されない一つの理由は、それが依拠している合理的個人という人間像が、日人の感覚に合わないためだろう。他方、新古典派やフリードマンにとっては主体が合理的に選択して全責任を負うというのは自明の前提だが、大陸のポストモダンは主体の概念を疑うことを一つのテーマとしてきた。特にフーコーは晩年に「私のテーマは一貫して権力ではなく主体だった」と述べている。書は彼の思想を主体という概念を軸にして概観したものだ。 初期の『臨床医学の誕生』や『狂気の歴史』では、フーコーは近代的な合理性が非合理な「狂気」を排除することによって形成された過程をたどり、『言葉と物』では<人間>という概念が18世紀以降の啓蒙思想によって作られたフィクションであることを明らかにする。「不可侵の人権」や「国民主権」は近代国家を支えるフィクションであり、労働

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    toff 2011/03/06
  • 宇沢弘文氏の奇怪な農本主義 : 池田信夫 blog

    2011年02月26日13:38 カテゴリ経済 宇沢弘文氏の奇怪な農主義 菅政権にゆさぶりをかける民主党議員が「TPPを考える国民会議」なるものを結成した。驚いたのは、その代表世話人として宇沢弘文氏が記者会見したことだ。彼は私の大学時代の先生であり、学問的に教わったことも多いが、90年代以降は極端な農業保護主義を主張するようになった。今回も農協新聞に寄稿し、TPPを激しく攻撃している。菅直人が「平成の開国」と叫ぶとき、「安政の開国」を念頭に置いてのことであろう。1858年井伊直弼によって締結された日米修好通商条約は、治外法権、関税自主権の放棄、片務的最恵国待遇からなる極限的な不平等条約である。「安政の開国」の結果、日の経済、社会は、とくに農村を中心として、致命的なダメージを受けることになった。驚いたことに、彼は明治維新による開国を否定するのだ。普通の人はこのへんでついていけないと思うが

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    toff 2011/02/26
    今回の宇沢氏の動きは、学生時代から彼の著作に慣れ親しんだ者として非常に残念というか、理解できません。
  • 資本主義の不安 : 池田信夫 blog

    2011年01月19日13:19 カテゴリ経済 資主義の不安 きのうのアゴラ連続セミナーでは『資論』を読んだ。この準備のために、10年ぶりぐらいに訳を読んだが、あらためてすごいだと思った。といっても、昨今のマルクスのように「プレカリアートの味方」だとか「人間疎外を告発した」とかいう話ではない。マルクスは、そういう凡庸な平等主義を否定していた。 一般には、マルクスの価値論はリカードの焼き直しだと思われているが、廣松渉も指摘するように、彼は価値実体論を疑い、あと一歩で労働価値説を否定するところまで行っている。たとえば等価形態を説明する部分には、有名な次のような叙述がある:この人が王であるのは、ただ他の人々が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。ところが彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下だと思うのである。これは「価値は距離のようなもので、一物の価値というのはありえない」と

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