今年は早くも北野天満宮の梅が見ごろを迎えています。菊の浮かんだ手水鉢も綺麗でした。 京都の梅の名所といえば、まず名前が挙がるのが北野天満宮です。境内には、早咲きから遅咲きまで約50種1500本の梅があり、見ごろの時期には境内が甘い香りに包まれます。今年は例年より大幅に梅の開花が早く、すでに見ごろとなり、境内は梅の甘い香りが漂っています。 北野天満宮のご祭神は菅原道真で、幼いころから梅が大好きだった人物です。まだ「阿呼(あこ)」いう名前だった5歳の時に、庭に咲く紅梅を眺めて「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」と和歌を詠んだと伝わります。後に「風月の本主」と称される和歌の才能は、このころから発揮されていたのかもしれません。 道真が九州の太宰府へと左遷される時に詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」の歌も有名です。太宰府へ家の主の私が行ってしまっても
「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ 「なんか春って感じだね~」とポカポカと陽ざしが注ぐ昼過ぎ、ミモロは、「京の冬の旅」で公開されている「霊鑑寺」へ向かいました。 ここは、すでに何度も訪れている場所。馴れた足取りで石段を上がります。 「霊鑑寺」は、「旧谷の御所」と呼ばれる尼門跡寺院で、敷地内には100種以上の椿が植わることから、別名「椿寺」とも呼ばれています。 ここは、承応3年(1654)、後水尾天皇が、皇女の多利宮を開基として創建し、以降、明治時代まで5人の皇女・皇孫が入寺した尼門跡寺院です。 皇女様たちは、7歳から15歳までここで成長され、その後得度されるのだそう。ご本尊は、如意輪観音さま。 幼い皇女様たちを見守った仏様なのでしょう。 今回、36年ぶりに「京の冬の旅」で公開されるのは、「奥書院」。 「ここ
こんにちは。 今回は佐賀県鹿島市『祐徳稲荷神社』を参拝してまいりました。 祐徳稲荷神社 佐賀県鹿島の祐徳稲荷神社は京都の伏見稲荷大社、茨城の笠間稲荷神社と共に「日本三大稲荷」に数えられている由緒ある神社。 境内は楼門や神楽殿・本殿などで構成されており、豪華で鮮やかな外観から九州の日光東照宮と呼ばれています。神域彩る朱色の社殿や鳥居は圧巻の美しさです。 参拝と散策 それでは散策を楽しみながら参拝させていただきます。 まずは錦波川(きんばがわ)にかかる神橋を渡って社殿へ向かってみます。 早朝から雲一つない青空に恵まれたこの日は絶好の参拝日和となりました。 空気も冷んやりと澄んでいて気持ちが良かったなぁ。 しばらく歩き進んでいくと阿吽の狛狐さんが鎮座されていました。 狛犬も神聖な雰囲気を感じますが狛狐はより不思議な神秘性が漂ってましたね。 おっと…手水舎で身を清めるのを忘れてはいけませんよね。
京都の街を歩いていると、偶然、石碑を発見することがあります。 先日も、京都市上京区の新烏丸通を南に向かって歩いていると、建物の片隅に「嶋村俊一邸跡」と刻まれた石碑を発見しました。 嶋村俊一とは、聞いたことない名ですが、石碑が建立されているのですから、きっと有名な人物なのでしょう。 京都府立医学専門学校の初代校長 嶋村俊一について、インターネットで調べてみると、Wikipediaとフィールド・ミュージアム京都のウェブサイトが見つかりました。 島邨俊一-Wikipedia KA050 嶋村俊一邸跡|フィールド・ミュージアム京都 嶋村俊一は、どうやら現在の京都府立医大の前身である京都府立医学専門学校の初代校長とのこと。 生まれたのは幕末で、明治20年(1887年)に帝国大学医科大学医学部を卒業した後に大学院に進みました。 明治24年に狐憑病の調査のため、「島根県下狐憑病取調報告」をまとめます。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く