平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ
「夫の給料だけでは、一家を支えられない。だから、女子は真剣です。」っていう東京経済大学の広告、いろんな意味で最低だな。これ。 そもそも東京経済大学に進学する層なら、男子だってバリバリのキャリアなんて目指してないんじゃね? なんとか結婚して良い家庭作りたいーっていうのが将来のプランじゃないかなー。 東京経済大学に進学する層の女子の現実的な人生設計としては、なんとか非ブラックな企業に事務系正社員として滑り込んで、自分と同等以上の所得の男性と結婚し、子供ができたら制度をフル活用して働きつつ子育てってところだろう。だからまあ、さっきの広告は目指すべき方向と合致してる 今日TL上でよく見かける「夫の給料だけでは、一家を支えられない。だから、女子は真剣です。」という東京経済大学の広告。12-1月掲載だから見かけたらこの一連の反応を思い出しそう。製作側は考えてないよね。 東京経済大学の広告がひどい話で思
2 会話分析について(続々) 3.会話分析への疑問 リンチが会話分析に対して言いたいのは、「固有妥当性要請を無視して、‘科学的活動の'日常的基礎を記述できるはずはなかろう」ということなのだと思う。 リンチの語る固有妥当性要求の主張は、会話分析のオーソドキシーから外れている。会話分析は、基本的に読み手の直観的理解を論文作成の資源として利用するから。そもそも会話分析におけるトランスクリプトの意義は、論文の書き手と読み手が共通して利用できる資源の呈示という点にある。例えば、トランスクリプトによって書き手も読み手も反復的にデータを検討できるとは、会話分析が延々と繰り返して主張してきたことだろう。 会話分析が単純に日常的活動の日常性を記述している分には何も問題は生じない。でも、会話分析が専門的知識/科学的知識の領域に踏み込もうとするとき、会話分析のオーソドキシーは通用しない。「ワークのEM」が、会話
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く