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池田信夫と日本に関するyukio2005のブックマーク (36)

  • 希望について - 池田信夫 blog

    19日の記事には驚くほどの反響があり、出版化の話まで来た(さすがに無理なのでお断りしたが)。コメントも150を超え、延々と議論が続いている。2ちゃんねるでもスレが立ったようだが、いつものシニカルな反応が少なく、共感する声が意外に多い。日の閉塞状況の深い部分を、この記事が期せずして突いてしまったのかもしれない。 そのキーワードは「希望」のようだ。救いのない状況に置かれたとき、人は「今ここにないもの」に希望を求める。古代ユダヤ教が故郷をもたないユダヤ人に信じられたのも、ウェーバーが指摘したように「救いは現世ではなく来世にある」という徹底した現世否定的な性格のゆえだった。キリスト教が激しい弾圧に耐えてローマ帝国の貧民に広がり、最終的に国教になったのも、この世の終わりがまもなくやってきて、現世で救われない者ほど来世で救われるという教義のためだった。 近代において社会主義が強い影響力をもつのも

  • 日本経済のダメージはなぜアメリカより大きいのか - 池田信夫 blog

    30分で書いた先日の記事が思わぬ議論を呼んでいるので、補足しておく。書き方が混乱をまねいたのは申し訳ないが、これは「外国貿易乗数は大国のほうが大きい」という常識を書いただけだ。ちょうど先週出た日銀の金融経済月報に、この原因についての分析があるので、引用しておこう:わが国の生産の落ち込みは、世界的な景気調整の震源である米国と比べても、むしろ大幅なものとなっている。これには、以下に示すように、日米製造業の構造の違いが大きく影響していると考えられる。 第1に、鉱工業を構成する産業のウエイトの違いである。鉱工業の生産の内訳をみると、わが国は、落ち込みの大きい輸送機械(自動車等)、電気機械類(電子部品・デバイス、電気機械、情報通信機械)、一般機械(設備機械等)の3業種で鉱工業全体の約5割を占めているのに対し、米国では、それに対応する業種の比率は2割程度。 第2に、輸出の影響の違いである。輸送機械

  • 致命的な思いあがり - 池田信夫 blog

    雨後のタケノコのように出る「大恐慌」を立ち読みしてみると、ほとんどが「アメリカ金融資主義の破綻」→「新自由主義は終わった」→「思い切った景気対策を」といったお手軽な論理展開で、これなら池尾・池田も製品差別化できそうだ。書を読めば、そういう「ネオリベ批判」がいかに下らないかがわかるだろう。 書はハイエクの最後の著作だが、これまで邦訳が出ていなかった。それは書がどこまでハイエクの著作なのかについて疑問があったからだ。ハイエクは健康を害していたため、彼が書いたのは未完成の草稿(未公開)だけで、それをW・バートリーⅢ世が編集したのだが、このとき編者が大幅な改変を加え、しかもそれを明記しなかったため、どこまでがハイエクの著作かよくわからなかった。ただ最近の研究では、大筋ではハイエクの了解を得ており、それほどひどい改竄は行なわれていないとされる。 内容の完成度は高くないが、90歳に近か

    yukio2005
    yukio2005 2009/01/29
    人類が進化の大部分を過ごした小さなグループでは、目的を共有して他人と協力することがきわめて重要で、感情はそうした共感のための装置である。しかしこうした行動原理は「大きな社会」では機能しない
  • 労働者管理企業としての日本企業 - 池田信夫 blog

    雇用問題への関心は私の想像した以上に強く、メディアの取材もそこに集中している。これはいい機会なので、企業統治の観点からこの問題を考えてみよう。 日企業は、よく「労働者管理」だといわれる。これは冗談ではなく、日企業の経営者はほとんどがサラリーマンで、株主の議決権は「持ち合い」などで制限され、ROEは平均数%と先進国で飛びぬけて低い。いろいろな指標でみて、日の会社は、かつてのユーゴスラビアのような労働者管理企業の特徴をそなえているのだ。 こうした企業が、かつては理想だと考えられていた。サンディカリズムは、資蓄積を否定して組合による企業経営を指向した。ユーゴはそれを国家レベルで実現した。エンゲルスはサンディカリズムを「空想的社会主義」と軽蔑したが、「労働者が自分の主人になる」という理想は、実はマルクスの掲げたものであり、それ自体は美しい。最近よく話題になるベーシック・インカムも、フラ

