1月中旬に京都市左京区の積善院凖提堂に参拝した後、西隣の聖護院(しょうごいん)にも参拝しました。 聖護院は、皇室関係者が明治時代まで代々入寺した門跡寺院(もんぜきじいん)で、この付近の地名ともなっています。 本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の総本山でもあり、境内には立派な建物がいくつもあります。 さりげなくネコの置物が置かれている境内 聖護院には、京阪電車の神宮丸太町駅から東に約10分歩くと到着します。 入り口に建つ山門に風格がありますね。
1月15日に、新熊野神社で左義長神事が行われました。 新熊野神社 左義長神事 1月15日には新熊野(いまくまの)神社で左義長(さぎちょう)神事が行われました。かつては成人の日に行われていましたが、近年は1月15日に日付が固定となっています。左義長とは、1月15日の小正月に行われる火祭りの行事で、正月に飾った門松や注連縄飾りなどを櫓(やぐら)に組んでたきあげるものです。 新熊野神社 左義長神事 起源は平安時代の宮中行事にあります。清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て、毬杖(ぎっちょう)と呼ばれる球を打って遊ぶための棒を三本結び、その上に扇子や短冊などを添えて、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたのだそう。櫓が倒れる方向や炎の上がり具合によってその年の吉凶を占っていました。毬杖(ぎっちょう)を三本結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれ、後に「左義長」と表記されました。 新熊野神社 左義長神事
「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ 「ウ~いい香り~美味しそう~ゴクン」と思わず喉がなってしまう「カレー肉うどん」720円。 ミモロは、冬のある日、町歩きの途中、七条通の「京都国立博物館」の西側の大和大路通を進み「豊国神社」へ行きました。 ここは、太閤豊臣秀吉をご祭神にする「豊国神社」の総本社で、出世運や財運などにご利益があると言われます。 豊臣家滅亡後、神社は廃絶。荒廃のまま長らく放置されました。明治になり、明治天皇の勅命で社殿が再建され、現在の姿に…。 鳥居の前には、幅広い石段… その前には、幅広い参道が鴨川方向へと伸びる「正面通」。 この道は、かつてここにあった秀吉が建立した「京の大仏」の大仏殿への正面に続いていたことに由来するもの。 「大仏様、見たかったなぁ~あったら京都の名所になっていたのにね~」
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く