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ブックマーク / sicambre.seesaa.net (98)

  • 西サハラの砂漠にかつて存在した川

    これは1月5日分の記事として掲載しておきます。西サハラの砂漠にかつて広大な河川網が存在したことを明らかにした研究(Skonieczny et al., 2015)が公表されました。現在の西サハラには主要な河川系はなく、絶えず移動する砂丘しかありません。しかし近年、西サハラ沖では、深海で河川によって運ばれた微細粒が、大陸棚では大規模な海底谷が発見されたことで、西アフリカにはかつて主要な河川系が存在していた、と考えられています。しかし、これまで陸上においてそうした広大な河川網の直接的証拠は得られていませんでした。 この研究は、地球上空の軌道を周回し、砂丘のような深さ数メートルの物質を探査できるレーダー衛星の画像を用いて、全長約520 kmの広大な古代の河川網の存在を明らかにしました。この河川網は、隣接する海岸線上にすでに同定されている海底峡谷とほぼ完全に一致しています。この新知見は、西アフリカ

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    El_Fire 2016/01/04
  • 農耕の開始により変化した人間のゲノム

    これは12月27日分の記事として掲載しておきます。農耕の開始に伴う人間のゲノムの変化に関する研究(Mathieson et al., 2015)が報道されました。この研究は、古代西ユーラシアの230人の高精度のゲノム解析を報告しています。この230人の年代は紀元前6500~紀元前300年にわたっており、この研究で新たに報告されたデータも含まれています。アナトリアの新石器時代農耕民のゲノム規模の解析はこの研究が初めてのことだ、とその意義が指摘されています。 この研究は、地理的・時間的に広範にわたるゲノム規模の解析から、新石器時代以降の西ユーラシアにおける移住・交雑の様相を明らかにしようとしています。たとえば、ヴォルガ川沿いの草原地帯では、異なる2系統からの人口の流入があった、と示唆されています。また、アナトリアの新石器時代の農耕民は、これまでにも推測されていたように、ヨーロッパに最初に農耕を

  • 馬鹿洞人の大腿骨

    これは12月20日分の記事として掲載しておきます。中華人民共和国雲南省の馬鹿洞(Maludong)で発見されたホモ属の大腿骨に関する研究(Curnoe et al., 2016)が報道されました。AFPでも報道されています。馬鹿洞人に関しては、未知のホモ属系統との見解が提示されていますが(関連記事)、放射性炭素年代測定法による較正年代では14310±340~13590±160年前となることもあって、現生人類(Homo sapiens)の多様性を過小評価して馬鹿洞人の祖先的特徴を過大評価しているのではないか、とも指摘されています(関連記事)。 この研究は馬鹿洞人の大腿骨を分析し、更新世のホモ属化石と比較しています。対象となったのは、現生人類(解剖学的現代人)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などの中部更新世以降に出現したホモ属と、ハビリス(Homo habil

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    El_Fire 2015/12/19
  • 農耕開始期までさかのぼるミツバチの利用

    これは11月29日分の記事として掲載しておきます。人間によるミツバチの利用に関する研究(Roffet-Salque et al., 2015)が報道されました。エジプトなどにおける考古学的証拠から、人間はミツバチを古くから利用してきたことが知られていますが、それがいつのことからなのかは、明確ではありませんでした。この研究は、ヨーロッパ・西アジア・北アフリカの遺跡で発見された6000以上の陶器の破片の脂質残渣から得られた、蜜蝋の存在を示すガスクロマトグラフィーの測定結果を用いて、蜜蝋の利用地点を示す地図を作製しました。これにより、蜜蝋は広範囲にわたって使われ、一部の場所では8000年またはそれ以上にわたり、おそらくは継続的に利用されていたことが明らかになりました。この研究では、人間によるミツバチの利用は、農耕開始初期、もしくはそのもっと前から始まっていた可能性がある、と指摘されています。以下

  • インド・ヨーロッパ語族の形成におけるコーカサスの狩猟採集民の遺伝的影響

    これは11月27日分の記事として掲載しておきます。現代のユーラシアの人類集団にコーカサスの狩猟採集民の遺伝的影響があることを明らかにした研究(Jones et al., 2015)が報道されました。この研究は、コーカサス地域の上部旧石器時代後期(13000年前頃)と中石器時代(9700年前頃)の人間のゲノム、およびスイスの上部旧石器時代後期(13700年前頃)の人間のゲノムを解析しました。現代ヨーロッパ人の形成には、ヨーロッパ西部の狩猟採集民、西アジアからの農耕民、西ヨーロッパに牧畜および冶金技術を伝えたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団が重要な役割を果たした、と考えられています。 この研究は、西ヨーロッパに青銅器時代を到来させたヤムナヤ文化集団が、東ヨーロッパの狩猟採集民集団とともに、コーカサス地域の狩猟採集民の遺伝的影響を大きく受けていることを明らかにしました。このコーカサス狩猟採集民

