京都市上京区に廬山寺(ろざんじ)というお寺があります。 廬山寺の境内の東には、光格天皇の父である慶光天皇(きょうこうてんのう)の陵があります。 光格天皇が即位したのは江戸時代後期のこと。 光格天皇の前の天皇は後桃園天皇だったのですが、後桃園天皇には男子がいませんでした。 そのため、後桃園天皇が崩御した後は、慶光天皇の男子であった光格天皇が即位することになりました。 尊号一件 後桃園天皇と慶光天皇は同じ時代の人物です。 同じ時代に2人の天皇が皇位につくのは稀なことです。 南北朝時代には南朝と北朝にそれぞれ天皇がいました。 では、江戸時代も南北朝時代と同じように2人の天皇が同時に皇位についていたのかというと、そのようなことはありません。 慶光天皇は、江戸時代には閑院宮典仁親王(かんいんのみやすけひとしんのう)と呼ばれていました。 光格天皇が即位すると、典仁親王は天皇の父となります。 しかし、典