本書は極めて野心的な、ある意味では画期的な社会学教科書である。 従来の社会学の入門教科書のスタンダードな書き方としては、理論を中心とした社会学の学説史を一通り解説したうえで、その切れ味を実地の現代社会の分析において例示してみる、というものであった。しかしながら社会学における支配的な理論枠組み、通説の不在という現状は、このような書き方を困難にする。今日の日本におけるオーソドックスな社会学教科書の書き方は、多数の現状分析の例示の列挙であり、かつ、実証的社会学研究のカバレッジの広さに鑑み、分担執筆というものであるが、複数の著者間での分担という形式それ自体に加えて、書き手の間で共有される通説の不在が、教科書から統一感を奪う。 そのような現状に対して本書の新しさは2つの点において目立つ。まず、本書は単著ではないものの、2名という少数の著者の緊密な共同作業によって、極めて統一感ある仕上がりとなっている
東京大学教授 宇野重規〔Uno Shigeki〕 慶應義塾大学教授 坂井豊貴〔Sakai Toyotaka〕 2017年10月13日(金) ジュンク堂池袋本店4階カフェスペースにて開催 本イベントは2017年10月13日、第48回衆議院議員総選挙(2017年10月10日公示、10月22日投票)の直前に開催されました(編集部)。 政党って必要なの? 坂井 今回のこのイベントは、『大人のための社会科』出版記念のものです。僕がこの本を作成する前後で何が一番変わったかというと、政党についての認識なんです。この本を書く前は、政党なんていらないんじゃないかと思っていました。でも一緒に本をつくっていく中で、宇野さんに教化されて、また僕なりに政治を観察するなかで、やはり政党はいると思うようになった。これは僕にとって本当に大きな変化なんです。今日はですね、「教えて宇野さん」。質問を用意してきました。宇野さん
専修大学法学部教授 伊藤武〔Ito Takeshi〕 神戸大学大学院法学研究科准教授 砂原庸介〔Sunahara Yosuke〕 大阪市立大学大学院法学研究科准教授 稗田健志〔Hieda Takeshi〕 神戸大学大学院法学研究科教授 多湖淳〔Tago Atsushi〕 多湖 砂原さんと稗田さん、お2人はこの『政治学の第一歩』を使ってみて、1年生がゲームみたいなところから入るのに対して、どういうリアクションを得てます?数字や数式なんか見たくないって学生の話もさっきあったけど。 稗田 僕はこの教科書を使って、大阪市立大学と神戸大学で授業をしているのですけれど、そこまで拒否反応みたいなものは出てないです。そこまで難しい微分積分だとか線形代数だとかが出てくるわけじゃなくて、初歩的な足し算・引き算レベルとあとはロジックだけじゃないですか。それを囚人のジレンマのチャートを見せて、パワーポイントでAが
専修大学法学部教授 伊藤武〔Ito Takeshi〕 大阪大学大学院法学研究科准教授 砂原庸介〔Sunahara Yosuke〕 大阪市立大学大学院法学研究科准教授 稗田健志〔Hieda Takeshi〕 神戸大学大学院法学研究科教授 多湖淳〔Tago Atsushi〕 砂原 昨年10月に『政治学の第一歩』という政治学の初学者向けの入門教科書を出版しました。そこで、この教科書を題材として、これからの政治学教育について議論する座談会をすることにいたしました。ただ、著者のわれわれだけだと、「ここの部分は書くのが難しかった」、「ここは見解が一致しなくて大変だった」などと、内輪話に終始してしまいそうですので、伊藤さんにお話に加わっていただくことにしました。伊藤さんは、政治史を本領としつつも、現代政治分析の分野でも国内外で活躍されていますので、政治学全体の中での本書の位置付けを俯瞰しながら忌憚なきご
『はじめてのジェンダー論』は、ジェンダーという言葉ぐらいはかろうじて見聞きしたことがあり、漠然としたイメージも興味関心もあるが、しかし他人から説明しろと言われると困るといった読者のために、ジェンダー論――実質的にはジェンダーの社会学――のごくごく基本的な概念装置やそれを使って見える現実社会のメカニズムについて解説する本である。 本書は特段の予備知識を要求しないまったくの「入門書」であり、また大学で1セメスター(2コマ)の授業で「教科書」ないしは副読本として利用されることを想定・期待して書かれている。より具体的に言えば、想定された読者は筆者の本務校である明治学院大学の2、3年生である。とは言っても全員ではない。かれらのうち、少なくともジェンダーにかかわる問題にそれなりの関心をもち、興味を惹かれた授業なら真面目に聴いてノートもとるような、そういう可能性をもった学生たちがターゲットだ。筆者の経験
1 怪獣大戦争 いつのことだったか、谷口功一さんから『法学教室』誌で 安藤さんと大屋さんの「怪獣大戦争」が連載されるという噂を聞いて、少なからず驚いた。というのも、お二人の議論はどちらも法哲学者にとってさえ難解をもって知られており、両者の論争を学修者を対象とする『法学教室』誌に連載することなど無理筋な話のように思われたからである。 ただし、安藤対大屋という法哲学の世界における大怪獣が対決する様子を観てみたいと思うのは人情であり、私自身も2度ばかりそのような対決を企画した。すなわち、『法哲学年報2011――功利主義ルネッサンス』(有斐閣)という法哲学の学会誌と、若松良樹編『功利主義の逆襲』(2017年、ナカニシヤ出版)という論文集である。 それらは、いわば玄人向けであり、映画にたとえるならば、ミニシアターや自主上映会でしかお目にかかれない代物である。これに対して、今回の企画は『法学教室』誌と
1. たぶん私の専門分野は社会学になるのだろうが、実は勤務先の大学では、1〜2年生に統計を教えている。これはこれで結構楽しい。 社会学と統計学は、ふつう思われているより、はるかに関係が深い。例えば、社会学の基本的な分析手法はM・ウェーバーによって形作られたといっていいが、その方法論に大きな影響をあたえた学者は2人いる。1人は新カント派の哲学者H・リッカート、もう1人は生理学者で統計学者のJ・フォン・クリースだ。著作でいうと、リッカートの『自然科学的概念構成の限界』(1902年)、v・クリースの『確率計算の諸原理』(1886年)である。 そして、これはきわめて現代的(アップ・トゥー・デイト)な問題でもある。2人の専門分野からわかるように、ウェーバーの方法論の形成は、文科系の学術と理科系の学術がどう関わりあうかへの彼なりの答えでもあった。向井守が『マックス・ウェーバーの科学論』(ミネルヴァ書房