  • アシュケナージ系ユダヤ人の起源

    アシュケナージ系ユダヤ人の起源についての研究(Carmi et al., 2014)が公表されました。この研究によると、アシュケナージ系ユダヤ人集団は800~600年前頃にヨーロッパ系祖先集団と中東系祖先集団が融合して出現したそうです。そのさいの遺伝子プールに占める両祖先集団の割合はほぼ同程度だった、と推測されています。アシュケナージ系ユダヤ人集団が形成された時期と近い頃に、集団ボトルネックが起きたようです。また、ヨーロッパ系祖先集団が最終氷期極大期の頃の22100~20400年前に中東系祖先集団から分岐した時に、創始者集団のボトルネックが起きた、と推測されているようです。以下は『ネイチャー』の日語サイトからの引用です。 【遺伝】アシュケナージ系ユダヤ人のルーツ 現代のアシュケナージ系ユダヤ人集団については、最近のいくつかの遺伝学的研究によって、特徴が明らかにされているが、今週掲載される

  • 東南アジア島嶼部のオーストロネシア語族集団の祖先

    東南アジア島嶼部のオーストロネシア語族集団の祖先に関する研究(Lipson et al., 2014)が公表されました。この研究では、東南アジアのオーストロネシア語族56集団のゲノム規模での解析・比較が行なわれました。その結果、インドネシアを中心に西オーストロネシア語族集団の中には、歴史的にほぼユーラシア大陸部にのみ存在してきたオーストロアジア語族集団からの遺伝子流入が顕著に確認されました。フィリピン諸島やポリネシアのオーストロアジア語族集団には、オーストロアジア語族の大規模な遺伝的痕跡が見られません。 この分析結果から、西部オーストロネシア語族がベトナムまたはマレー半島でオーストロアジア語族と遭遇して交雑した後、インドネシア西部に移住した、との仮説をこの研究は提唱しています。しかし一方でこの研究は、オーストロネシア語族が東南アジア島嶼部に拡散する前に、その地にはオーストロアジア語族が存在

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    El_Fire 2014/08/21
  • ネアンデルタール人集団内の変異

    ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)と分類されている集団内の変異の見直しについて、2014年度アメリカ自然人類学会総会(関連記事)で報告されました(Minetz., 2014)。この報告の要約はPDFファイルで読めます(P186)。この報告は、じゅうらいの後部頭蓋比較分析では全ネアンデルタール人が単一集団にまとめられる傾向にあったとして、身体比の分析を通じてその見直しを提言しています。そのためこの報告は、ヨーロッパのネアンデルタール人と南西アジアのネアンデルタール人を、異なる時間的・地理的・遺伝的歴史を有する集団として区分してその内部変異を検証するとともに、現生人類(ホモ=サピエンス)集団との比較も試みています。 その結果、ヨーロッパのネアンデルタール人は一貫して現生人類の範囲に収まらなかったものの、南西アジアのネアンデルタール人はしばしば現生人類の範囲に収まりました。そのた

  • ゲノム・頭蓋データの検証による現生人類の複数回出アフリカ説

    ゲノム・頭蓋データの検証により、現生人類(ホモ=サピエンス)の出アフリカに関する有力説を見直した研究(Reyes-Centeno et al., 2014)が報道されました。現生人類の起源に関して現在では、20万~10万年前頃のサハラ砂漠以南のアフリカにある、というのがおおむね共通認識になっています(現生人類アフリカ単一起源説)。 現生人類の出アフリカについては、回数(単一の出来事だったのか、それとも複数回あったのか)・時期(早ければ10万年以上前、遅ければ5万年前頃までに)・経路(ナイル川沿いに北上してアラビア半島北端を横断してユーラシアへと進出したのか、それともアラビア半島南岸沿いにユーラシアへと拡散したのか)をめぐって議論が続いています。 現在の有力説は、現生人類の出アフリカはアラビア半島南岸沿いの1回のみだった、というものだと言ってよいでしょう。その根拠は、現代人集団においては、サ

