【ソウル=加藤達也】韓国の女性家族省は14日、日本統治時代の先の大戦中に慰安婦だった女性らに関連する資料を整理し、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に登録する計画を進めていることを明らかにした。 女性家族省によると、2017年の登録を目指しており、韓国以外にも中国や東南アジアのほか日本に所在する関連記録物の保存状況を調査。15年中に目録を完成させ、韓国政府の推薦候補として選定されることを目標に、韓国文化財庁に申請するという。 韓国の聯合ニュースによると、女性家族省関係者は「国家間の利害関係がかかった問題であり、韓国が独自に申請するよりも他国との共同申請が有利」との見方を示し、韓国政府は関係国政府と共同で登録を目指すためのタスクフォース設置も検討している。 慰安婦問題をめぐり、韓国側は官民一体で国際社会に働きかけて日本に圧力を加える戦略を推進している。今回の動きも、日本に「謝罪と反省
今年から月刊イオでは「朝鮮、その時」という歴史物の連載をスタートさせている。第1部は「日本の植民地統治」として日本が朝鮮に対する侵略を開始してから1910年に完全に植民地とするまでを辿り、現在は第2部として「植民地期の朝鮮」を連載中だ。 第1部は、朝鮮がいかに日本の植民地へと転げ落ちていったのかを解説しているわけだが、1部の最後に安重根による伊藤博文の射殺について書かれている(8月号)。 少し前から、韓日で、安重根をめぐりもめていることがニュースとなっている。安重根が伊藤博文を射殺したハルビン駅(現・中国黒竜江省)に記念碑を作るよう、韓国が中国に働きかけたことに対し、日本政府が反発したことによる。菅義偉官房長官は11月19日の記者会見で「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えている」と語り、「このような動きは日韓関係のためにならないのではないか」とのべた。官房長官の発言は
日本の近代化は南方が立ち上がって中央の江戸幕府を打倒した後に行われた。幕府打倒を率いたのは長州藩と薩摩藩。長州藩は本州の最南端地域で、山口県一帯だ。薩摩藩は、九州の鹿児島(鹿児島)県一帯だ。日本の近代化の遺産も九州と山口県に多い。日本政府は、九州と山口県の近代化産業遺産28個を一つにして、ユネスコ世界文化遺産に申請することを決めた。 ◆このうち八幡製鉄所と長崎造船所が最も有名だ。日本の歴史教科書でも、明治時代の代表的な工業施設として取り上げられる。八幡製鉄所は新日本製鉄によって、長崎造船所は三菱重工業によって現在も稼動している。長崎港南西側の人工島・端島には海底の石炭を掘る炭鉱があった。長崎造船所とともに三菱の所有だった。 ◆長崎造船所と端島炭鉱は、徴用で連れて来られた韓国国民の苦しみの場所だ。長崎造船所には、太平洋戦争当時、韓国人約4700人が徴用され、軍艦を建造した。このうち1600人
〈関東大震災90周年〉関西集会/歴史を隠さず直視せよ 2013年09月02日 13:36 主要ニュース 関東大震災90周年関西集会「今、朝鮮人虐殺の真相と教訓」(主催=総聯兵庫県本部)が8月31日、兵庫県の尼崎市立小田公民館で行われ、関西地方の同胞、日本市民ら約60人が参加した。 集会ではまず、尼崎市の稲村和美市長から送られた連帯メッセージが紹介された。 次に、総聯兵庫県本部の盧武鉉委員長があいさつした。 盧委員長はまず、いわれなき罪をかぶせられ無残に命を奪われた6600余名の朝鮮人に対し深い哀悼の意を表した。また、虐殺の事実を隠ぺいし、謝罪、補償、真相究明をしようとしない日本政府を強く批判した。そして、「植民地支配の犠牲者である在日朝鮮人の民族的権利と地位を保障し、不当な差別や弾圧をなくすよう訴えていきたい」と力強く語った。 集会にあたり朝鮮、南、海外の同胞からメッセージが寄せられた。
