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ブックマーク / sicambre.seesaa.net (98)

  • 6000年間ほとんど遺伝的に変わっていないオオムギ

    オオムギのDNA解析を報告した論文2が公表されました。一方の研究(Mascher et al., 2016)は、イスラエルの死海近くにある古代の要塞「マサダ」に位置する探査の難しい砂漠の洞窟で6000年前のオオムギ粒を発掘しました。この地域の気候は乾燥しているので、このオオムギのDNA解析に成功しました。もう一方の研究(Russell et al., 2016)は、世界中で260以上のオオムギ種の植物を収集し、そのDNAを解析しました。両者の比較により、6000年前のオオムギ粒と最も近縁で、ほとんど変化していないのは現代のイスラエルとヨルダンのオオムギであることが明らかになりました。これは、オオムギがヨルダン渓谷上流域で初めて栽培化され、その後世界中に広がったという仮説を裏づけている、と指摘されています。以下は『ネイチャー』の日語サイトからの引用です。 過去6,000年間ほとんど変わっ

  • アメリカ大陸最初の人類の移住経路(追記有)

    これは8月12日分の記事として掲載しておきます。アメリカ大陸最初の人類の移住経路に関する研究(Pedersen et al., 2016)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。アメリカ大陸への人類最初の移住については、激しい議論が続いてきました(関連記事)。20世紀後半に有力だとされたのは、アメリカ大陸最初の人類はクローヴィス(Clovis)文化の担い手であり、ベーリンジア(ベーリング陸橋)から15000~14000年前頃までに北アメリカ大陸で開けた無氷回廊を通ってアメリカ大陸へと進出した、というクローヴィス最古説です。無氷回廊が開けるまで、ベーリンジアから北アメリカ大陸に陸路で拡散することはできなかったため、無氷回廊が開けて初めて、人類はアメリカ大陸に進出できた、というわけです。近年では、北アメリカ大陸や南ア

  • 現生人類の拡散と多様性

    現生人類(Homo sapiens)の系統地理学的観点からの多様性に関する研究(Harcourt., 2016)が公表されました。参考文献も充実しており、現生人類の出現と各地域への拡散過程について、現時点での諸研究成果の概略を把握するうえでたいへん有益だと思います。現生人類の起源については、考古学・化石・遺伝学の証拠から、アフリカ起源であることが確実だ、と論文は指摘しています。しかし、現時点では最古の現生人類化石はアフリカ東部のエチオピアで発見されているものの、エチオピアが現生人類の発祥地なのか、まだ確定していない、と論文は注意を喚起しています。 アフリカからの現生人類の拡散に関しては、レヴァントやアラビア半島で10万年以上前の痕跡が確認されています。レヴァントでは化石が、アラビア半島では現生人類の所産と考えられている石器が発見されています。アラビア半島よりも東方への現生人類の拡散は、

  • 西アジアの初期農耕民のゲノム解析(追記有)

    西アジアの初期農耕民のゲノム解析結果を報告した研究(Lazaridis et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、気候の問題でヨーロッパよりも古代人のゲノム解析が困難な西アジアの古代人のゲノムを、採取試料の選択と新たな手法により解析しました。まず、他の骨よりずっと多くのDNAを得られる耳骨からDNAが採取されました。また、人間のDNAを増幅する方法と、微生物によるDNA汚染を濾過して取り除く方法が用いられました。これらにより、この研究は、ナトゥーフィアン(Natufian)の狩猟採集民から青銅器時代農耕民までの、西アジアの12000~3400年前頃の44人の高精度なゲノム解析に成功しました。この新たなデータは、以前に報告されていた近隣地域の240人の古代人および2600人の現代人と比較されました。 その結果、たいへん興味深い結果が

  • 古代エチオピア人のゲノム解析

    古代エチオピア人のゲノム解析についての研究(Llorente et al., 2015)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、エチオピア高地のモタ(Mota)と呼ばれる洞窟で発見された4500年前頃の男性のゲノムの解析に成功しました。この男性はうつ伏せで埋葬されていたそうです。アフリカにおける古代ゲノムの解析としては最初の成功例となり、高地のため涼しく乾燥した気候だったことが幸いしたようです。 4500年前頃のモタ人のゲノムは、現代のアフリカ人とも比較されました。その結果、じゅうらいより想定されていた、3000年前頃のユーラシア西部からアフリカへの人間の移住(ユーラシアに進出したアフリカ起源の人間がアフリカに進出したということで、「逆流」と呼ばれています)の規模が、じゅうらいの推定よりも大規模で広範なものだったのではないか、との見解が提示されています。