  • 正社員の既得権にメスを - 池田信夫 blog

    大竹文雄氏が、WEDGEで解雇規制について書いている:整理解雇の4要件のうち、「解雇回避努力」の中には、非正規雇用の削減や新卒採用の停止が含まれており、今回のような不況期には雇い止めという形で、まず「非正規切り」を実施することが司法サイドからも要請されているわけである。[・・・]つまり、非正規社員を雇用の調整弁と位置づけ、正社員の解雇規制と賃金を守っていくという戦略に、経団連と連合の利害が一致したのだ。 したがって、労働市場の二極化に歯止めをかけるためには、非正規社員と正社員の雇用保障の差を小さくする必要がある。たとえば「正社員の労務費削減を非正規社員削減の必要条件とする」あるいは、「非正規社員を削減するのであれば、正社員も一定程度削減しなければならない」というルールを、立法措置によって導入することは直接的な手法となる。大竹氏は、定期借地権をヒントにした10年程度の「任期つき雇用制度」な

  • 19世紀には労働者はみんな「派遣」だった - 池田信夫 blog

    派遣や請負のような形で、企業の内部に契約労働者がいるのは、新しい現象ではない。むしろ資主義の初期には、親方が職工を契約で雇って職場を点々とする内部請負制が主流だった。これは周知の事実なので、私の昔のの記述を丸ごと引用しておく。19 世紀中葉のアメリカでは,工場の中で一定のまとまった工程を請負人(contractor) と呼ばれる熟練工が管理し,その配下の職工を使って生産を行う「内部請負制」と呼ばれるシステムがとられていた.これはギルドの影響を残すイギリスの制度が輸入されたもので,請負人自身は被雇用者であったが,資家と請負価格などについての契約を結んで職場を管理し,その配下にある職工たちを歩合給でやとって作業を行なった.[...]日でも,第一次大戦ごろまでは「親方」あるいは「頭」と呼ばれる職長が職場を管理する「間接的管理体制」が造船業などの重工業に広く見られた. 親方は入札によって

  • 不況のサイクル - 池田信夫 blog

    時間的には必ずしも正確に対応していないが、同じような段階をへて危機が深化してゆくことがわかる。今は初期の需要ショックの影響が、雇用に出てきた3の現象的段階だ。ここで「雇用対策」がとられるのも定型的事実だが、雇用不安というのは不況の結果にすぎないので、それをいくらいじっても問題は解決しない。次の段階では場当たり的なバラマキが行なわれるが、これまでの経験ではほとんど効果がない・・・ということがわかってくると、人々の不満が政治に向かい、90年代には政権交代が起こり、2000年代にも小泉内閣によって擬似政権交代が起こった。 次の段階では、金融システムに影響が及ぶだろう。90年代には、不良債権処理を大蔵省が先送りして世界最長の不況を作り出したが、2000年代には「竹中プラン」などで曲がりなりにも最終処理が進められた。その前例からみると、今回も不況が長期化すると金融システム不安が再燃する可能性がある

  • 中川秀直氏のためのペラ1枚でわかる金融政策 - 池田信夫 blog

    政治家に「レク」(政策の説明)をするとき、よく「ペラ1枚で」(A4の紙1ページ)という。族議員ならペラ3枚ぐらいはいいが、閣僚級は1枚が原則で、「ポンチ絵」でわかるのがいい。中川秀直氏ぐらいの大物になると、細かい経済学の話なんて聞いている暇はないだろうから、当ブログでもポンチ絵つきで金融政策を解説してみよう。きのう紹介した中川氏のブログには、こう書かれている:FRBは大胆な金融緩和政策に踏み切った。日銀はどうか。日銀は「通貨拡張が景気回復への最短の道である」との考え方に賛成なのか、反対なのか。日銀の思い切った非伝統的手法、政府の思い切った改革加速、その組み合わせこそが09年の日を明るくすると考える。ここで「非伝統的」というのは、政策金利の誘導以外の手段をいう。具体的には、量的緩和やリスク資産の購入だ(さすがにインフレ目標は中川氏もいわなくなった)。FRBが巨額の非伝統的な政策を発動してい