〈関東大震災90周年〉群馬・藤岡で慰霊祭/戦争する国への回帰、止めなければ 2013年09月02日 13:56 主要ニュース 民衆が警察署襲撃し17人殺害 関東大震災の数日後、群馬県藤岡市(当時、多野郡藤岡町)で虐殺された朝鮮人を追悼する慰霊祭が8月31日、犠牲者が埋葬され慰霊碑が建てられた成道寺で営まれ、同胞、日本市民ら約70人が参列した。慰霊祭は、日朝友好連帯群馬県民会議と連合藤岡地協が共催した。藤岡副市長(市長代理)も参列した。 先代の住職が書いた過去帳などによると、震災直後、藤岡警察署には17人の朝鮮人が保護されていたが、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を企てている」などの流言飛語により、民衆は「殺気充満」していた。9月4日、武装した自警団が本庄警察署(現埼玉県)を襲撃するなどして朝鮮人百数十人を虐殺した事件を聞いた藤岡の民衆は、さらに殺気だった。そして翌5日、「民衆数千
「朝鮮人を10人ずつ縛って軍人が機関銃で殺した。死ななかった朝鮮人は線路に並べて石油をかけて焼いた」 「臨月の女性の腹を縄で縛って川に投げた。すると赤ん坊が生まれた。2人はへその緒でつながれたまま川に流された。本当に悲惨だった」 「朝鮮人の死体は魚市場で大きな魚を運ぶように足首を鉄の鎖でつながれ、警察署まで運ばれた」 1923年9月1日に発生した関東大震災から90年が経ち、当時、東京一帯で強行された朝鮮人虐殺を伝える3冊の証言集がまとめられた。著者は西崎雅夫氏(53)。西崎氏は30日、東亜(トンア)日報とのインタビューで、「日本政府は、関東大震災時に起こった朝鮮人虐殺と関連して、軍や警察の関与を隠したり縮小してきた。しかし、日本軍が直接朝鮮人を殺害し、警察がデマを流したという多くの証言がある」と強調した。西崎氏は、日本社会が当時の教訓を直視しなければ悲劇が繰り返されると警告した。 「当時、
東京・東向島の法泉寺には一風変わった碑があります。色彩鮮やかな陶彫作品。絵柄には朝鮮民話で長生きを意味する松や鶴などを配し、人類長寿と永久平和を願い、日朝両国の友好親善が記されています▼台座には「感謝(の)碑」の文字。90年前に起きた関東大震災のさなか、虐殺の危機にあった朝鮮人一家をかくまって救った日本人に感謝し、建立されました。碑には「先生の崇高な人間愛とその遺徳を讃(たた)え…」とあります▼早乙女勝元さんの『私の東京平和散歩』に詳しい。10万をこえる犠牲者をだした大震災。そのなかには流言やデマによって、軍や警察、自警団に殺された無辜(むこ)の朝鮮人や中国人、日本人がふくまれています▼東向島と同じ下町にある大島は、多くの中国人労働者が犠牲になった現場です。戒厳令下の1923年9月3日、空き地や広場に中国人を連れ出し、早朝から日暮れまで凄惨(せいさん)な虐殺がつづきました。名前がわかってい
1923年9月1日に起きた関東大震災は、10万人以上の死者・行方不明者を出し、そのさなか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言・デマによって多くの朝鮮人・中国人が虐殺される事件がありました。90周年の節目を迎えるにあたり、「犠牲者を追悼し、史実の歪曲(わいきょく)を許さず歴史の真実を学びあい『今』を考える」記念集会が31日、東京都内で開かれ、320人が参加しました。 朝鮮人虐殺 伝え続ける 主催は関東大震災90周年記念行事実行委員会。 歴史教育者協議会副委員長の坂本昇さんはこの間、東京や横浜で関東大震災について副読本から「虐殺」の文字が消えたことについて報告しました。「慰安婦や南京大虐殺と同様、いま関東大震災の歴史の歪曲が組織的に始められている」とし、「歴史の真実に学び、平和・人権・民主主義の徹底を求める声を若い人とともに世界へ広げていくことが重要」と語りました。 東京都墨田区で虐殺の実態
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