タグ

ブックマーク / tukinoha.hatenablog.com (5)

  • 「社会」概念の歴史に関するメモ - tukinoha’s blog

    最終更新2014/10/5 ざっくりした通史 http://togetter.com/li/527959 大正時代の「社会の発見」について以前書いたもの http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20110128/p1 大正時代の分は以下に移行。 http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/10000109 【方法について】 ・左古輝人「社会概念の再検討」『人文学報』43号(2008年) ・「社会を定義すること」と社会概念史の違い 彼らは〈社会〉を定義するとすぐに、そそくさと自ら定めた規約から見えてくる対象の観察へと向かってしまうのが常なのである。いわんや社会学者が用いる〈社会〉の諸概念が自然言語における〈社会〉とのあいだに持つ関係についてなど、管見する限り一度も考察されたことがない。 〔中略〕 問題は《〈社会〉をどう定義するか》ではなく、《〈社会〉が

    「社会」概念の歴史に関するメモ - tukinoha’s blog
  • 「実証」の概念史 - tukinoha’s blog

    ・先行研究 positiveという言葉はラテン語の動詞pono(英語ではsetに相当)に由来し、その過去分詞positumが形容詞化されることでpositiveになった。これが「事実的」「実証的」という意味を持つようになったのは、木田元によると弁神論に由来するという。弁神論者たちは(しばしば理不尽な)世界のありようについて「神がpono(=定めた)したものなのだから、人間の理屈で推し測ってはならない」と説いた。これによって非合理な事実を「神によってponoされたもの=positiveなもの」と呼ぶようになった。「positive=事実的」という用法が神学由来であることはヘーゲルの時代までは意識されていて、ヘーゲルの未完の草稿『キリスト教の精神とその運命』では非合理的な宗教的戒律をpositivitätと呼んでいる。(木田元『わたしの哲学入門』新書館、1998年、271頁以下) 日において

    「実証」の概念史 - tukinoha’s blog
    contractio
    contractio 2013/04/23
    見守っております。
  • 大正期の社会と社会科学(4) - tukinoha’s blog

    ところで、我々の関心の対象である「社会」は、その抽象性ゆえに実証主義的な手続きで研究を行うことが困難な代物です。社会はその誕生と消滅を外部の制度によって保障されておらず、また、社会それ自体を具体的な制度に還元することもできません。そうであるがゆえに「社会はあるとも言えるし、ないとも言える」という何も言ってないに等しい言明が通用してしまうわけです。 歴史学における「理論」の必要性とは、このような存在を取り扱うことにあると言えるでしょう。非研究者にとっては往々にして、実証主義になじみにくい存在のほうが重要であり、研究者がそれを放棄すれば、神話やイデオロギーによる解釈がそれを占領してしまう。戦後のドイツに現れた社会構造史学派が、社会全体の構造を解き明かすことと、歴史学における理論の重要性を強調したのも、大まかに言えばこのような問題関心に基づいています。 〔社会構造史学派の基的な立場とは〕考察対

    大正期の社会と社会科学(4) - tukinoha’s blog
    contractio
    contractio 2012/01/24
    「この「ウロボロスの蛇」モデルについての詳細な議論は、次回以降に回すことにしましょう」 ──ウロボロスどこ行った。
  • 「社会人」の概念史 - tukinoha’s blog

    最近、東京都副知事にして作家(!)であらせられる猪瀬直樹氏が、twitterで以下のようなに呟いていました。 仕事をしない専業主婦は、パートでもなんでも仕事をして社会人になってください。(放射線量の:引用者)数値の意味がわかるようになるしかありませんから。不確かな気分で子どもを不安にさせてはいけません。 http://twitter.com/#!/inosenaoki/status/60776864368693248 この文章でもっとも重要な単語が「社会人」であることは明らかでしょう。「社会人」とは仕事をしている人間であり、また、市民としてふさわしい理性を身に着けた存在である。裏返せば「仕事をしていない主婦は馬鹿だ」というわけです。 (東京都民でもない私としては)この発言にとやかく言うつもりはないのですが、「社会人」という言葉が他人を罵倒するうえで「有無を言わせない」便利な言葉として使われ

    「社会人」の概念史 - tukinoha’s blog
    contractio
    contractio 2011/04/22
    「何を特殊領域とみなすか」
  • 大正期の社会と社会科学(5) - tukinoha’s blog

    今回は創価学会の話をしましょう。なんでこの連載で創価学会?関係ないだろ、と思われるかもしれませんが、ど真ん中です。取り上げるのは、創価学会の前身・創価教育学会の設立者である牧口常三郎、そして大正期を代表する哲学者・左右田喜一郎です。 牧口が北海道尋常師範学校を卒業し、小学校教員として就職したのは1893年のことでした。それ以来、牧口は教育者兼教育学者としてのキャリアを歩いていきます。1928年に日蓮正宗に入信し「宗教と教育」を2柱とした活動を展開していきますが、その根にあるのは、明治末〜大正にかけて流行したカント哲学、正確にはドイツの新カント学派を経由したカントを牧口なりに解釈した教育理論でした。では、「新カント学派を経由したカント」とはいかなるものなのか。簡単に言えば、科学を価値哲学によって基礎付けたカント、ということです。というわけで、牧口の教育理論のキーワード「価値の創造」(ひっ

    大正期の社会と社会科学(5) - tukinoha’s blog
    contractio
    contractio 2011/04/22
    大正期の創価学会。続編を待つ。
  • 1