  • 明けましておめでとうございます - 池田信夫 blog

    今年も年賀状は出さないので、ブログでごあいさつ。 去年は暗い話題が多かったが、今年はたぶんもっと暗い年になるだろう。90年代には銀行や不動産などの「放蕩息子」が日経済をいつぶしたが、唯一の「働き手」だった輸出産業が倒れた今回の状況は、もっと悪いからだ。ただ私は、日経済が一度は徹底的にだめになったほうがいいと思う。敗戦で財閥が解体されたとき、日では世界史上にもまれなイノベーションが起こった。戦後の高度成長は、古い企業が破壊された焼け跡に創造されたのだ。 かつてマレーシアの熱帯雨林で、1ヶ月ほど撮影したことがある。「地球を守ろう」などというセンチメンタリズムでは、熱帯雨林はガラスのように繊細なものと思われているのだろうが、実際の熱帯雨林は猛烈な勢いで破壊の進行する生態系だ。至る所に高さ数十メートルの大木が倒れて、「ギャップ」と呼ばれる大きな穴があいている。その木もシロアリに分解され

  • トヨタの長すぎた栄光 - 池田信夫 blog

    今年の日経済を振り返ると、最大のサプライズは年末に明らかになったトヨタの赤字だろう。かつてトヨタは、向かうところ敵なしだった。奥田碩氏が経団連の会長だった時代には、財界の政策立案を行う渉外部に70人ものスタッフを擁し、経済政策を動かした。電波政策にまで口を出し、通信業者が使うはすだった710〜730MHzにITSが割り込んだ。 トヨタは「環境にやさしい」自動車を宣伝しているが、環境に一番やさしいのは不要な自家用車を減らすことだ。交通事故を減らすもっとも効果的な方法も、車を減らすことである。そんなことは自明だが、車に依存して道路を建設している政治家も、交通警察官の雇用を維持している警察もそれはいわない。奥田氏の「マスコミに報復してやろうか」という発言にも、メディアは沈黙した。トヨタが暗黙の「検閲」をやっていることは、業界ではよく知られているからだ。 トヨタが悪いのではない。トヨタ以外に

  • 「すり合わせ」の神話 - 池田信夫 blog

    トヨタの渡辺社長が辞任し、豊田家に「大政奉還」される。世界のトヨタも、古い同族企業だったわけだ。遅きに失したが、トヨタ・バブルがようやく崩壊したのは結構なことだ。こうした古いシステムを「ものづくり」だの「すり合わせ」だのと賞賛してきた経営学者も、反省してほしいものだ。 日経BPnetにも書いたことだが、すり合わせ型のアーキテクチャは日的組織の要請で採用されたもので、戦略的な最適化の結果ではない。これは高級乗用車のような補完性のきわめて高い特殊な製品には有効だが、情報革命によってすべての工業製品は組み合わせ型に移行しつつある。私の修士論文(PDF800KB)にも書いたように、要素技術のモジュール化と組織の水平分業化は不可逆の流れである。 もちろん、すり合わせ型の高級品も残るだろうが、それは成長部門ではない。自動車も中国ではモジュール化し、インドでもタタが30万円以下の自動車を出した。ト

  • 新たな「失われた10年」が始まる - 池田信夫 blog

    トヨタが半世紀ぶりの赤字に転落する見通しになった。これはさほど驚くにはあたらないが、問題はトヨタやソニーがこけると、日経済全体が沈没する産業構造だ。つまり現状は一時的な景気後退ではなく、1990年と似た輸出バブルの崩壊が起こったと考えたほうがいい。利下げは、そのショックを緩和する「痛み止め」の意味はあるが、いくら麻酔を打っても病気は治らない。 輸出産業の大幅な業績下方修正は、長期的な水準からの一時的な乖離ではなく、むしろ為替が均衡レートに戻り、アメリカの消費バブルが剥げ落ちて、これまで上方に乖離していた業績が長期トレンドに水準訂正されたと考えたほうがいい。したがって今後の不況は、残念ながら麻生首相のいう「全治3年」といった短期的なものではなく、90年代のような「失われた10年」がまた始まるおそれが強い。 ただ今回の長期不況が90年代と違うのは、金融システムはあまりいたんでいないことだ

