これにたいして、近年、論壇の一部に虐殺の存在そのものを声高に否定する人々が登場しているが、彼らには、率直に言って、史料の収集と公刊という地道な仕事に携わる意思と能力がない。事実、彼らの側からは、今日に至るまで、学術的な史料集は一冊も公刊されていないのが実情である。彼らの「御家芸」は、他人が苦労して収集した資料に牽強付会な解釈を施して、「論敵」とみなした人々に毒々しい非難をくわえることだけである。そこには、歴史観や方法論をおのおの異にするとはいえ、研究者は同じ「知の共同体」に属しているという自覚が完全に欠落しているのである。 「資料 ドイツ外交官の見た南京事件」P.v-viより引用。 南京事件を否定する人々のことを的確に表現している文だと思います。 南京事件を否定する人々が知的に誠実であるならば、不当な汚名をそそぎたいという思いが本物であるならば、彼らはそのために史料を収集し、その史料を読め