今年も綺麗に咲いている興正寺の梅。紅梅は見ごろで白梅も咲いてきています。 興正寺の梅は、浄土真宗らしい立派な伽藍とよく似合っています。西本願寺の隣にあるため同じ寺と間違われる方もいますが、別なお寺です。室町時代、佛光寺の経豪が佛光寺を弟に譲り、自らは山科に新たに興正寺を建立したのが始まり。当時の佛光寺は現在の京都国立博物館の地にあって天台宗の妙法院とつながりが深く、経豪はそこからたもとを分かって本願寺の蓮如に近づくと、名前を蓮教と改めています。 興正寺は山科本願寺とともに天文元(1532)年に、焼かれてしまいましたが、その後大阪に再興され、天正19(1591)年に本願寺とともに現在地に移転してきました。ただその後、本願寺と論争を起こし、明治9(1876)年に本願寺から独立をして、現在に至っています。このように元々西本願寺とのつながりが深いため、伽藍配置も西本願寺と同じで、向かって左が御影堂
「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ 「ここ、初めての公開なんだって~」と、「京の冬の旅」でミモロが、足取り軽く向かったのは、「仁和寺」から徒歩5分ほどにある「転法輪寺(てんぽうりんじ)」です。 ミモロを迎えたのは、「鐘楼門」です。「なんか浦島太郎の竜宮城の入口みたい~」。その中には、大きな釣鐘が下ります。その重さ約4トン。大晦日には、一般の人も除夜の鐘が撞けるのだそう。 境内の中を進みます。 ここ「転法輪寺」は、もともと宝暦8年(1758)に関通上人により北野下の森に念仏道場として創建された浄土宗のお寺で、昭和4年に現在の御室に移転し、地元の人たちには「関通さん」と呼ばれ崇敬を集めています。 本堂に進んだミモロは、ビックリ。そこには、高さ約7.5メートルの京都最大級の仏像が鎮座していらっしゃいました。 「わ
ヴェネツィアを経由してロンドンにいる。昔から、自分は『逆をやること』にどうしようもない魅力を覚えている。一般常識と違うことではなく、一般常識と『逆』のこと。右なら左。増やすなら減らす。着飾るなら脱ぎ去る。など。それは、ただの天邪鬼だというだけではない。逆をやるのは、両極を見たいと思うから。両極を見たいと思うのは、ど真ん中を射抜きたいと思うから。ど真ん中を射抜きたいと思うのは、裏表のない、対義語のない『絶対的ななにか』を見つけたいからだ。と。 好きなように生きても周囲に迷惑をかけることは少なく、逆に、自己犠牲な態度が負のスパイラルを生む。 帰りたい時は帰る、嫌なものは嫌だと言う、自分の欲求は勇気を出してはっきり口にするなど、潔い我儘は最高の美徳になる。 挑戦しないで、なにが人生だ。 - いばや通信 https://t.co/MAvUml4JQg— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume)
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