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ブックマーク / sicambre.seesaa.net (98)

  • 多地域進化説の成立過程補足(人種問題との関連)

    現生人類(Homo sapiens)多地域進化説の成立過程について一度短くまとめてみようと思い立ったのですが、もう10年以上ほとんど勉強が進んでおらず、10年以上前の記事よりもましなことを書けそうにないので、当時述べ忘れたことを追加して述べておきます。現生人類の起源をめぐっては、多地域進化説とアフリカ単一起源説との間で1980年代~1990年代にかけて激論となりましたが、現在ではアフリカ単一起源説が通説となっています。ただ、アフリカ単一起源説でも完全置換説ではなく、ブロイアー(Günter Bräuer)氏などの提唱した、アフリカ起源の現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などユーラシア各地の先住人類との間にある程度の交雑を認める見解(交配説)が有力とされています(関連記事)。 多地域進化説とアフリカ単一起源説との論争については、1987年に現代人のミト

  • mtDNAハプログループL3系統の起源

    現代人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループL3系統の起源に関する研究(Cabrera et al., 2018)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の起源がアフリカにあることは、今では通説となっています。非アフリカ系現代人では、mtDNAのハプログループのうち、L3系統から派生したMおよびN系統のみが見られます。一方、アフリカ系現代人においては、L3系統のみならず、L0・L1など多様な系統が見られます。mtDNAハプログループにおいて、まずL0系統とその他の系統がし、次にL1系統とL2~6系統が、といったように分岐していきました。 L3系統はアフリカの多様な系統のなかの下位区分の一つにすぎず、非アフリカ系現代人のM・N系統は、そのL3系統のさらに下位区分にすぎない、というわけです。mtDNAでは、非アフリカ系現代人の多様性はアフリカ系現代人よりもずっと乏しく

  • 有袋類の系統樹の見直し

    有袋類の系統樹を見直した研究(Bi et al., 2018)が公表されました。哺乳類における有胎盤類と有袋類の、さらにはそれらの上位単系統群である真獣類と後獣類の間の分岐年代は、複数の分子証拠からジュラ紀と推定されています。この推定を補強する証拠として、中国北東部の後期ジュラ紀前期(約1億6000万年前)の層から発見された、最古の真獣類とされるジュラマイア(Juramaia)があります。一方、最古の後獣類とされてきたシノデルフィス(Sinodelphys)は、地理的には同じではあるものの、年代が3500万年新しい熱河生物相に由来します。 論文は、熱河生物相の新たな真獣類(Ambolestes zhoui)を報告しています。この新標はほぼ完全な骨格を有し、外鼓骨や舌骨器官など、同時期の哺乳類では知られていない解剖学的要素が保存されていました。この新標は最古の真獣類ではなく、一見すると

    El_Fire
    El_Fire 2018/06/22
  • 「縄文人」の起源

    人の起源に関しては、「南方系」の「縄文人」と「北方系」の弥生時代以降の渡来民との混合により形成されたとする、「二重構造モデル」が一般層にもそれなりに浸透しているように思います。この仮説では縄文人は南方系と想定されているのですが、形態学でも遺伝学でも、縄文人は南方系との合意が形成されているわけではありません。頭蓋形態の変異量の地域差からは、縄文人が北方系との見解が提示されています(関連記事)。6750~5530年前頃の文時代前期となる富山県富山市呉羽地区の小竹貝塚の人骨群のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、北方系と南方系が混在している、と指摘されています(関連記事)。 縄文人の核DNA解析も行なわれており、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚で発見された3000年前頃の人類遺骸からは、縄文人が現代の東ユーラシア各地域集団との比較において最も早く分岐した、と推測されています(関連記事)

  • アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動

    アイスランドにおける人類集団の遺伝的浮動についての研究(Ebenesersdóttir et al., 2018)が報道されました。アイスランドへの人類の移住は紀元後870~紀元後930年に始まり、その担い手はヴァイキングやその奴隷とされた人々だと推測されています。アイスランドの人類集団は、初期の移住後1000年間は人口が1万~5万人と比較的小規模で、孤立していました。現在では、アイスランドには約33万人が居住しています。 論文は、アイスランドの27人の遺骸のゲノムを解析し、アイスランドの現代人と比較しました。放射性炭素年代測定により、年代は最初の移住に近い1000年前頃と推定されました。ゲノム解析の結果、初期アイスランド人は古代スカンジナビア人(現在のノルウェーとスウェーデン)とゲール人(現在のアイルランドとスコットランド)から、ほぼ同程度の遺伝的影響を受けている、と明らかになりました

