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ブックマーク / sicambre.seesaa.net (98)

  • 「なぜ日本は真珠湾攻撃を避けられなかったのか」そこにある不都合な真実

    表題の記事が公開されました。日が対米開戦(真珠湾攻撃)へと向かった理由を、進化政治学的観点から検証しています。進化政治学とは、進化論的視点から政治現象を分析する手法とのことです(関連記事)。まず、対米開戦か避戦か悩んでいた日の指導層にとって開戦を決意する直接的な引き金・最後の一押しがハル・ノートだった、との見解は妥当だと思います。ハル・ノートのような「他国の不当な行為は国内アクターの憤りを生みだすため、それは指導者にとり攻撃的政策への支持を得るための戦略的資源となる」との指摘も尤もだと思います。 ただ、対米開戦の直接的要因をハル・ノートによる日の政策決定者の憤りとまで言ってしまうと、かなり問題があるように思います。ハル・ノートの内容を知った日人の多くに、感情の一要素として憤りはあったでしょうから、憤りを開戦理由の一つとして挙げるのであれば、無理筋とまでは言えないでしょうが。そもそも

    El_Fire
    El_Fire 2020/12/11
    “進化政治学”の記事について、鋭い指摘。
  • シャテルペロニアンの担い手の検証

    シャテルペロニアン(Châtelperronian)の担い手を改めて検証した研究(Gravina et al., 2018)が公表されました。西ヨーロッパにおける中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期は、現生人類(Homo sapiens)によるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の置換とも関連しており、高い関心が寄せられ、激しい議論が続いています。当ブログではこれまで、フランス西部~スペイン北部で確認されるシャテルペロニアンをヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代の「移行期インダストリー」と把握してきましたが、論文では、石刃・骨器・装飾品・顔料といった要素の見られるシャテルペロニアンは現在、西ヨーロッパで最初の真の上部旧石器時代インダストリーと考えられている、と指摘されています。 ともかく、シャテルペロニアンはヨーロッパの人類進化史をめぐる議論において重

  • キリスト教が速やかに拡大した要因

    キリスト教が速やかに拡大した要因に関する研究(Watts et al., 2018)が公表されました。キリスト教は現在、世界で最大の宗教です。しかし、その成功が、抑圧された人々に力を与えるメッセージによる草の根活動により最もうまく説明されるのか、それともローマ皇帝コンスタンティヌスの有名な改宗など、影響力のある指導者たちを改宗へと導く布教の努力が大きな役割を担ったのかは、よく分かっていません。この研究は、キリスト教が受容される速さと最も強く関連する因子を見極めるために、16~19世紀における太平洋の70の島々の文化の転換に関する記録を分析しました。豊富なデータセットと独自の方法により、島々の間の移動時間や島民間の歴史的な結びつき(文化的起源の共通性など)といった交絡し得る諸因子を考慮しながら、さまざまな島における人々の改宗の速さの比較が可能となりました。 その結果、改宗速度の最も強い予測因

  • イタリアのピサの港の複雑な歴史

    イタリアのピサの港の歴史に関する研究(Kaniewski et al., 2018)が公表されました。イタリアのピサのポルトゥス・ピサヌス(Portus Pisanus)は、ローマ時代と中世のイタリアで最も影響力のあった海港の1つと説明されてきましたが、その環境とその歴史上の主要な段階との関係は、ほとんど解明されていません。この研究は、長期的な沿岸動態・海水面上昇・環境変化が、ポルトゥス・ピサヌスの発展において果たした役割を解明するために、リグリア海東部の10500年間にわたる相対的な海水準の推移を再現しました。また、各時代の地図と地質学的データを組み合わせることで、ポルトゥス・ピサヌス港周辺の海岸の形状の推移を再現しました。この研究はさらに、堆積層から採集された生物試料を分析し、海水・淡水・農業活動がこの地域の環境にどのような影響を及ぼしたのかを調べたうえで、文献や考古学的データと照合し

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    El_Fire 2018/08/25
  • 現生人類の心理的傾向の進化

    現生人類(Homo sapiens)の心理的傾向の進化に関する研究(Sato, and Kawata., 2018)が公表されました。日語の解説記事もあります。この研究はオンライン版での先行公開となります。現代人の5人に1人は、一生の間に何らかの「精神疾患」を発症すると言われており、その原因解明および治療は、精神医学や神経科学における中心的課題の一つです。また、「精神疾患」は遺伝率が高く、しばしば適応度に大きな影響を与える可能性があるにも関わらず、ヒトの集団中に頻繁に見られることから「進化的なパラドクス」とされることもあり、その進化機構の解明は進化学的にも重要な研究課題です。さらに、統合失調症や自閉症などの精神疾患は、社会行動や認知機能など、ヒトを特徴づけるような高次脳機能の障害を示すことから、人類の高次脳機能の進化の副産物として精神・神経疾患が生まれたとする仮説もあり、精神疾患関連遺伝