  • ネアンデルタール人の絶滅要因の考古学的検証

    ネアンデルタール人の絶滅要因を考古学的に検証した研究(Villa, and Roebroeks., 2014)が報道されました。この研究は、ネアンデルタール人と同時代の現生人類(ホモ=サピエンス、解剖学的現代人)とが、遺伝子型・表現型の双方で異なっていることを前提としつつ、これまでに主張されてきたおもなネアンデルタール人の絶滅要因を考古学的に検証しています。この研究は、これまでに主張されてきたネアンデルタール人の絶滅要因を以下の11仮説にまとめており、これまでの研究を概観するのに有益だと思います。 (1)現生人類が「複雑な象徴的意思伝達システム」を「じゅうぶんに」持っていたのにたいして、ネアンデルタール人はそうではありませんでした。 (2)ネアンデルタール人の技術革新能力は現生人類と比較して限定的でした。 (3)ネアンデルタール人の狩猟は現生人類よりも効率的ではありませんでした。 (4)ネ

  • 人類における筋力の低下と認知能力の向上の関係

    今日はもう1掲載します。人類の進化において、筋力の低下と認知能力の向上をもたらす脳容量の増大は並行的に進んだのではないか、と主張する研究(Bozek et al., 2014)が報道されました。この研究では、人間・チンパンジー・マカク属のサル・マウスの代謝に関わる遺伝子が比較されました。その結果判明したのは、脳の前頭葉皮質領域と骨格筋の代謝に関わる遺伝子においては、人間の進化が例外的に速い、ということです。 人間の筋力は、チンパンジー・マカク属のサルよりもはっきりと劣ります。これが現代の「便利な環境」に大きく影響された結果なのか否かを調べるため、マカク属のサルに、体を動かす必要がなくストレスに満ち質の悪いものをべるという、現代人のような生活を2ヶ月続けさせたところ、その筋力に大きな衰えはなかったそうです。そのためこの研究は、人間とチンパンジー・マカク属のサルなどとの筋力の違いは、先天的

  • 佐藤宏之「日本列島の成立と狩猟採集の社会」

    2013年11月に刊行された『岩波講座 日歴史  第1巻 原始・古代1』(岩波書店)所収の論文です(P27~62)。論文の特徴は、地理・自然環境を重視していることです。論文は、日列島の考古学的時代区分ではおおむね縄文時代早期以降となる完新世以降も扱っていますが、更新世の比重の方が高くなっています。安定した気候の完新世とは異なり、更新世の気候は変動が激しく、現在とはかなり異なっていました。そのため、更新世の日列島の地形(気温により海水面が上下するため)・植物相・動物相は、現在の日列島のそれらとは異なっていました。この違いが、生業さらには社会構造にも大きな影響を与えていただろう、というのが書を貫く基調となっています。 論文は、日列島を北海道州・四国・九州と琉球諸島とに区分しています。更新世の寒冷期には、北海道はアジア大陸ともつながっており、州・四国・九州は陸化していた瀬

  • 池谷和信「熱帯地域における狩猟採集民の移動の特徴」『人類の移動誌』第2章「アフリカからアジアへ」第2

    印東道子編『人類の移動誌』初版第2刷(関連記事)所収の論文です。論文は、アフリカの熱帯雨林地域と砂漠地域の狩猟採集民の事例から、狩猟採集民の移動の特徴をモデル化しています。論文は、人類史の99%以上は狩猟採集の時代だった、と指摘しています。しかし、論文で取り上げられているアフリカの熱帯雨林地域の狩猟採集民の事例からも明らかなように、現代の狩猟採集民の中には農耕民と密接な関係を築いている集団も多く、農耕開始前の狩猟採集民の行動の特徴を推測するのは容易ではありません。 論文は、狩猟採集民の移動の基単位は家族だとし、家族の集合たるバンド単位による移動を、アフリカの狩猟採集民の事例から、遊動型・半定住型・定着型の3類型に区分しています。遊動型の移動先は植物資源の分布に大きく左右されるのですが、家族単位での移動では、メンバー間の軋轢や婚姻などの社会的要因が大きく影響する、とのことです。半定

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    El_Fire 2014/06/04
  • 石器時代スカンジナビアの狩猟採集民と農耕民との遺伝的差異

