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#8Dfネパールに関するEl_Fireのブックマーク (24)

  • ネパールの光のお祭り「ティハール」がたまらなく好きなんです | Kei Kawakitaオフィシャルブログ

    ナマステ! ネパール在住ブロガーのKei(@Kei_LMNOP)です。 数あるネパールのお祭りの中でも、光のお祭りと呼ばれている「ティハール」。 毎年11月頃に行われるこのお祭りが実は超素敵なんです。 THEお祭りって感じで、僕も大好きなお祭りなんです。 今回はそんなティハールを紹介していきます。 ※チェットリと呼ばれる民族のティハールです 「ティハール」とは11月頃に5日間に亘って行われる「光のお祭り」 ティハールはネパールでも2番目に大きなお祭り。 ネパール独自の暦に従うので、毎年10月~11月頃に行われます。 別名「光のお祭り」と呼ばれていて、家々もライトアップされるんです。 ティハールは全部で5日間あります。 1日目:カグ・ティハール(カラスの日) 2日目:ククル・ティハール(犬の日) 3日目:ラクシュミ・プジャ(お金の女神ラクシュミの日) 4日目:ガイ・プジャ(牛の日) 5日目:

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  • ネパールの被災地に巣くう人身売買ビジネス

    <頼りない政府に資金不足のNGO――大地震で家も仕事も失った被災者に国際的な人身売買組織の魔の手が忍び寄る>(写真:ネパールでは地震で数十万戸が被災したが、いまだに再建のめどが立たないケースも多い) 昨年4月にネパールをマグニチュード7・8の大地震が襲ってから、およそ1年半。被災地では家を失い、まっとうな仕事も見つからない人々が、人身売買業者にい物にされている。 農業を営んでいたプレム・タマンは地震後も家族が一緒にいられるよう手を尽くしてきた。と12歳の息子と5歳の娘を連れて職を探し、今は村から何時間も離れた場所で、日給2ドルで他人の家の瓦礫を片付けている。「私たちには寝る場所もない。外で寝ている」。作業の手を休め、彼は言った。 タマン一家のような家族は人身売買の標的になりやすい。国外に仕事の口がある、教育を受けさせてやる、などと言われれば信じるしかない。多くは人身売買の国際ネットワー

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  • もう旅行に行っても大丈夫だよ! ガンガン復旧が進むネパールの現在 | インド大好き!ティラキタブロ グ

    ■大分、復興が進んでいます!!! 昨年の4月に2度の大地震に襲われ、その後、インドから国境封鎖を受けていたネパールですが、今年に入って状況が落ち着き、街には観光客が戻ってきていました。 カトマンズ市内の個人所有の建物はほぼ復旧が終わり、一段落を迎えたと言える状況になっています。ボダナートやスワヤンブナートなど著名な観光地の復旧も急ピッチで進んでいます。 復興が進むカトマンズの今を、たくさんの写真でレポートします! ボダナートも完全に修復されたようです。タイムラプス動画がありました。 ■トレッキングルートの様子 トレッキングや登山はネパールにとって大切な収入源なので、震災後、優先的に復旧工事が行われました。ネパールの市内にガスがないときも、エベレスト周辺には供給されていたと聞きます。 一般的なネパール人の月収1-2万円に対し、エベレストへの入山料だけで1人110万円も取るのですから、当然と言

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  • ネパール、少女の3人に1人が児童婚 HRW

    わが子を抱くネパール人の少女。ネパール・フムラ区シミコットにあるダリットの集落で(2014年11月5日撮影、資料写真)。(c)AFP/PRAKASH MATHEMA 【9月9日 AFP】国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は8日、ネパールでの児童婚の問題について報告書を発表し、同国では18歳未満の少女3人に1人が結婚をしていると述べた。 ネパールでは児童婚は違法だが、実際に罪に問われるケースはまれだ。同国政府も最近、児童婚の慣習を2020年までに根絶させるとした誓約を2030年に先送りしている。 HRWによると、ネパールでは少女の37%、少年の約11%が18歳未満で結婚している。法律では、結婚できる年齢は20歳だ。 その多くは強制された結婚だが、その一方で、虐待や貧困から逃れたいといった理由や、結婚相手を自ら選びたいといった理由による、自発的な児童結婚も増えていることがHRW