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    El_Fire 2018/08/25
  • カメ類の初期の進化過程

    カメ類の初期の進化過程に関する研究(Li et al., 2018)が公表されました。カメ類の起源と系統発生上の類縁関係は、進化生物学で長い間解明できていない問題の一つです。カメ類のボディープランは派生度が高く、他の分類群の動物との比較により進化の過程を解明することは困難です。しかし近年になって、カメ類の中間形の化石がいくつか発見されました。その一つは、中国で発見された三畳紀となる約2億2000万年前のオドントケリス(Odontochelys)で、腹甲(腹部を完全に覆う腹側の甲羅)はあるものの、明瞭な背甲(甲羅の「蓋」)はありませんでした(関連記事)。オドントケリスよりさらに古い約2億4000万年前のパッポケリス(Pappochelys)には、腹甲と背甲がない代わりに鱗甲板(腹部を覆う強靭な皮骨)がありました(関連記事)。また、南アフリカで発掘された約2億6000万年前の初期爬虫類ユーノト

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    El_Fire 2018/08/25
  • ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代(追記有) 雑記帳/ウェブリブログ

    ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のデニソワ人(Denisovan)の交雑第一世代個体に関する研究(Slon et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。『ネイチャー』のサイトには解説記事(Warren., 2018)が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。デニソワ人については以前まとめたことがありますが(関連記事)、ロシアの南シベリアのアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でしか確認されていません。ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統との分岐年代は、論文では39万年以上前とされていますが、43万年以上前にさかのぼる可能性はきわめて高く、おそらくは遅くとも50万年以上前には分岐していたと思います(関連記事)。 論文は、デニソワ洞窟で発見されたホモ属の骨(

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    El_Fire 2018/08/25
  • レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析

    レヴァント南部の後期銅器時代の人類集団のDNA解析結果を報告した研究(Harney et al., 2018)が報道されました。レヴァント南部の後期銅器時代の物質文化は、質的に前後の時代と異なります。レヴァント南部後期銅器時代の文化の特徴は、定住密度の増加・聖域的な場所の導入・二次埋葬における骨壺の使用・公的儀式の拡大・銅や玄武岩や象牙の人工物の象徴的文様の彫刻や絵画的表現などです。レヴァント南部の銅器時代には、埋葬や儀式慣行の点で大きな変化が見られます。また、レヴァント南部の後期銅器時代には、「蠟型法」として知られる銅鋳造技術が用いられていました。このような文化的特徴は、レヴァント南北で共有されています。しかし、レヴァント南部の後期銅器時代の文化は、上述したようにレヴァントの前後の時代の文化とほとんど関連していないので、その起源について議論されてきました。一方の仮説は芸術的な模様に基づき

  • 酵母細胞の染色体融合

    酵母細胞の染色体融合に関する論文2が公表されました。真核生物のゲノムは染色体で分割されますが、その数は種によって異なります。たとえば、ヒトの染色体は23対、類人猿は24対であるのに対し、雄のトビキバハリアリは1対しか持っていません。昆虫では種間の染色体数が大きく異なります。こうした種差の原因は、偶発的なテロメア融合やゲノム重複事象である可能性がひじょうに高いのですが、染色体が複数あることの利点・染色体の総数の変化に対する生物種の耐性については、まだ解明されていません。 一方の研究(Shao et al., 2018)は、機能を備えた、染色体が1だけの酵母を、16の線状染色体を含む出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)一倍体細胞で、染色体の末端同士の融合とセントロメアの削除を連続的に行なうことにより作製しました。16の無傷状態の線状染色体を融合して1の単一染色

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    El_Fire 2018/08/21
  • ヨーロッパの人類史

    中期更新世~青銅器時代までのヨーロッパの人類史を遺伝学的観点から検証した研究(Lazaridis., 2018)が公表されました。近年の遺伝学的諸研究が整理されており、たいへん有益だと思います。とくに、図はよく整理されていて分かりやすいと思います。論文には当ブログで近年取り上げた研究が多く引用されており、それらを再度参照しつつ、読み進めていきました。また、最近刊行された『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(関連記事)と併せて読むと、さらに理解が深まると思います。私も、近いうちに同書を再読しようと考えています。 下部旧石器時代(前期~中期更新世)~中部旧石器時代(中期~後期更新世)までのヨーロッパには、現生人類(Homo sapiens)とは異なる系統のホモ属が存在していました。これらの人類の遺伝学的情報に関しては、今年(2018年)3月に一度まとめました(関連記事)。ヨ