  • 早期新石器時代のザグロス地域の住民のゲノム解析

    早期新石器時代のザグロス地域の住民のゲノム解析結果を報告した研究(Broushaki et al., 2016)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。いわゆる肥沃な三日月地帯は、世界で最初に農耕が始まった可能性が高いとされる地域です。この肥沃な三日月地帯の東端はイランのザグロス地域、西端はレヴァントとなります。この研究は、イランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民のゲノムを解析し、旧石器時代や新石器時代の人々および現代人のゲノムと比較しています。 ゲノム解析されたイランのザグロス地域の早期新石器時代の農耕民は、1人がウェズメー洞窟(Wezmeh Cave)で発見された9000年前頃の人骨で、3人がテペアブドゥルホサイン(Tepe Abdul Hosein)遺跡の1万年前頃の人骨です。ウェズメー洞窟の人骨の方が

  • 上部旧石器時代初期における西アジアから北アフリカへの移動

    これは5月22日分の記事として掲載しておきます。ヨーロッパの初期現生人類のミトコンドリアDNAを解析した研究(Hervella et al., 2016)が報道されました。この研究は、ルーマニアの「女性の洞窟(Peştera Muierii)」で発見された遺骸(PM1)の歯からミトコンドリアDNAを抽出して解析し、化石人類も含めて他のミトコンドリアDNAと比較しています。PM1は較正年代で35000年前頃と推定されており、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)双方の形態学的特徴を有する、とされています。「女性の洞窟」遺跡では、ムステリアン(Mousterian)およびオーリナシアン(Aurignacian)の人工物が発見されています。 解析の結果、PM1はハプログループU6に分類されましたが、現代人にも更新世の現生人類にもこれ

  • 7000年前頃までのヨーロッパの現生人類の遺伝史(追記有)

    これは5月4日分の記事として掲載しておきます。47000~7000年前頃の51人のユーラシアの現生人類(Homo sapiens)のゲノムを解析した研究(Fu et al., 2016)が報道されました。BBCでも報道されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。この分析の結果明らかになったのは、ヨーロッパの最初期の現生人類は、現代ヨーロッパ人の遺伝子プールにはほとんど影響を及ぼしていないようだ、ということです。 現生人類は45000年前頃にヨーロッパに初めて到達し、ヨーロッパの先住人類たるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、4万年前頃までには絶滅した、と推測されています(関連記事)。この研究は、現生人類のゲノムに占めるネアンデルタール人由来と推測される領域の割合が、ユーラシアの最初期の現生人類では3~6%だったのに、現代人では約2%へと減少し

  • オーストラリア大陸先住民のY染色体の分析

    オーストラリア大陸先住民(アボリジニー)のY染色体の分析に関する研究(Bergström et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。オーストラリア大陸は、アメリカ大陸と同じく、現生人類(Homo sapiens)ではない系統の人類は存在したことがない、との見解が定説となっています。オーストラリア大陸への現生人類の進出は、アメリカ大陸よりもずっと早かった、と一般には考えられています。オーストラリア大陸への現生人類の進出は、考古学的記録から47000年前頃までさかのぼる、とされていますが、もちろん今後の発見により、この年代がさらにさかのぼる可能性もじゅうぶんあります。オーストラリア大陸に初めて人類が進出した後期更新世において、その寒冷期には、オーストラリア大陸はタスマニア島・ニューギニア島と陸続きでサフルランドを形成していました。現代人の各地域集

  • 現代パナマ人に見られるヨーロッパ系の遺伝的痕跡

    これは2月25日分の記事として掲載しておきます。現代パナマ人のY染色体に関する研究(Grugni et al., 2015)が報道されました。15世紀末以降、アメリカ大陸にはヨーロッパから多数の人々が移住してきて、大きな影響を及ぼしました。これがかなりのところ侵略的であり、アメリカ大陸の先住民集団に大打撃を与えたことはよく知られています。パナマも含まれるラテンアメリカにおいては、ヨーロッパ系でもおもにスペイン系が移住してきました。こうしたスペインからの「征服者(コンキスタドール)」は単身の男性だとされています。またスペインの植民地も含めてアメリカ大陸には、サハラ砂漠以南のアフリカより多くの住人が奴隷として連行されてきました。 この研究は、パナマの408人の成人男性のY染色体の多様性を調査しました。ミトコンドリアDNAの分析では、現代パナマ人の83%はアメリカ大陸先住民系との結果が得られてい

