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2009年10月4日のブックマーク (7件)

  • 独我論に対する筋の悪い対応 - あなたのkugyoを埋葬する

    たしかこの内容は永井均の著書にあったのではないか。調べていないので、既存の学に基づかぬ文としておく。ローティだったかもしれない。 (あまりに論の運びが不明瞭だったのでちょっと修正。2009年7月29日) 相対主義に対して、よく、自己論駁的だという反論がなされる。相対主義の主張に基づけば、相対主義を主張することに意義はなくなるはずだ、というパターンのものだ。 こんな反論は審級の違いを設定することで、あるいは相対主義の主張はふつうの主張と質的に異なるものだとする(指令だとする)ことで、簡単に対応しかえすことができる。 ところで、同種の反論が独我論に対しても行われることがある。独我論の主張に基づけば、独我論を主張することに意義はなくなるはずだ、というパターンのものだ。 しかし、独我論へのこのパターンの対応も、やはり筋の悪いものだと思う。独我論を主張することに意義がなければならないというのは、過当

    独我論に対する筋の悪い対応 - あなたのkugyoを埋葬する
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    contractio
    contractio 2009/10/04
    読んだあとで再度「何の役に立つんだ?」と問いたくなるエントリである。
  • RSS Flash g 日本語ヘルプページを公開しました。 - Ebisu Soft

    RSS Flash g 日語ヘルプページを新たに公開しました。 http://ebisu-soft.com/

  • 夫婦別姓の問題点:夫婦別姓が男女平等,ジェンダー平等に反する理由 | 反省の女性学

    最高裁の夫婦同姓の合憲判断については、最高裁の夫婦別姓禁止は合憲が正当な理由に書いています。 夫婦別姓は生家主義で家制度の封建制を強化する ウェブ上の夫婦別姓の意見を見ると、「別姓こそ男女平等」でこれを正論と言っている者などがいる。しかし、むしろ「別姓こそが男女平等ではない」歴史があった。 上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)に、「夫婦別姓の罠」という項目がある。その中の「3 子供の姓の父系主義」に以下の記述がある。 また家父長制のもとで、夫婦別姓が抑圧的に働くこともある。別姓を主張する人の中には、たとえば同じ東アジア圏でお隣りの中国韓国では夫婦別姓が実行されているのを見て、「女性解放がすすんでいる」と短絡的な理解をする人々がいる。だが、中国韓国も、日におとらず、否、日以上に父系制の強い国である。こういう社会では、父系集団に嫁入した女は、姓の同じ集団の中で一人だけちがう姓

  • 夫婦別姓と慎重論:夫婦別姓と男女平等の俗説の誤りについて | 反省の女性学

    最高裁の夫婦同姓の合憲判断については、最高裁の夫婦別姓禁止は合憲が正当な理由に書いています。 夫婦別姓の問題点:夫婦別姓が男女平等,ジェンダー平等に反する理由 夫婦別姓は生家主義で家制度の封建制を強化する 『読売新聞』の記事によると、民主党が選択的夫婦別姓を導入する方針を固めたようだ。夫婦別姓に関連することでも、短絡的な言説が蔓延している。夫婦別姓論には慎重を要する。選択的夫婦別姓に賛成であることと、夫婦別姓の歴史的経緯を考えて夫婦別姓論に慎重であることは両立する。 上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)に、「夫婦別姓の罠」という項目がある。その中の「3 子供の姓の父系主義」に以下の記述がある。 また家父長制のもとで、夫婦別姓が抑圧的に働くこともある。別姓を主張する人の中には、たとえば同じ東アジア圏でお隣りの中国韓国では夫婦別姓が実行されているのを見て、「女性解放がすすんでいる」

  • ワラノート 歴史的な動画集めようぜ 

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  • 抜粋:ハッキング (1967) より認識的可能性の箇所(付け足しアリ) - left over junk

    イアン・ハッキングの論文から,認識的可能性の箇所だけ抜粋して訳しました*1. Ian Hacking (1967) "Possibility," Philosophical Review 76 (2):143-168. V. 認識的可能性 (pp.148-9) 2つの文法的標識 may/might-have-been と直説法/仮定法をみると,「可能」という言葉には論理的に可能という意味でもなければ因果的に可能という意味ですらない語義があることがわかる.だが,その語義はどう定義したらいいのだろうか?ムーアはこの語義を認識的可能性と名付けている.この名称からおおよそわかるように,次のような分析がなされる:話し手の特定の集団において p が認識的に可能であるのは,その集団の誰一人として p が偽であることを知らないとき,そのときだけに限られる.これまでに確かめておいたわずかばかりの事実とかなり

    抜粋:ハッキング (1967) より認識的可能性の箇所(付け足しアリ) - left over junk