  • アメリカ大陸先住民集団の形成史の見直し

    アメリカ大陸先住民集団の形成史を見直した研究(Scheib et al., 2018)が報道されました。アメリカ大陸先住民集団の形成については、近年までアメリカ大陸最古の人類の痕跡とされてきたクローヴィス(Clovis)文化集団の男児のゲノム解析結果が重視されてきました(関連記事)。暦年代では12707~12556年前頃となる、アメリカ合衆国モンタナ州西部のアンジック(Anzick)遺跡の男児(Anzick-1)のゲノム解析の結果、この男児は現代のアメリカ大陸先住民でも北部よりも中部・南部の集団の方と遺伝的に近縁と推測され、政治的大問題にもなったケネウィック人(Kennewick Man)についても、ゲノム解析により同様の結果が得られています(関連記事)。そのため、アメリカ大陸先住民集団は、アメリカ大陸への移住から早い時期に北部系統と南部系統に分岐し、中央および南アメリカ大陸の先住民集団の

  • ユーラシア草原地帯の人類集団史とB型肝炎ウイルス感染の痕跡

    ユーラシア草原地帯における人類集団史に関する二つの研究が報道されました。一方の研究(Damgaard et al., 2018B)は、約8000 kmに及ぶハンガリーから中国北東部までの広大なユーラシア草原地帯における、青銅器時代以降の約4000年間に及ぶ137人の古代人のDNA解析結果(平均網羅率は約1倍)を報告しています。さらにこの研究は、502人の現代人に自分の祖先の出身地(中央アジア・アルタイ・シベリア・コーカサス)を自己申告させ、そのゲノムデータを解析しました。こうして得られた知見から、ユーラシア草原地帯の人類集団の歴史が明らかになりました。 鉄器時代を通してユーラシア草原地帯で優勢だったスキタイ人集団は、遺伝的には後期青銅器時代の牧畜民・ヨーロッパの農耕民・シベリア南部の狩猟採集民から構成される多様な起源を有していた、と明らかになりました。その後、スキタイ人は匈奴連合体を形成し

  • 夏王朝の実在をめぐる議論と大化前代をめぐる議論の共通点(追記有)

    夏王朝の実在認定をめぐって、日中ではかなりの温度差があったようです。佐藤信弥『中国古代史研究の最前線』(関連記事)第1章第2節によると、中国では夏王朝の実在は確実とされ、それを前提として議論が展開されているのにたいして、日では夏王朝の実在認定に慎重だったようです。しかし、二里頭遺跡の発掘・研究が進み、原初的な王権と宮廷儀礼が成立していたと考えられ、二里頭文化の範囲がある程度まで広がっており、初期の殷に滅ぼされたと推測されることから、日でも二里頭遺跡を夏王朝と認める研究者が増えてきているそうです。 しかし、竹内康浩『中国王朝の起源を探る』(関連記事)では、二里頭文化においてすでに「礼制」が成立し、新石器時代においては分節的で横並びだった地域間関係のなかに、はじめて一つの中心的位置を占める地域的文化として登場し、地域間関係を再編成していった、と二里頭文化の画期性が指摘されているものの、なお

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    El_Fire 2018/05/05
  • 北アメリカ大陸北西部の先住民集団のゲノム解析

    アメリカ大陸北西部の先住民集団のゲノム解析結果を報告した研究(Lindo et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。論文は、カナダのブリティッシュコロンビア州とアメリカ合衆国のアラスカ州南部の海岸に居住する先住民集団であるチムシアン(Tsimshian)人25人と、同地域の6000~500年前頃の住民25人の核DNAを解析しました。論文は、ヒトゲノム中の全エクソンの集合体配列の分析から、人口史と遺伝的多様性を検証しました。上記報道では、研究者たちとアメリカ大陸先住民集団との信頼関係の構築により可能な研究だったことが強調されています。 まず明らかになったのは、チムシアン人は北アメリカ大陸北西部の古代の先住民集団との遺伝的継続性が高い、ということです。次に、人口史に関しては、チムシアン人集団において19世紀前期~半ばにかけて人口規模が激減(

  • 最終氷期極大期から完新世までの温度変動

    最終氷期極大期から完新世までの温度変動に関する研究(Rehfeld et al., 2018)が公表されました。気候変動の変化は、社会が取り組む上で、平均的な気候の変化と同じくらい重要です。最終氷期極大期と完新世の温度変動の対比からは、気候の平均的な状態とその変動の関係に関する知見が得られます。しかし、氷期~間氷期の変動の変化は、グリーンランドについては定量化されていますが、全球的な描像はまだ得られていません。この研究は、海洋と陸上の温度の代理指標のネットワークを用いて、最終氷期極大期(21000年前頃)から完新世(直近11500年間)にかけて気候が3~8℃温暖化するにつれ、全球の温度変動が1/4に低下したことを示します。 この変動の低下には明瞭な帯状のパターンがあり、熱帯域ではあまり変化しなかったのにたいして(1/1.6~1/2.8)、両半球の中緯度域では変化がより大きくなりました(1/