  • 現生人類の移住史におけるアラブ人の位置づけ

    これは2月28日分の記事として掲載しておきます。現生人類(Homo sapiens)の移住史におけるアラブ人の位置づけに関する研究(Rodriguez-Flores et al., 2016)が公表されました。今後もさらなる検証が必要でしょうが、なかなか興味深い研究だと思います。現在では、アフリカ起源の現生人類が世界各地へと拡散した、とする現生人類アフリカ単一起源説が広く認められています。もっとも、現生人類はアフリカから世界各地への拡散の過程で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など現生人類ではない系統の人類と交雑し、わずかながらそうした人類からゲノム領域を継承していることも確認されています。 この研究は、現生人類のアフリカからの拡散にさいして、現代の各地域集団のうちどれが最初に分岐した集団の祖先なのか、ゲノム解析から推定しています。現生人類のアフリカから世界

  • さかのぼるネアンデルタール人と現生人類との交雑の年代(追記有)

    ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との早期の交雑に関する研究(Kuhlwilm et al., 2016)が報道されました。『ネイチャー』のサイトには解説記事が掲載されています。非アフリカ系現代人のゲノムには、わずかながらネアンデルタール人由来の領域が確認されています。一方、アフリカ系現代人のゲノムには、基的にネアンデルタール人由来の領域が確認されていません。そのため、出アフリカ後の現生人類はネアンデルタール人と交雑したと考えられており、その年代は65000~47000年前頃と推定されています。もっとも、イスラーム勢力の拡大や帝国主義時代の経緯などからも推測できるように、アフリカには(出アフリカを果たした現生人類の子孫たる)ユーラシア系の人類が侵出(帰還と言うべきでしょうか)しているので、現代のアフリカ人にネアンデルター

  • フロレシエンシスの頭蓋の分析

    これは2月20日分の記事として掲載しておきます。更新世フローレス島人の頭蓋に関する研究(Balzeau et al., 2016)が報道されました。AFPでも報道されています。インドネシア領フローレス島のリアンブア洞窟では、更新世の人骨群が発見されています。この人骨群をめぐっては当初、新種なのか、それとも病変の現生人類(Homo sapiens)なのか、という激論が展開されました。しかし現在では、この人骨群をホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と区分する見解がおおむね受け入れられているように思われます。 ただ、フロレシエンシスを人類進化史においてどう位置づけるのかという議論はまだ続いており、当分収束しそうにありません。この議論については大別すると二つの見解が提示されています。一方の見解は当初提示されたもので、フロレシエンシスは東南アジアにまで進出していたホモ属

  • ネアンデルタール人に由来する生存の危険性を高める遺伝子

    これは2月13日分の記事として掲載しておきます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に由来する生存の危険性を高める遺伝子についての研究(Simonti et al., 2016)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。現生人類(Homo sapiens)は出アフリカ後にネアンデルタール人と交雑したと推測されており、非アフリカ系現代人のゲノムにはわずかながら(平均して1.5%~4%)ネアンデルタール人由来の領域が確認されています。 こうした非アフリカ系現代人に確認されるネアンデルタール人由来の遺伝子のなかには、現生人類にとって生存に有利に作用したものもあります。ネアンデルタール人はユーラシアで現生人類より長く生存し続けてきたので、ユーラシアに適応した遺伝子を少なからず有しており、アフリカ起源の現生人類はネアンデルタール人との交雑によ

  • ゴリラの祖先候補の新たな年代

    これは2月12日分の記事として掲載しておきます。ゴリラの祖先候補となる化石の新たな年代に関する研究(Katoh et al., 2016)が報道されました。2007年にエチオピアで発見された大型類人猿の化石は、チョローラピテクス=アビシニクス(Chororapithecus abyssinicus)と命名され、その年代は1050万~1000万年前と推定されました(関連記事)。アビシニクスは、その歯の形態的特徴からゴリラの祖先系統(もしくはゴリラの直接的祖先の近縁系統)と考えられています。 この研究は、新たな野外観察や地球化学・磁気層序学・放射性同位体のデータから、アビシニクスの発見されたエチオピアのチョローラ層(Chorora Formation)の推定年代を、じゅうらいの1050万年前頃から900万~700万年前頃へと繰り下げています。この時期の類人猿化石は乏しいため、アビシニクスはたい

