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yahoo!と歴史に関するuduki_45のブックマーク (3)

  • 大日本帝国では朝鮮人の陸軍士官学校の入校は認めてたのに - 海軍兵学校・海軍機関学校などの海軍の士官養成諸学校の入校は認めな... - Yahoo!知恵袋

    ご指摘の通り、陸軍は、将校を目指して幼年学校や士官学校を受験する者については、内地籍と外地籍(朝鮮・台湾など)の如何を問いませんでした。なので、朝鮮籍や台湾籍で幼年学校・士官学校を経て現役将校となった人は少なくありません (決して多くはないですが)。 また、大東亜戦争の際の日陸軍の将校の多くが、軍事教練のある学校を卒業して「将校適任証」を得て現役兵として入営し、その後に甲種幹部候補生となって予備士官学校を経て将校となった者で占められていましたが、その経路を経て帝国陸軍将校となった外地籍の者も少なくありません。 その中には、特攻戦死した人も何人もいます。 後述するように、外地籍の者は徴兵の対象外でしたが、陸軍への「二等兵としての志願入隊」は認められていました。ただし、外地籍の者については「募集枠」があり、競争率が激しかったようです。なので、戦後に韓国陸軍の基幹をなしたのは、 1) 幼年学校

    大日本帝国では朝鮮人の陸軍士官学校の入校は認めてたのに - 海軍兵学校・海軍機関学校などの海軍の士官養成諸学校の入校は認めな... - Yahoo!知恵袋
  • 二階から目薬といいますが昔の目薬は軟膏でした。 なぜこんなことわざができたのですか? - Yahoo!知恵袋

    私もこのことについては昔から気になってました。 軟膏や粉薬じゃ意味がないことわざなのに、かなり古い文献にも似たような記述がある。 考えられるのは黒田如水の先祖が商っていたというメグスリノキなんですが、これは洗顔液で点眼薬ではない。 幕末のポンペ先生が1867年に弟子に伝えて大当たりしたという「精奇水」か?でもこれも軟膏らしい。 後の参天製薬になる田口參天堂が最初の点眼薬を売り出したのは、1899年の事なんです。 通常のQAは結局よくわからないので、このことわざ自体が新しいものなんじゃないかという結論でした。 しかし、ここでこだわりの人のサイトを発見できました。ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)北村孝一氏の「ことわざ酒房」です。 氏は例のトリビア番組で当時は「軟膏の塗り薬」で、二階から目薬は「無理な相談です」「ことわざの意味も出来ないこと、してみても無駄なこと」だという説を聞き、釈然とし

    二階から目薬といいますが昔の目薬は軟膏でした。 なぜこんなことわざができたのですか? - Yahoo!知恵袋
  • 日本の戦国時代等には、なぜ盾が存在しないのでしょうか?私が知らないだけで存在していたのでしょうか? - 置き盾なら日本でも広く... - Yahoo!知恵袋

    置き盾なら日でも広く用いられていました 手盾も飛鳥時代以前までは使われていたようです ここでの質問は当然手盾のことを仰っていると思いますが念のため確認しておきます 盾が無いことの「わかりやすい一番の理由」はありません いくつかの理由が混在して手盾が淘汰されていきました 主要な理由をピックアップしましょう 【鎌倉時代以降、武士は長弓による射撃戦闘をメインにしていった】 弓は当然両手で扱います そこで馬上の白兵戦では太刀のみを用いるようになりました 白兵戦では槍を使うはずだとおっしゃる方もいますが鎌倉時代、槍はありません 盾と同様、飛鳥時代までに廃れてしまっています 日で槍が復活するのは室町時代以降のことになります また薙刀は鎌倉時代も盛んに使われていましたが、主に歩兵の武器でした 騎乗する位の高い武士は弓を持つなら太刀を選択するしかありませんでした 最初から白兵のみの戦いを想定して薙刀を

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