たしかこの内容は永井均の著書にあったのではないか。調べていないので、既存の学に基づかぬ文としておく。ローティだったかもしれない。 (あまりに論の運びが不明瞭だったのでちょっと修正。2009年7月29日) 相対主義に対して、よく、自己論駁的だという反論がなされる。相対主義の主張に基づけば、相対主義を主張することに意義はなくなるはずだ、というパターンのものだ。 こんな反論は審級の違いを設定することで、あるいは相対主義の主張はふつうの主張と質的に異なるものだとする(指令だとする)ことで、簡単に対応しかえすことができる。 ところで、同種の反論が独我論に対しても行われることがある。独我論の主張に基づけば、独我論を主張することに意義はなくなるはずだ、というパターンのものだ。 しかし、独我論へのこのパターンの対応も、やはり筋の悪いものだと思う。独我論を主張することに意義がなければならないというのは、過当