  • ネアンデルタール人による石の意図的な線刻

    中部旧石器時代の層の石に刻まれた線を検証した研究(Majkić et al., 2018)が報道されました。論文が検証対象としたのは、クリミアのキークコバ(Kiik-Koba)遺跡の中部旧石器時代の層で発見された、表面に線の刻まれた石です。キークコバは1924~1926年にかけて調査された洞窟遺跡です。キークコバ遺跡の中部旧石器時代の石器群は上層と下層とで大きく異なり、論文が検証対象とした石は4層で発見されました。4層は、石器インダストリーではミコッキアン(Micoquian)との類似性が指摘されています。キークコバ遺跡では幼児と成人のネアンデルタール人遺骸が発見されているものの、出土層位には曖昧なところがあり、成人は下部の6層、幼児は上部の4層と推測されています。キークコバ遺跡4層の暦年代は37000~35000年前頃と推定されていますが、ヨーロッパの旧石器時代の年代の見直しが進む中

  • ミトコンドリアの起源の見直し

    ミトコンドリアの起源の見直しに関する研究(Martijn et al., 2018)が公表されました。ミトコンドリアはATPを産生する細胞小器官で、その内部共生的な起源は真核細胞の進化史における重要な事象でした。ミトコンドリアはアルファプロテオバクテリアを祖先とする、という強力な系統発生学的証拠があり、細胞内寄生体であるリケッチア目の細菌、またはその他のアルファプロテオバクテリアだと考えられています。しかし、最初期の化石真核生物は約20億年前までさかのぼり、分岐からは非常に長い時間が経過しているため、長枝誘引(long-branch attraction;LBA)に関する多くの問題があると示唆されています。 採取されているアルファプロテオバクテリアの中から最も近縁な種を突き止めようとする取り組みでは矛盾する結果が得られており、ミトコンドリアの祖先の正体および性質についての詳細な推定が困難に

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    El_Fire 2018/05/05
  • ネアンデルタール人から現生人類への文化的影響

    これは4月5日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との関係についてはさまざまなことが言われていますが、非アフリカ系現代人の共通祖先がネアンデルタール人と交雑したことは今ではほぼ定説になっている、と言ってよいでしょう。もっと確実なのは、現生人類は今でも存続し、まず間違いなく、人類史上最も広範に拡散し、最大の人口を有する系統であるのにたいして、ネアンデルタール人は4万年前頃にはおおむね絶滅した系統である(関連記事)、ということです。ただ、ネアンデルタール人の絶滅とはいっても、ネアンデルタール人のDNAは非アフリカ系現代人にわずかながら継承されているわけで、より正確には、ネアンデルタール人の形態的・遺伝的特徴を一括して有する集団は現在では存在しない、と言うべきかもしれません。また、イベリア半島におい

  • オーストラリアの人類史関連のまとめ

    これは4月19日分の記事として掲載しておきます。オーストラリアへの人類の拡散など、オーストラリアの人類史関連の記事をまとめます。オーストラリア大陸は更新世の寒冷期にはニューギニア島やタスマニア島とも陸続きで、サフルランドを形成していました。オーストラリアへにおける人類の痕跡は、現時点では65000年前頃までさかのぼります(関連記事)。人類遺骸は発見されていないので、どの人類系統なのか、確定していないのですが、現生人類(Homo sapiens)である可能性が高そうです。 ただ、そうだとして、65000年前頃以前にオーストラリアへと到達した現生人類集団が、現代のオーストラリア先住民の祖先なのかというと、まだ確証はありません。この問題は、現生人類の出アフリカの回数・年代・経路などをめぐる議論(関連記事)と関連しています。現生人類の出アフリカについて、少し前までは、1回説・沿岸仮説・後期拡散説の

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    El_Fire 2018/04/14
  • 中央アナトリア高原における初期農耕の伝播

    これは3月22日分の記事として掲載しておきます。中央アナトリア高原における初期農耕の伝播に関する研究(Baird et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。南西アジアの「肥沃な三日月地帯」は、紀元前10世紀~紀元前9世紀という、世界でも最初期に農耕の始まった地域です。ここから周辺地域にどのように農耕が伝播したのか、論文は検証しています。かつては、狩猟採集から農耕・牧畜への移行は移住民を伴い短期間だった、と考えられていましたが、論文の提示する見解は異なります。 論文は、中央アナトリア高原のボンジュクル(Boncuklu)における最初期の農耕を検証しています。ボンジュクルでは、紀元前9000年紀の半ばに耕作が始まります。石器と古代DNAの分析からは、農耕を採用したのは在来の狩猟採集民集団だった、と考えられます。狩猟採集社会から農耕社会への移