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  • ネパールで洪水と土砂崩れ、58人死亡

    ネパール・カトマンズの西約200キロのナワルパラシで、洪水の中、住民を救助するネパール軍兵士(2016年7月26日撮影、同27日提供)。(c)AFP/NEPAL ARMY 【7月27日 AFP】ネパールで、豪雨により発生した洪水と土砂崩れで、27日までに58人が死亡、20人が行方不明となっている。ネパール政府が発表した。 ネパール内務省の報道官によると、これまでに58人の死亡が確認され、20人が行方不明となっている。水位が上昇する中、軍は、洪水に見舞われた村々から住民の避難を急いでいる。 ジャンカ・ナス・ダカル(Jhanka Nath Dhakal)副報道官はAFPに「捜索・救助活動と救援活動を継続して行っている」と語った。(c)AFP

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  • 幼い少女たちが神様と「結婚」する伝統行事、ネパール

    ネパールの首都カトマンズで行われた婚姻儀礼「ベル・ビバハ」に参加したネワール族の少女たち(2016年3月4日撮影)。(c)AFP/PRAKASH MATHEMA 【5月16日 AFP】ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)で3月初旬、ネワール族(Newari)の伝統的な婚礼儀式「ベル・ビバハ(Bel Bibaha)」が行われ、美しい衣装や宝石を身に着けた幼い少女たちが参加した。 この儀式は、少女たちがヒンズー教の神「ビシュヌ(Vishnu)」と「結婚」するというもの。将来、夫に先立たれても、「最初の夫」であるビシュヌが(死んだ夫より)長生きして守ってくれるため、独り身になることがないのだという。 儀式は2日間続き、年に数回行われる。(c)AFP

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  • ネパールのブータン難民

  • 「41億ドル」も余ってる! 大地震から1年後に露呈したネパール政府のずさん過ぎる復興計画

    カトマンズに建設された仮設住宅には、震災から1年がたったいまも大勢の人が暮らしている PHOTO: TOM VAN CAKENBERGHE / GETTY IMAGES 「多くの人が、まだテントや急ごしらえの仮設住宅で生活しています。今年の冬は寒さが厳しく、小用を足そうと外に出ただけで凍死した人もいたほどです。安全な住居も必要な物資もまったく足りていません」 ネパールの首都カトマンズで被災地支援を行っているある女性は、米オンラインメディア「グローバル・ポスト」の取材にこう答えた。 2015年4月25日、ネパール全土を大地震が襲った。ネパール政府の統計によれば、この震災で90万戸近くの家屋が損壊し、約9000名が亡くなったという。 だが、あれから1年、復興はまったく進んでいない。前出の「グローバル・ポスト」によれば、震災後のネパール政府には世界各国から多額の義援金が集まったが、いまだに約41

    「41億ドル」も余ってる! 大地震から1年後に露呈したネパール政府のずさん過ぎる復興計画
  • 【写真特集】ネパール大地震から1年、写真で見る震災直後と今

    【4月25日 AFP】ネパール政府は24日、2015年4月25日に発生したマグニチュード(M)7.8の地震の犠牲者の追悼式典を行い、大幅に遅れている復旧計画の迅速化を誓った。国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)によると、この地震で約9000人が亡くなり、約400万人の被災者がいまもなお一時避難施設で生活している。(c)AFP

    【写真特集】ネパール大地震から1年、写真で見る震災直後と今
  • 朱に染まる新年祝賀祭、ネパールの首都近郊

    ネパールの首都カトマンズ近郊のティミで開催されたビスケット・ジャトラ祭で、朱色の粉を塗りつけられる男性(2016年4月14日撮影)。(c)AFP/PRAKASH MATHEMA

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  • 英ヘンリー王子、ネパール古都訪問

    【3月21日 AFP】英国のヘンリー王子(Prince Harry)は20日、ネパール首都カトマンズ(Kathmandu)近郊の古都パタン(Patan)にあるダルバール広場(Durbar Square)を訪れた。 ダルバール広場は、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産に登録されている観光名所。昨年の大地震では甚大な被害を受けた。19日から5日間の日程でネパール訪問中の王子は同日、古都バクタプル(Bhaktapur)にある仮設施設を訪れ、地震の被災者らを見舞った。(c)AFP

