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片上大輔に関するy_koutarouのブックマーク (2)

  • コピー将棋と定跡の進歩 - daichanの小部屋

    月曜日のこと。連盟で棋譜をコピーしていたら、ある棋譜が目に留まりました。その将棋は最近流行している戦型だったのですが、何と投了図が前例のある局面でした。 詳しくはいずれ専門誌に取り上げられるかと思いますが、いずれ起きるべくして起きる事故だった、とは言えそうです。 たまたま公式戦だったので目に留まりましたが、研究会との符合はすでに起こっていたかもしれません。たまたま投了図だったのでより大きな話題になりそうですが、「実質的な決着」という意味であればすでに何度も起きています。 「ありえない」と思われたことがいつかは起きるのは、大げさに言えば歴史の必然でもあります。僕は子どもの頃「将棋は奥が深いから絶対に同じ将棋にはならない」と習ったものですが、そんな自明に思われたことも決して絶対ではない、ということなのでしょう。 そんな中での竜王戦第3局は角換わり同型。最も研究が必要と言われるこの戦型で、1日目

    コピー将棋と定跡の進歩 - daichanの小部屋
    y_koutarou
    y_koutarou 2009/11/12
    『ある棋譜が目に留まりました。《中略》何と投了図が前例のある局面でした。』『そういう流れは十数年は前からあるにも関わらず、実際にはすごい勢いで拡散してきたという事実には、勇気づけられるものがあります』
  • 将棋の「奥」について: daichan's opinion

    最近プロ将棋の「型」というものが、いままで以上になくなってきていることを強く感じる。そしてそれは、より質的な意味において、将棋というゲームの原理に近づいているのではないかと思えてならない。 「どうぶつしょうぎ」のヒットは、より少ない枚数・より弱い種類の駒たちによっても、(将棋に近いゲームになりうる可能性を示唆した。その奥行きが最終的にどの程度あるかは今後の研究を待つとしても、少なくともいまの自分には、具体的な解は得られていない。あの狭い空間でそれだけの奥があることには驚く。 どうぶつしょうぎにはまだ定跡のようなものは整備されていないはずだから、頼りになるのは自分の「読み」だけである。見たこともない局面を前に、「こう行く、こう来る」という読みを繰り返していくしかない。しかるに普通の将棋だとどうなのだろう。 将棋は長い歴史の中で、たくさんのセオリーが整備されてきた。その多くは「戦法」とな

    y_koutarou
    y_koutarou 2009/05/04
    『ところが最近の将棋には、まるで法則の裏をかくというか、あえていままでの法則の「例外」を探しているかのような将棋が多いと感じる。』
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