  • ゼロ金利で得したのは誰か - 池田信夫 blog

    FRBが事実上のゼロ金利に踏み切った。アメリカはすでにデフレ局面に入って、自然利子率は負になっていると考えられるので、やむをえないだろう。これで10年前の日とほとんど同じ状況になったわけだ。それから10年、日はいまだにゼロ金利ゾーンから抜けられず、またゼロになるかもしれない。その意味で、日の教訓は貴重な意味をもつ。 日の経験からいえることは、第一にゼロ金利は景気対策ではないということだ。景気対策としての意味はゼロになった段階で終わり、日銀が見ていたのは銀行の資金繰りだった。特に2000...

  • 金融大崩壊 - 池田信夫 blog

    金融危機についてのが、内外ともにどっと出てきた。私は仕事の関係でひととおり目を通したが、「リーマン前」については、先月のリストにあげた以外に読むに値するものはない。1冊だけ読むなら、El-Erianをおすすめする。「リーマン後」のは、海外ではまだ出ていない。海外の出版社は脱稿から出版まで3ヶ月以上かかるので、話題の"Bailout Nation"も1月15日発売だ。 書は、拙速の「リーマン後」としてはよく書けている。前半は毎日のニュースで読んだ話が多く、あまり新鮮味はないが、後半は著者お得意の歴史哲学だ。「アメリカ金融帝国の終焉」が1968年に始まったというウォーラーステインの受け売りはいただけないが、70年代以降が「ハイエク・フリードマンの時代」だったのは事実だろう。ところが日はそれ以前のケインズ的福祉国家で、それなりにうまく行っていた。それは「日輸出株式会社」のエンジンだ

    yukio2005
    yukio2005 2008/12/10
    日米の直面している問題は性格が違う。アメリカのやるべきことは金融システムの再建に尽きるが、日本は情報革命やグローバル化に立ち遅れた産業構造を建て直すという、もっと厄介な問題に直面している
  • 変わる日本史の常識 - 池田信夫 blog

    受験勉強のころお世話になった参考書が、10年ぶりに改訂された。いろいろ話題になっているが、古代史がかなり大幅に書き換えられている: 「魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。 「任那日府」は存在しなかった:4世紀ごろ、朝鮮半島の南部に加耶と呼ばれる小国の連合があったが、任那という統一国家はなく、日の植民地でもなかった。これは『日書紀』の誤った記述。 世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない:堺市にある大仙陵古墳は、つくられた時期が仁徳天皇の在位期間と違うので、彼の墓ではありえない。被葬者が大王(おおきみ)であることは確実だが、内部調査が許されないので誰かわからない。 「聖徳太子」は架空の人物:厩戸王という推古天皇の甥が、氏寺として斑鳩寺(のちの法隆寺)を建立したことは

  • 新 脱亜論 - 池田信夫 blog

    ウォーラーステインのいう近代世界システムに対する反抗は、何度も試みられ、すべて失敗した。日の近代も、その一例だろう。特にありがちなのは、「ヨーロッパ的普遍主義」に対して「アジア的特殊性」を対置し、後者によって前者を「超克」しようというパターンだ。これは戦前の「近代の超克」から最近の「東アジア共同体」論まで同じだ。そこでは「過去の戦争犯罪を清算し、アジアの中心になる」ことが日のとるべき国家戦略とされる。 著者は、これに対して福沢諭吉の「脱亜論」を再評価する。「脱亜入欧」というのは福沢の言葉ではないが、『時事新報』の社説で彼が「脱亜論」を主張したことは間違いないとされる。福沢の発想は、金玉均などの改革派を支援することによって李氏朝鮮を倒し、朝鮮を(明治の日のように)近代化することだった。しかし朝鮮の改革は挫折し、福沢の「国権論」は対外膨張主義に利用され、中国への侵略戦争に脱線していった