    英ヘンリー王子、ネパール古都訪問
  • 再びネパール・インド国境へ – Indo.to

    このあたりの景色はまったくヒンドゥスターン平原と同じだ。霧が出ているのは前日の朝もそうであったが、薄いところもあればいきなり濃くなっているところもある。霧というものはいつもそうだが、かなり濃淡がある。ある地点では道路脇の様子さえもよく見えなかったり、しばらく見通しが良くなったりする。 走るクルマのないガラガラの道をひた進む。ときたま通り過ぎるのはバイクのみ。中央政府が制定した新憲法が、マデースィー(平原部に暮らすインド系の人たちに不利な内容であることから、これに反対する地元政党がオーガナイズしたチャッカージャーム(交通封鎖)によるものである。 バンド(ゼネスト)、ハルタール(組織的怠業)、チャッカージャーム(交通封鎖)といった抗議活動はインド譲りのものだが、イギリス植民地時代末期のインドにおける不服従運動で盛んに展開された手法。 もう何カ月もバスの往来が停止しているため、バススタンドはただ

    再びネパール・インド国境へ – Indo.to
  • ターンセーン滞在2 – Indo.to

    ネパールで販売されているタバコのパッケージが大変なことになっている。癌になった肺の解剖写真が表裏両面に大きく印刷されているのだ。インド、タイその他でも、パッケージにこのような写真が印刷されるようになっているが、タバコを締め出すのは世界的な流れであり、ブータンのように10年以上も前から国内でタバコの売買自体を非合法とする「禁煙国」さえある。日のように「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つとなります。」と書く程度では甘すぎるといったところだろう。 タバコの過激なパッケージ ポーカラーからインド国境に至る途中にあり、長いバス旅を途中でブレークするのにちょうどいいロケーションのターンセーン、地元の人は往々にしてパルパーと呼ぶが、カトマンズ等から来たネパール人観光客の姿が多い。同様に、日からの自転車のレースに参加するというネパール人サイクリストたちの姿もある。最近はそういう若者もいるようで頼

    ターンセーン滞在2 – Indo.to
  • ルンビニー滞在2 – Indo.to

    ルンビニーで数多い各国の仏教寺院の中で、とりわけ気入ったものがみっつある。まずは大きな中華寺。私が入るときに、大きな荷物をゴロゴロさせて出てくる若い旅行者がいた。おそらく中国人だろう。こ堂に向かって右手に宿坊を含むと思われる事務棟らしき建物がある。とてもきれいで、空調の室外機がいくつも見えるため、真夏でも快適に過ごせるにことと思う。 最近の中国の勢いを示しているかのようであるとともに、中国にとってもこの国で中国の威光を見せつけるために、資金をふんだんに注いでいるのではなかろうか。ここで、中国の宗教団体が政府の意図とは無関係に行動しているとは思えないので、多分に政府の息がかかり、意図に従う組織ではないかとも思ったりする。それにしてもこの中国寺院は飛び抜けて美しく豪華だ。 大乗仏教で、日に近いところから来たものなので、やはり私たちに馴染みの深い雰囲気がある。お堂に置かれた木魚も日のそれと

    ルンビニー滞在2 – Indo.to
  • ルンビニー滞在1 – Indo.to

    ルンビニーで宿に荷物を置いてから、最初に向かったのは敷地内のチベット仏教寺院、そしてその裏手にあるマーヤーデーヴィ―寺院。ここは寺院というよりも、釈尊が生まれた場所の遺構が保存されているところで、こうしたいい状態でちゃんと残っているというのは感動的でさえある。これは、マーヤーデーヴィー寺院の白い壁の建物の中に保存されており、風雨で劣化しないようになっている。 マーヤーデーヴィー寺院 遺構もきちんと管理されている。 日中国、東南アジア他の仏教国の古刹、名刹はもとより、文化や伝統、価値観や行動様式など、仏教が発生していなかったら、現在とまったく異なるものとなっていたわけで、まさにここからそれが始まったということになる。実にありがたいものだ。 世界遺産登録されている遺跡であるが、ここでは2013年には紀元前6世紀のものとみられる建築物の遺構が見つかっており、誕生した時期に様々な説がある釈尊だ