  • アフリカ中央部の人口史

    アフリカ中央部の人口史に関する研究(Patin, and Quintana-Murci., 2018)が公表されました。西のコンゴ盆地から東のヴィクトリア湖まで広がる広大なアフリカ中央部は、大半が密集した熱帯雨林で覆われており、世界でも有数の生物多様性の高い地域です。アフリカ中央部には狩猟採集民とバンツー語族の農耕民がおり、生業だけではなく、生活様式や疾患への感受性も異なります。ほとんどの農耕民共同体は定住で、農村や都市に住んでいますが、熱帯雨林狩猟採集民は伝統的に熱帯雨林の野営地にしばしば小屋を建てて住み、別の野営地へと定期的に移動します。論文では、このアフリカ中央部の熱帯雨林狩猟採集民を、コンゴ盆地の西部諸集団とヴィクトリア湖周辺の東部諸集団とに区分しています。熱帯雨林狩猟採集民は、世界でもかなり小柄な方の集団です。 バンツー語族農耕民は現在のナイジェリア南東部やカメルーン西部が起源

  • アラビア半島中央部のアシューリアン

    アラビア半島中央部のアシューリアン(Acheulean)石器群に関する研究(Shipton et al., 2018B)が報道されました。アフリカ・南アジア・ヨーロッパの間に位置するアラビア半島は、下部旧石器時代となるアシューリアンの拡散において重要な位置を占めていると言えそうですが、アラビア半島のアシューリアンに関する情報は少なく、過小評価されています。アシューリアンは緯度55度以下に拡散しましたが、アシューリアンの担い手であるホモ属集団がどのように新たな環境に適応できたのか、詳細は不明です。論文は、アラビア半島中央部のダワドミ(Dawadmi)町サッファーカ(Saffaqah)村近くのアシューリアン遺跡群を調査し、当時の人類の環境適応について検証しています。 サッファーカ遺跡群では、握斧(handaxes)や鉈状石器(cleavers)も含む、100万個近いアシューリアン石器群が表面

  • ショーヴェ洞窟壁画の年代

    取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、フランス南部のアルデシュ(Ardèche)県ヴァロン=ポン=ダルク(Vallon-Pont d’Arc)にあるショーヴェ=ポン=ダルク洞窟(Chauvet-Pont d'Arc Cave)の壁画の年代に関する研究(Quiles et al., 2016)が報道されました。なお、以下の放射性炭素年代測定法による年代は基的に較正されたものです。ショーヴェ=ポン=ダルク洞窟(以下、ショーヴェ洞窟と省略)の壁画は1994年に発見され、当初は壁画の形式論的観点から、22000~18000年前頃となるソリュートレアン(Solutrean)期のものと推測されていました。しかし、その後、放射性炭素年代測定法により壁画の年代が32000~30000年前頃と推定され、大きな話題を呼びました。 ショーヴェ洞窟の年代データは、(2016年時点での)最近15年間で350

  • マダガスカル島の人口史

    取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、マダガスカル島の人口史に関する研究(Pierron et al., 2017)が公表されました。マダガスカル島の現代人の起源については、歴史学・言語学・民族誌・考古学・遺伝学的研究から、アフリカ東部と東南アジアの大きな影響を認める点では合意が成立していますが、両者の融合の場所・時期・様相については議論が続いており、国民の起源という敏感になりやすい問題なので、加熱する傾向にあるようです。 マダガスカル島の現代人の起源に関するじゅうらいの諸研究では、東南アジアから到来したオーストロネシア語族系と、アフリカ東部から到来したバンツー語族系のどちらが遺伝的には優勢なのか、という点で異なる見解が提示されることもあり、マダガスカル島における人類集団の形成にさいしての地理的多様性が示唆されています。論文は、そうした「矛盾」解消のために、マダガスカル島全域にわた

  • 人類史上少なくとも2回独立して起きた島嶼化(追記有)

    インドネシア領フローレス島の小柄な(平均身長約145cm)人類集団ランパササ(Rampasasa)のDNA解析結果に関する研究(Tucci et al., 2018)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。ランパササ集団は「ピグミー」とも呼ばれます。ピグミーとは、来はアフリカの熱帯雨林地域の狩猟採集民集団を指しますが、人類も含む小柄な生物集団をピグミーと呼ぶことは珍しくなく、論文の表題にも用いられています。 論文は、ランパササ集団32人全員の250万ヶ所の一塩基多型を解析し、10人の完全なゲノムを配列しました。その結果、興味深いことが明らかになりました。脂肪酸代謝に関与するFADS(脂肪酸不飽和化酵素)関連遺伝子では、最近の正の選択が確認されました。これは、フローレス島に到達したランパササ集団系統が、小型ゾウや海産物などをべるようになった、性の変化