  • 資本主義という奇蹟 - 池田信夫 blog

    また磯崎さんからのTBをネタにして恐縮だが、「個が確立していない社会で市場経済をやるというのは、結構キツいんじゃないか?」という問題を、私もいま講義でテーマにしている。特に重要なのは、人類の所得が産業革命以後、わずか200年で1万倍以上になったのはなぜか、という謎だ。ちょうどその講義ノートを書いていたので流用すると、これには古来、多くの答があるが、私はこの資主義という奇蹟は、17〜8世紀のイギリスに一度だけ起こり、他の経済的に成功した国は、それを輸入したのだと思う。その要因として有名なのは資蓄積(Marx) 近代的個人の成立(Weber) 財産権の確立(North-Thomas) 法の支配(Hayek) 科学と技術の融合(Mokyr)こうした要因がすべてそろったことが近代西欧の成功の要因だったが、このうちどれを重視するかは人によって違う。かつて重視された1は、現在ではあまり問題

  • 「近代の超克」とは何か - 池田信夫 blog

    疎外論的な発想は、新しいものではない。古代に理想的な「始原」を求め、現状をそこからの堕落として描く物語は、『創世記』にもみられる神話のステレオタイプの一つである。その典型が1942年、『文学界』に掲載された座談会「近代の超克」である。 ここでは亀井勝一郎、小林秀雄、河上徹太郎などが、現代風にいえば市場原理にもとづく「ネオリベ」を近代の人間疎外として否定し、「グローバリズム」に対して「アジア的共同体」を対置する。著者も指摘するように、こうした言説は今日も「東アジア共同体」として再生産されているが、それが侵略戦争を追認する論理として「大東亜共栄圏」などに悪用されたことは否定しようがない。 しかし、こうした西欧近代への違和感が繰り返し語られるのは、理由のないことではない。社会を個人に分解し、利己主義を肯定する経済システムは、人々の「利他的な遺伝子」に反するからだ。日でも、福沢諭吉の国権論は

  • 福澤諭吉―文明の政治には六つの要訣あり - 池田信夫 blog

    私は慶応で博士号をもらったので、一応、慶応のOBでもあるのだが、彼らの愛校心の強さは東大とは比較にならない。その理由は、やはり「福沢先生」の魅力だろう。慶応の掲示板では、教師のことを「**君」と書く。「先生」は福沢先生ひとりだからである。開国に直面して、列強・アジアとの関係や日人のアイデンティティを論じた彼の思想は、現代にも通じるものがある。 ただ、福沢を信奉する人々のつまづきの石になるのが、晩年の「国権論」への傾斜である。特に彼の主宰した新聞『時事新報』は、日清戦争を積極的に支援し、中国や朝鮮を蔑視するような社説を掲げた。こうした晩年の福沢については、丸山眞男でさえ、列強のアジア支配に対抗し、中国革命と連帯するため対外膨張主義に傾斜した、と一定の理解を示しながらも批判している。 従来の研究では、『福沢諭吉全集』に収録されている『時事新報』の無署名の社説の「我輩」を福沢と解釈している

  • 自主規制をどうワークさせるか - 池田信夫 blog

    ちょっと前に、佐々木俊尚氏のコラムに私の名前をあげて事実誤認の記述があったので、コメントで訂正したのだが、今月の『諸君』にも同様の記事が出ている。さすがに私の名前がはずされているのは、事実誤認は認めたということだと思うが、これは私個人の問題を超えて、今度のネット規制法の運用にもかかわる問題なので、コメントしておく。 今度の規制については、「有害情報の例示」や「登録制」など問題は残るが、基的に民間による自主規制という線が守れたのはよかった(高市氏は採決に欠席したそうだ)。これは民主党が粘った結果で、「健全野党」としての存在感が示されたと思う。しかし問題は、民間だけでどこまで実効あるコントロールができるかということだ。携帯はともかく、ウェブでは(海外も含めれば)最初から100%取り締まるのは不可能で、これは公的規制にしても同じだ。 問題は、最初からルールを守る気のない確信犯である。たとえ