    ルンビニー滞在1 – Indo.to
  • ルンビニーの華人宿 – Indo.to

    ルンビニーの華人宿「Sunflower Travellers Lodge」 ルンビニーでの滞在先は、Sunflower Travelers Lodge。安徽省出身のご主人と台湾出身の奥さんと娘、そしてその下で働く中国人の青年が切り盛りする宿である。 海水の至るところ華僑ありと言うが、海の無いネパールにもこうして華人がいる。開業してから5年とのこと。カトマンズにはすでにかなりの華僑が商売しているが、ルンビニーでもこうやって稼いでいる人たちがいるというのは大したものだ。 しかしながら、これがインド側であったとすると、中国の人がこうやって仕事することができるかどうかはともかく、中国に対する感情が悪いので、時に危険でもあるだろう。中国と関係が良好なネパールならではのことと言える。 宿の中には中国語による表示や飾りなどがいろいろあるが、門の外にも中文による看板がいくつかある。簡体字と繁体字が混じって

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  • ネパール大地震の被災者、氷点下で続く避難生活

    【2月5日 AFP】昨年4月に発生した大地震から9か月を経たネパールでは、政府による住宅建設支援を待つ被災者たちが、氷点下の寒さの中、今もなお仮設住宅での避難生活を続けている。 震源地に近いラプラク(Laprak)村の住民は、地滑りの恐れがあることから、数千メートルほど高い場所に移住を余儀なくされた。(c)AFP

    ネパール大地震の被災者、氷点下で続く避難生活
  • ターンセーンからルンビニーへ – Indo.to

    ターンセーンのバススタンド 朝8時発にターンセーンを出発するバスを利用する。来るときと違って、バイラワーに直行するバスを利用するため、ブトワルで乗り換える必要がない。部屋の鍵をオーナーのシュレスタさんに渡して外に出る。朝起きたあたりから外では箒で路上を清掃する音がしていたが、町中のどこでも同様のようだ。この町は当にゴミが少なく、とりわけ朝の時間帯にはゴミひとつないという印象。 バンクロードに出てから、斜面の長い坂道を下ったところがバススタンド。8時出発のバスはすでに来ていた。出発時間までしばらくあるので、ヒマそうにしていた運転手にバイラワー到着のおおよその時刻を尋ねると、午前10時半くらいとのこと。到着時間を日宿泊予定のホテルにスマホで伝える。タクシーを差し回してくれることになっている。 こちらはブトワルまでしか行かないバス こちらがバイラワーまで直行するバス バスの表示には、国境のス

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  • 中国・ネパール国境でまた地震 - 黒色中国BLOG

    中国・ネパール国境地域でM7.5の地震が発生】チベット・キドン鎮の出入国管理処に至る国道216号線は、土砂崩れのため通行できず #TIBET pic.twitter.com/4nUkB5UdUO — 黒色中国 (@bci_) 2015, 5月 12 2日遅れのブログ投稿であるが、一応載せておく。 4月25日にネパールで大きな地震があったわけだが、その余震がまだ続いている。しかも、中国とネパールの国境地帯が震源だそうで、ラサの方でも少し揺れたそうだが、震源に近いキドン鎮のあたりではかなり大きな揺れが数十秒続いたらしい。 【ネパール地震:チベット・シガツェ地区で重傷者1名】チベット公安辺防総隊偵査支隊の報告によれば,重傷者1名を発見。キドン地区では危険家屋が多い状況。キドン辺防検査站は20名の官兵を組織し緊急出動し、被害状況を調査中 #TIBET pic.twitter.com/uiWK7S

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  • ターンセーンへ – Indo.to

    ネパールに入国してからネパールのNcellという通信会社のSIMを購入したが、国境越えてからすぐにインドのボーダフォンから、「ネパールでのローミングにようこそ」というSMSが入った。 国際ローミング(インドの通信会社のネパールでのローミングは割安ではあるが)では、すぐに残高がなくなってしまうので、ネパールのSIM購入したわけであるが、境目のエリアにいるとインド、ネパールどちらのSIMを利用していても、勝手に国際ローミング扱いになってしまう可能性があるはずだが、この地域に住んでいる人にとって、問題はないのだろうか? インドからネパールに入国してから、ルンビニーに行くつもりであったが、客待ちしているタクシーに尋ねても、「行けません」との回答しか返ってこない。ツーリストバスならばその方面に行くことが出来るとのことだが、しばらく待ってもそれらしいものはやってこない。ここで言うツーリストバスとは、観

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