    El_Fire
    El_Fire 2016/02/12
  • ブリテン島の移住史

    これは1月23日分の記事として掲載しておきます。ブリテン島における人間集団の移住に関する二つの研究が公表されました。ナショナルジオグラフィックで報道された一方の研究(Martiniano et al., 2016)は、イギリス北部の9人の遺体のDNAを解析しました。このうち7人はヨークにあるローマ帝国時代の墓地に埋葬されており、残りの2人のうち1人の年代はアングロサクソン時代で、もう1人の年代はローマ帝国時代よりも前の鉄器時代です。これら9人のDNA解析の結果、ローマ帝国時代の7人のゲノムは全体的に現代のケルト系イギリス人や鉄器時代の人々のゲノムと類似していたものの、アングロサクソン時代の人のゲノムとは大きく異なっていることが明らかになりました。 また、ローマ帝国時代の7人中6人は、現在のウェールズの住民と類似していることが明らかになりました。残りの1人には中東および北アフリカの現代人と高

  • 1万年前頃の狩猟採集民集団間の暴力

    これは1月22日分の記事として掲載しておきます。1万年前頃の狩猟採集民集団間の暴力に関する研究(Lahr et al., 2016)が報道されました。この研究は、ケニアのトゥルカナ湖西方で2012年に発見されたナタルク(Nataruk)遺跡について報告しています。ナタルク遺跡は現在のトゥルカナ湖畔から30km離れた場所に位置しています。ナタルク遺跡では27個体分の遺骸が発見されており、そのうち21人は成人で、男性8人・女性8人・性別不明5人という構成でした。6人の未成年のうち5人は6歳以下で、もう1人は歯から12~15歳と推定されましたが、その年齢のわりにはきょくたん小柄でした。ナタルク遺跡の年代は、放射性炭素年代測定法や他の年代測定法により、10500~9500年前頃と推定されています。 この27人の遺骸のうち、12体は関節が残るなど比較的保存状態が良好でした。その12体のうち10体に、

  • 非アフリカ系現代人集団で増加する有害な遺伝的変異

    アフリカ系現代人集団で有害な遺伝的変異が増加することを明らかにした研究(Henn et al., 2016)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アフリカ起源の現生人類(Homo sapiens)の拡散は連続した創始者効果を伴うものだった、と考えられています。小集団では大集団よりも有害な遺伝的変異が効率的に除去されないため、非アフリカ系集団ではアフリカ系集団よりも有害な遺伝的変異が増加しているのはでないか、と集団遺伝学の理論では予測されています。 この研究は、ナミビア・コンゴ・アルジェリア・パキスタン・カンボジア・シベリア・メキシコという世界の7地域の現代人のゲノムデータを用いて、有害な対立遺伝子頻度の地理的分布を提示しました。その結果、非アフリカ系においてアフリカ系よりも有害な対立遺伝子数が増加していることが明らかになりました。アフリカ系集団では、有害な遺伝的

  • タンジーア諸島における陸塊の喪失

    これは1月20日分の記事として掲載しておきます。タンジーア諸島における陸塊の喪失に関する研究(Schulte et al., 2015)が公表されました。アメリカ合衆国バージニア州チェサピーク湾にあるタンジーア諸島は、最も大きなタンジーア島をはじめとしていくつかの島々によって構成されており、18世紀にヨーロッパ人が入植しました。2013年時点でのタンジーア諸島の人口は727人です。この研究は、タンジーア諸島に関して、1850~2013年に作成された航空写真と座標参照系を使用した地図を解析し、1850年当時の陸塊のうち2013年まで残ったのはわずか33.25%にすぎないことを明らかにしました。その原因は、浸と海水準上昇と推測されています。 もし土地損失と海水準上昇がこれまでのペースで続けば、21世紀中に水没したり、22世紀初めに消失したりする島もあるかもしれない、と予測されています。また、

  • 45000年前頃に北極圏に進出していた人類

    これは1月16日分の記事として掲載しておきます。人類が45000年前頃に北極圏に進出していたことを明らかにした研究(Pitulko et al., 2016)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究は、2012年8月に北極圏シベリアで発見されたマンモスの遺骸について報告しています。このマンモスの眼窩・肋骨・顎には、槍による明らかな損傷が確認され、そうした損傷は生前および死後のものでした。こうした損傷パターンは他の遺跡でも確認されているので、人類がマンモスを殺害して解体した証拠だ、と指摘されています。 このマンモスの遺骸は、その場所と年代の点で大いに注目されています。発見された場所は北緯72度で、北緯66度以上となる北極圏に属します。年代は、マンモスの体毛・筋肉組織・脛骨の放射性炭素年代測定により、45000年前と推定されました。堆積層の他の物質からの