  • 門脇誠二「西アジアにおける新人の拡散・定着期の行動研究:南ヨルダンの遺跡調査」

    論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A02「ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明」の2016年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 4)に所収されています。公式サイトにて論文をPDFファイルで読めます(P8-13)。「パレオアジア文化史学」については以前から知っていたのですが、取り上げるのが遅れてしまいました。この他にも興味深そうな報告があるので、今後当ブログで取り上げていくつもりです。 論文は、現生人類(Homo sapiens)がアフリカから西アジアに拡散して定着し、さらにヨーロッパやアジアの周辺地域へ分布域を広げつつあった時期の南ヨルダンの複数の遺跡の調査結果を簡潔に報告しています。石器の技術形態や使用痕・動物遺骸の同位体分析・放射性炭素法や光刺激

  • 現生人類の起源と拡散をめぐる新展開

    近年、現生人類(Homo sapiens)の起源と拡散をめぐって大きな進展があり、じゅうらいの有力説は大きく見直されつつあります。そうした動向を詳細に取り上げるだけの気力はまだありませんが、とりあえず、思いついたことを短くまとめておきます。じゅうらいの有力説を大まかにまとめると、現生人類はアフリカの一地域(東部もしくは南部)において20万年前頃に出現して、6万~5万年前頃にアフリカから世界中へと拡散し、この非アフリカ系現代人の祖先集団の出アフリカは1回のみで、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などの先住人類とは交雑しなかった、となります。 しかし、近年では、30万年以上前に現生人類の派生的特徴を有する人類集団がアフリカ北部に存在した、と明らかになっています(関連記事)。さらに、出アフリカに関しても、現生人類(的な特徴を有する集団)が、レヴァントでは194000

  • 現代ペルー人の形成史

    現代ペルー人の形成史に関する研究(Harris et al., 2018)が公表されました。論文は、ペルーのアンデス地域・アマゾン地域・沿岸地域の13集団計150人の高網羅率(平均35倍)のゲノム配列および追加の130人の遺伝子型配列標から、現代ペルー人がどのように形成されてきたのか、調べました。この13集団のなかには、ヨーロッパ系やアフリカ系など外来集団の遺伝的影響をあまり受けていないアメリカ大陸先住民集団と、ヨーロッパ系(おもにスペイン系)とアメリカ大陸先住民系との混合により形成されたメスティーソ集団とが含まれます。アフリカ系の遺伝的影響の強い集団は、少ないながらも沿岸地域に存在します。 分析の結果、現代ペルー人の複雑な形成史が明らかになりました。アメリカ大陸先住民系統は23000年前頃までに東アジア系と分岐し、16000年前頃までにアメリカ大陸への拡散を始めました。ペルーへの人類

    El_Fire
    El_Fire 2018/07/14
  • 現生人類アフリカ多地域進化説

    現生人類(Homo sapiens)の進化に関する新たな見解を提示した研究(Scerri et al., 2018)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現生人類アフリカ単一起源説は、今では定説と言えるでしょう。じゅうらいの単一起源説では、現生人類は単一の地域・(比較的小規模な)集団で進化し、アフリカ各地、さらには世界中へと拡散した、との想定が有力でした。アフリカにおける現生人類の起源地としては、人類化石証拠などから、東部と南部が有力視されていました。 論文は形態学・考古学・遺伝学・古環境学の研究成果を統合し、現生人類の起源に関してじゅうらいの有力な見解を見直しています。現生人類の派生的な形態学的特徴としては、球状の頭蓋・頤・弱い眉上隆起・小さな顔面などがあります。論文が問題としているのは、現時点での証拠からは、これらの特徴が異なる場所・年代に最初に出現したよ

    El_Fire
    El_Fire 2018/07/13
  • 現代東南アジア人の形成過程(追記有)

    現代東南アジア人の形成過程に関する研究(McColl et al., 2018)が公表されました。この研究は、最近取り上げた東南アジアの古代ゲノム解析の研究(関連記事)と一対になっている、と言えるでしょう。現生人類(Homo sapiens)は73000~63000年前頃には東南アジアに到達していたと指摘されていますが、この初期現生人類集団が現代人にどの程度の遺伝的影響を及ぼしているのか、まだ不明と言うべきでしょう(関連記事)。東南アジアにおいては、44000年前頃までには狩猟採集のホアビン文化(Hòabìnhian)が形成されます。 東南アジアにおける農耕の開始は、東アジアからの影響が指摘されています。これに関しては、ホアビン文化集団が外部からの遺伝的影響をあまり受けずに農耕文化を採用したという見解や、東アジアから南下してきた移住民が先住民たるホアビン文化集団を置換した、という見解が提示