東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 北田 『同化と他者化』ってすごくオーソドックスな本なんですよ。ちゃんと背景をがっちり調べて、そしてインタビューで調査して、そこから導かれる理論的な知見を出して、ものすごい愚直な本。愚直というか、近年まれに見る王道的なものなんですよね。そこでなされている作業っていうのが、僕にとってすごく面白かったですね。たとえば、まず一人ひとりの動機っていうのを書いちゃう。その動機が発生してくる背景も外在的だとか何とかと言われても、ちゃんと説明してやる、っていう気概のすごく直球なスタイル。そのなかでフィールドの実態を浮かび上がらせて、最後に理論的な知見を出す。すごく標準的なものに見えるんだけど、最近そういうのってなかったんですよね。少なくとも、僕はそう思っています。ここで採られ
東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 北田 ここから岸さんのほうから事前にいただいた「社会の進化や変化を語るということが、社会学の『習い性』になっているのではないか?」という問題提起について考えてみたいと思います。つまりなにか充実したものがあって、それが希薄化して、消失していく。こういう図式、たとえば「マスコミから2ちゃんねるの時代を経てLINEへ」みたいな。 岸 書けちゃう書けちゃう。 北田 でしょう。まったく同じ図式で書けちゃう。この反復性みたいなものってどうなんでしょうね。つまり社会が「t型社会」から「t+1型社会」へと進化するという考えの元になっているものはなんなのか、と。 岸 この対談のテーマでもありますけど、社会学って大雑把に「なにを結局やってきたんやろな」っていう話ですが、じつは2
東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 北田 (調査をするのは)社会学者じゃなくていいわけだから。 岸 あ、計量ができたら、それでいいって思われたわけ? なるほど。 北田 そう。でもそれなら、もう一方でルーマンとかハーバーマスみたいな理論の人が、それをちゃんとガードしなきゃいけないはずなんですよ。社会学だからこそできる精度のある調査ってものがある、と。でもあの人たちはまるっきり関心ないし、弟子たちもまるっきり関心ないでしょ。それで、みんな「死」に向かっている。ズーアカンプも――言ってみれば日本なら岩波書店みたいなところですけど――社長が替わって、このままでは「大塚家具」みたいになりかねない……みたいなことが言われてて、ズーアカンプのあの分厚いシリーズだって、なくなる可能性だってある。 岸 それは要
東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 こないだ僕の大阪の研究会に北田さんが来てくれて、こんな話になりました。たとえば「社会意識」っていうときに、ものすごく全然違う2つのものを一緒に社会意識って呼んでて、1つは見田宗介の『まなざしの地獄』とかが代表です。あれは極端な例から、同時代の集合的な「社会意識」というもののあり方を抽出して、で、こうなる! みたいな。それが社会意識論って言われていた。 でも、じつは社会意識論って、同じ言葉で同じ授業で、ほとんどの大学でされているのは、社会心理学者がゴリゴリの計量でやってるやつだったりします。それも社会意識論って言われていて、たとえば、ケガレ意識が強い人ほど部落差別をする人が多い、みたいな感じのクロス集計、回帰分析をひたすらやっている。じつは量からいえば、そ
東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 この対談は、「社会学はどこからきて、どこへ行くのか?」というテーマで進めたいと思います。社会学の現状を、研究環境や研究動向から、おおまかに捉えて、もういちど考えようと思っています。まず簡単に自己紹介から始めます。僕は2年前に、戦後の沖縄のことを論じた『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)という本を出版して、そのあと『街の人生』(勁草書房、2014年)という、生活史のインタビューをそのまま載せた本を書いていますが、本を書くようになったのはこの2年くらいです。このあとも何冊か、順次出ることになっています。北田さんは、僕から見ると若いときから世に出ていた方で、1970年前後生まれの同世代のなかでは、燦然と輝くスターです(笑)
1 社会学者をやっていると、必ず聞く悪口がある。「社会学って役に立たない」「社会学が良い社会をつくれるわけじゃない」「やれるのはデータを調べるくらい」。 たしかに、目に見えて「役に立つ」とはいいにくい。社会学者に社会をつくらせたら、トンデモナイものができそうだ。けれども「データを調べるだけ」と言われると、とても変な気がする。まるで石ころのように、データが転がっているみたいだからだ。 もちろん、意図的にそう見せているものもある。TVや新聞が「緊急調査!」と銘打ってニュース代わりに使うものなどは、良い例だろう。「安倍内閣を支持しますか支持しませんか」「原発再稼動に賛成ですか反対ですか」。ときどきの話題や事件に絡ませて賛否をきけば、答えは返ってくる。おかげで、世論を「棒グラフや円グラフで表しうるソリッドな意見の塊」(本書4頁)のように思っている人も少なくない。 でも、もしあなた自身がきかれたらど
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