  • 現生人類とデニソワ人との複数回の交雑

    これは3月20日分の記事として掲載しておきます。現生人類(Homo sapiens)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑に関する研究(Browning et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。デニソワ人については、昨年(2017年)、情報を一度整理してみました(関連記事)。現生人類とデニソワ人との交雑は今では広く認められており、現代人におけるデニソワ人の遺伝的影響は、オセアニア系、とくにパプア人でとくに高く、東アジア系では多少見られるものの、西ユーラシア系やアフリカ系ではほとんど見られません。 現生人類とデニソワ人との交雑については、1回説が有力だと思います(関連記事)。現代人の各地域集団間の比較から、オセアニア系現代人の祖先集団がデニソワ人と交雑し、その後にオセアニアから東アジア系現代人の祖先集団へと遺伝子流

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    El_Fire 2018/03/18
  • 新石器時代~青銅器時代のイベリア半島の人類史

    これは3月19日分の記事として掲載しておきます。新石器時代~青銅器時代のイベリア半島の人類のゲノム解析結果を報告した研究(Valdiosera et al., 2018)が報道されました。完新世の先史時代ヨーロッパにおいては、大きな移住の波が二つありました。一つは西アジア起源の農耕民集団で、アナトリア半島を経由してヨーロッパに拡散し、ヨーロッパに初めて農耕をもたらしました。大まかな傾向としては、更新世からのヨーロッパ在来の狩猟採集民集団は東方からの初期農耕民集団にゆっくりと同化されていったものの(関連記事)、その具体的な様相は地域により違いも見られます(関連記事)。もう一つの大きな移住の波は、5000年前頃に始まる、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの遊牧民集団の拡散です。これは、ヨーロッパにおいて大きな遺伝的影響を及ぼした、とされています

  • 「白人」のご都合主義によるネアンデルタール人の評価の好転?

    これは3月15日分の記事として掲載しておきます。今ではネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との間で交雑があった、との見解が有力となっていますが、たとえば、2007年11月刊行の河合信和『ホモ・サピエンスの誕生』からも窺えるように(関連記事)、かつては交雑否定説が有力でした。とくに、現生人類アフリカ単一起源説でも完全置換説が優勢だった1997~2010年頃には、交雑否定説がほぼ確定的に扱われていることが多かったように記憶しています。これは、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析され、現代人の変異幅に収まらないことが最大の要因だと思います。この流れが変わる転機となったのが、2010年5月に公表された『サイエンス』論文(関連記事)です。 これ以降、非アフリカ系現代人は(ほぼ間違いなく全員)、多少ネアンデルター

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    El_Fire 2018/03/12
  • 後期ホモ属の進化史における系統樹と交雑

    これは3月12日分の記事として掲載しておきます。近年の古代DNA研究の大きな進展により、後期ホモ属の進化に関する理解はたいへん深まったように思います(関連記事)。そこで、古代DNAが解析されている後期ホモ属について、一度系統・交雑関係をまとめてみます。おもに対象となるのは、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)とスペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された人骨群です。デニソワ人については、昨年(2017年)、情報を一度整理してみました(関連記事)。SH人骨群の年代は43万年前頃で、mtDNAだけではなく、核DNAも解析されています(関連記事)。 2年ほど前(2016年)から、一度は後期ホモ属の交雑関係について、自分で図

    後期ホモ属の進化史における系統樹と交雑
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    El_Fire 2018/03/10
  • 異なる石器伝統と共存していたスペイン北西部の中期更新世のアシューリアン

    これは2月20日分の記事として掲載しておきます。スペイン北西部の中期更新世のアシューリアン(Acheulean)石器群に関する研究(Méndez-Quintas et al., 2018)が報道されました。ヨーロッパにおけるアシューリアンの起源に関しては、スペイン南東部の90万年前頃の事例(関連記事)など、前期更新世までさかのぼる、との見解も提示されています。しかし論文は、中期更新世となる海洋酸素同位体ステージ(MIS)12以前のヨーロッパにおけるアシューリアンと主張されている事例に関しては、年代もしくは石器群の同定に疑問がある、と指摘しています。 論文が分析対象にした石器群は、スペイン北西部のガリシア州のポルトマイオール(Porto Maior)遺跡で発見されました。ポルトマイオール遺跡のすぐ近くを流れるミーニョ川(Miño River)の対岸はポルトガル領となります。論文は、ここ

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    El_Fire 2018/02/19