    石器時代のスカンジナビアの狩猟採集民と農耕民の遺伝的差異についての研究(Skoglund et al., 2014)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究は、7000~5000年前のスカンジナビアの住民11人のゲノムを解析し、狩猟採集から農耕への移行は人口構造的にはどのように進行したのかという、現在でも議論の盛んな問題への手がかりを提示しています。この研究のゲノム解析の結果はこの時代のものとしてはかなり良好だったようで、何人かではドラフトゲノムと同等のものが得られたそうです。 ゲノム解析・比較の結果、狩猟採集民と農耕民は、地理的に近接していたにも関わらず、現代ヨーロッパ人間で観察されるよりも遺伝的差異が大きかったそうです。さらに、遺伝的に農耕民と位置づけられる有名な「アイスマン」と比較して、スカンジナビアの新石器時代農耕民には狩猟採集民との交雑の程度が高か

  • 人口増加に伴う遺伝的変異の蓄積

    まだ日付は変わっていないのですが、1月11日分の記事として掲載しておきます。完新世における人類の遺伝的変異を推定した研究(Fu et al., 2012)が公表されました。以下は『ネイチャー』の日語サイトからの引用ですが、完新世になって人口の急増にともない、遺伝的変異の蓄積も増加していった、という見解はすでに広く浸透しているように思います。この研究は、アメリカ人を対象としてヨーロッパ系とアフリカ系とに区分し、塩基配列が解読されたとのことです。この研究によると、また有害と思われる一塩基変異のうち86%が、過去10000~5000年以内に生じた、と推定されるそうです。また、人口の急増は一方で、有益な遺伝的変化をも促進する可能性が高い、とも考えられます。 遺伝: 6,515例のエキソーム分析から、ヒトのタンパク質コード領域にある変異の大部分は起源が比較的新しいことが明らかになった 遺伝: ヒト

  • アシューリアンの時系列的な比較

    これは2月5日分の記事として掲載しておきます。アシューリアンの時系列的な比較についての研究(Beyene et al., 2013)が報道されました。この研究では、エチオピア南部のKonso層で新たに年代の推定された175万~100万年前頃の石器が報告され、他の地域・年代のアシューリアンと比較されています。この研究では、じゅうらい詳細な比較がなされていなかった、最初期のアシューリアンと時代の下ったアシューリアンとの比較の結果かが報告されています。175万年前頃のアシューリアンとなると、これまで最古とされてきた、ケニアの西トゥルカナにあるKokiselei4遺跡のNachukui層で発見された石器群とほぼ同じ年代ということになります(関連記事)。 Konso層の石器群の特徴は、大型ピックと粗雑な両面・単面加工石器の混在です。Konso層の握斧(両面加工石器)については、時代が下るにつれて剥離

  • 4000年前のインドからオーストラリアへの人類の移動?

    まだ日付は変わっていないのですが、1月22日分の記事として掲載しておきます。4000年前にインドからオーストラリアへと人類の移動があった可能性を主張する研究(Pugach et al., 2013)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。この研究では、アボリジニー・ニューギニア人・フィリピンのネグリート集団のゲノムデータが解析・比較されました。その結果、これらの集団の分岐年代は36000年前と推定され、出アフリカ後の現生人類(ホモ=サピエンス)による南経路での初期の移住を示しており、この地域の他の人類集団は、別の拡散により後になって到着した、という見解が支持されることになりました。これは、現在の通説というか優勢な見解と大きくい違わないと言えるでしょう。 しかしこの研究では、ヨーロッパ人到来以前のオーストラリアの人類と他地域の人類との交流については、現在優勢な見解と

  • 古人類のDNA解析から見えてくる人類史における交雑と進化

    ホモ=サピエンス(現生人類)と他の人類との交雑という観点を中心に、近年の古人類のDNA解析について概観し、最新の知見を伝える報道(Callaway., 2011)を読みました。近年の古人類のDNA解析の成果では、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)のゲノム解読の進展と、ネアンデルタール人とも現生人類とも異なる、シベリアのデニソワ洞窟で発見された人類(デニソワ人)のDNAの特定が注目されますが、この報道でも、両者についてこれまでの研究成果が取り上げられています。 ネアンデルタール人もデニソワ人も、ミトコンドリアDNAだけではなく核DNAも解析されて現代人と比較され、両者ともに現生人類との交雑が過去にあった可能性の高いことが指摘されています。ネアンデルタール人と現生人類との交雑は、90000~65000年前頃と推測されています。現代人のアフリカ系にはネアンデルタール人との交雑の痕